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中川さんと別れてから、家に帰ってパソコンを立ち上げた。

彼女の雰囲気を目の当たりにして、怪しい会社ではないと分かったけれど、情報として勤めることになる会社の概要は把握しておきたかった。


渡された資料から、URLを探して打ち込む。表示されたページは意外にも随所に社員の笑顔が散りばめられた、如何にもという雰囲気な明るい会社風のホームページだった。会社の規模としては小規模だったのだけれど、設立は昭和四八年とそれなりに歴史ある会社であるという事が分かった。

呼吸を止めていたわけではなかったのだけれど、パソコンを落としてから思い出したように、少し長めに息を吐きだした。外からは車のエンジン音が間断なく聞こえ、忙しい平日の昼下がりを演出していた。


僕には人に言いにくい過去がある。それを中川さん達は何故か知っていたのだけれど、出来れば知り合いには隠しておきたい程度ではあった。

高校を出ると、大学受験をせずに僕はとある施設に預けられた。両親の切実な願いで入ることを決めたのだけれど、多分そこは宗教施設だった。どうして多分となってしまうのかというと、一般には専門学校として広まっていて、学生証もあったし、きちんとした授業を受けていた。そこで僕は建築についての知識の多くを学んだ。

少しおかしいと気付き始めたのは、一年目の中ごろくらいだったと思う。あまり聞いたことのないお寺なんかを見学したり、天照教と書かれた看板のある建物に連れて行かれたりもした。卒業まで続けたのは、学んでいる内容は至って普通だったし、僕がここを辞めてしまうと親がきっと悲しむと思ったから。


卒業の半年ほど前から、学校がいくつかの企業を紹介してくれて、僕は勧められるが儘に前にいた会社に就職を決めた。当時は気付かなかったのだけれど、あの頃の僕は正しい判断が出来なかった。信号は青ならわたって赤ならきちんと止まるとか、あたりまえな部分で変わってはいなかったのだけれど、人間として必要な意思を明確に持つことが困難だった。

例えばそれは、食事だったり、恋愛だったり、趣味だったり。人間として持っているはずの欲がなかった。用意されたものは何でもすんなりと受け入れて、用意されなければ無いものを欲しいとは思わなかった。今ならそれがどれほど異常だったのか分かるのだけれど、当時の僕は、用意されたものがすべてで、それ以上の存在は、僕の世界には存在しないものになっていた。


卒業して会社に勤め出すと、社会的な付き合いをするようになった。そこから僕の洗脳が少しずつ解けて、煙草をふかしたり、お酒を飲んだり、好きな音楽を聴くようになった。同窓だった一人に連絡を取って一度会ってみた事があるのだけれど、彼は未だに欲のない、人間として平坦なままだった。そんな彼と会って僕は怖くなり、それ以来、他の同窓だった人に連絡をとってみるということはしなかった。


中川さん達は、僕の過去について分かっていて、その上で僕を雇うと言っている。彼女達からは、犯罪じみた感じはしなかったのだけれど、少し危うい気配はした。それでもこの話を了承しようと思ったのは、僕が選択権をもっていて、自由があったからという事が大きい。設計という仕事は、僕にとってやりたいと思えたし、やりたいと思えているという事が、僕の洗脳が解けているという証明をしてくれていると思えた。


自己問答を終え一息つこうと、ベランダに出て煙草に火を点けた。大きく傾いた太陽が正面から僕を照らしている。ベランダが西向きと言えば一般的にはマイナスとなるのだけれど、取り込んだ洗濯物から、太陽の暖かい匂いがあふれるよりも、沈んでいく太陽の輝きを正面から受けることの方が僕には大事だった。最後まで輝き続けることが僕にも太陽にも大事なのだ。



夕食の支度をしようと、冷蔵庫を開けて材料を取り出した。焼き魚に大根おろしとすだちを添えて、副食にお浸しでもあればいいかなと、支度を始めると、机に置いた携帯から、黒電話の大きなベル音が部屋に響いた。

「もしもし、宮本君?」

中川さんからだったので、少しだけ改まってから返事をする。

「はい。先ほどはありがとうございました」

「突然ごめんね。少し考える時間が欲しいって言われて、待ってたんだけど返事が来ないから、こっちから電話をかけちゃった。もしかして忘れてた?」

確かに別れ際に、多少、考える時間を戴いても構いませんか。ということで喫茶店を後にしたのだけれど、あの人の中で考える時間というのは数時間程度だったらしい。

「すみません。こちらから連絡させてもらわなければならないのに、わざわざ連絡戴いて」

「ううん。気にしないで。それで入社の件だけれど、採用ってことでいいのかな?」

「はい。またとない機会ですし、採用して戴けるのであればお願いさせてもらいたいです」

いつの間にか僕は、リビングで正座をしてきちんと座っていたのだけれど、電話なのだからその必要はなかったと気付いた。

「了解。だったら明後日から来てくれる? 必要なものは渡した資料に書いてあると思うから。もし、分からないことがあったら、この番号に電話してくれたらいいよ」

「分かりました。よろしくお願いします」

「はーい。こちらこそよろしくね。それじゃぁまた明後日に」

「いろいろとありがとうございます。それでは失礼致します」と言っている途中で電話が切れた。



火にかけた焼き魚から、香ばしいを少し超えてしまった匂いが辺りに立ち込めていた。


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