第2話
「ただいまー」
空が闇を孕んだ頃に、月珂は家に帰ってきた。靴を脱ぎ、まずはリビングへと向かう。
「ただいま、三日月」
「あ、おにーちゃん、お帰りなのです」
扉を開け、身を半分だけ出しながら、元々この部屋にいた人物へと声をかける。
夜鳶三日月。月珂の、血の繋がらない妹である。
髪の長さは肩甲骨よりも少し長い位。小柄なその身を、月珂のお下がりであるシャツに包んだ彼女は、ソファに寝そべってテレビを見ていた。
月珂と三日月は、それぞれの親の子供、という関係だ。
父の連れ子である月珂と、母の連れ子である三日月。両者が結婚したことで、血の繋がらない兄妹という関係になったのだ。なんともありがちな身の上話である。
しかし、父は事故で既に他界。母も、今は長期出張中なので、実質、二人暮らしである。
「……お前はまたそんな格好して。もう少し警戒したらどうだ。数日後には高校生だろうが」
じとーっ、とした視線で、三日月を見る月珂。
しかし彼女は、高校生になるにしては小さいその身を月珂の方に向かせながら、言い返してくる。
「別に、おにーちゃんだから良いのです」
「……そうかい」
呆れたように目を押さえながら、月珂は息を吐いた。
「とりあえず、すぐに着替えて飯作るから、もう少し待っててくれ」
「はいなのです」
言って、月珂は扉を閉め、二階にある自室へと向かった。
黒基調の部屋着へと着替え、再度一階へと降りていく。
「さて、三日月。何が良い?」
「おにーちゃんが作ってくれるものなら、何でも良いのです」
「お前のその、僕に対する全面的な好意は一体何なんだ」
「むー、それを訊くのですか? おにーちゃん」
いいや、と手を振りながらキッチンへと向かう。
この家において料理担当は月珂である。親がいても、作るのは月珂だ。
黒のエプロンを着けながら、しかし、と考える。
結局何が良いか言ってくれなかったので、何にしようかと悩んでいるのだ。
「……麻婆豆腐でも作るとしようかな」
そうと決まれば、調理開始である。
「やっぱりおにーちゃんの料理は美味しいのです」
「そりゃどうも」
素気なく返す。
十数分で作り終えた夕飯は、今日も、妹のお気に召されたらしい。
「そういえば、もう依頼は終えたのですか?」
「んぐんぐ……、ん、まあな。だけど、また新しい依頼が来たが」
三日月は、月珂の部活動の事を知っている。まあ、妹だし、数日後には、月珂と同じ高校に入学するのだから、当然と言えば当然だ。
「新しい依頼、なのです? 相手は誰なのですか?」
「生徒会副会長」
「副会長……あ、あの人なのですか」
「知っているのか?」
はいなのです、と三日月は返した。
「体験入学とか、高校見学とか、色んな場面で見たのです」
「あー、生徒会って、そんなことも手伝っていたのか」
「でも、あの人なのですか? そういうことには興味が無さそうな人だと思うのですけど」
「ここら辺はプライバシーだから、詳しくは言えないかな」
月珂が言うと、そこら辺は三日月も分かっているのか、大人しく引き下がった。そうなのですね、と言って、再度麻婆豆腐を頬張り始める。
しかし、それを飲み込むと、また口を開いた。
「それでですね」
「ん?」
「今回の依頼の成功率は、いつも通り、百パーなのですか?」
あー、と月珂は言い淀む。
軽く握った拳を顎に当て、考える時間を作ってから、その答えを口にした。
「いや――――ゼロだな」
それは、三日月の目を見開かせるには、十分過ぎる確率だった。
夕飯も終えて、月珂は、自室へと戻ってきていた。三日月は再度テレビ視聴中である。
デスクトップ型のパソコンを起動させ、いくつかのファイルを開いている。
月珂の、仕事の時間だ。
と言っても、それ程難しいことも、キツいこともしていない。
今行っているのは、メールやSNSを駆使して、今回の相手である生徒会会長、新田甜輝の為人を調べること。
しかし、それだけではない。
生徒会副会長、光織星羅のことも、今まで聞くことができた情報を元に彼一人だけで調べている。
何故甜輝のことは公に調べ上げ、星羅のことは隠して調べているのかというと。
簡単な話だ。
依頼人を悟らせない為。
普通の人なら、自分の好きな人は他人に知られたくないものだ。
明言はされていなかったが、星羅も同じだろうということで、こうして分けて調べている。
「……まあ、こんなものかな」
メモ帳を開き、調べることが出来た分の情報を書き連ねていく。それを印刷して、もう一度目を通す。
真実だという裏付けが取れたものは少ないが、無いよりはマシということで、書かれた量は結構ある。
これを元に、逐一更新していきながら、今回の依頼を成功させる。
だけど。
「ゼロじゃあねえ……」
印刷した分を机の上に置き、背凭れに身を預ける。んー、と言いながら、さらに足と腕も伸ばす。
「九九パーセントの確率で嘘を見抜く、か」
なんとなしに呟き、それについて考えてみる。
百パーセントじゃないのは当たり前だとして、それでも驚異的な特技だ。
だが、その言葉を言い換えれば。
嘘を見抜くということはつまり。
「見抜くまでが限界、ってことかな」
相手が嘘を吐いているのは分かる。だけど、どんな嘘かわ分からない。どこで嘘を吐いたのかも分からない。そういうことだろう。
そう、月珂は結論する。
「……まあ、だからと言って何だ、という話になるかな」
意味の無い思考を止め、月珂は妹のいるリビングに向かう為、部屋を出て行った。