第1話
「ありがとね、夜鳶くん」
「別に構わん。僕だって、報酬を貰っているわけだからな」
じゃーねー、という言葉と共に、女生徒は部屋を去っていった。
広くはない部屋だ。
壁側に並んだ本棚と、それを埋める本があるからか、どこか圧迫感を覚える部屋だ。
そして、残っているのは、一人の少年。
奥の机にノートパソコンを置き、しかしそれを見ずに、椅子に腰掛けて文庫本を読み始めている。
頭頂から一房、髪の毛が飛び出ており、表情は笑み。
座っている為分かりにくいが、高くはないが低くくもない、言うならばやや高いぐらいの背と、細い身。
つり気味の目を細めている彼の名を、夜鳶月珂という。
「とりあえず、今日はもう終わり、か」
空が朱の色を帯び始めた頃、月珂は、読んでいた文庫本に栞を挟み、閉じた。
そして、それを鞄に直し、席を立つ。
そんな時だ。
コンコン、という、この部屋の戸を叩く音がした。
「……ま、いいな。入ってもいいぞー」
立ち上がった体を戻し、戸の向こうにいる誰かに向かって声をかける。
失礼します、と言って入ってきたのは、一人の少女だった。
「ふむ、これはこれは、生徒会副会長さんか」
「私を知ってるのか?」
「まあね。君はこの学校じゃ有名だし」
言いつつ、手振りで、どこかに座るよう促す。
そして月珂は、電源を切っていたノーパソを再び起動させる。
それが起動するまでの短い時間で、入ってきた彼女と会話し始めた。
「それで? 本日はどういったご用件かな、生徒会副会長さん。少なくとも、君の浮ついた話は聞かないけど」
「……ここに私が来たという時点で、どういう用かは検討が付いているのだろう?」
「そりゃあね。というより、ここにはそういう用件がある人しか来ないし」
「それもそうだな」
そうしていると、ノーパソも使えるようになった。
月珂は、その中から、『生徒データ』というファイルを開いた。
「さて、とりあえず、君のことについて、僕が把握している分について確認させてもらうけど、いいな?」
画面を見つつ、
「光織星羅。本年度生徒会副会長。成績優秀、運動神経抜群、眉目秀麗、何でもありの、学内人気トップクラスの女生徒。長い黒髪と、堅苦しい口調が特徴。たまにドジを踏む。女子からの評価。『憧れの姉と、手のかかる妹を足して二で割った感じ』。男子からの評価。『高嶺の花。ただし無乳』」
「む、む……っ!?」
「僕は知っている限りを言ったまでだ。評価については知らないね。でも、本当のことだろう?」
そこで月珂は、その平らの胸元を見て、その女生徒――――星羅の顔を見た。
「別にそれはどうでもいいだろう!?」
「……やーいやーい。むにゅー、まな板ー、かべー、ぜっぺきー」
からかうように月珂が言うと、
「ひっ、人が気にしていることを、わざわざ言わなくてもいいじゃないかっ!」
星羅はその目に涙を浮かべながら、悲痛に叫んだ。
それを聞いた月珂は、にやりと口元を歪める。
「はっはっはっは。なに、ちょっと言ってみたかっただけだから。別に気にしなくてもいい」
「今しがた、気にしてると言っただろう!?」
「ふははははは!」
笑って誤魔化した。
「さてと、話を戻そう」
「君が逸らし始めたのではなかったか……?」
浮かんだ涙を拭いつつ、星羅は抗議するも、月珂はそれを無視した。
そして立ち上がり、大仰な手振りで、言葉を発する。
「それでは……ようこそ! 我が部活、恋愛相談部へ!」
口元を弧にしながら、月珂は星羅を、歓迎した。
「それで、君は一体、誰との恋を成就させたいんだ?」
「その前に、一ついいだろうか」
席に座り直して、月珂は、話を聞く態勢になった。
だが星羅からの一言に反応する。
「なんだ?」
「まずもって訊くが……」
そこで彼女は、しばし逡巡の色を見せたが、それもすぐだった。
「――――君は、どうしてこの部活をしているんだ?」
根本的な問い。どうして、という質問。
ここ、恋愛相談部は、数日後に入学する新入生を除けば、知らない人はいない、というレベルの部活だ。
なぜなのか。
簡単だ。
――――絶対に叶うから。
その名の通り、ここは恋愛に関する相談を受け付ける部活だ。
そして、請け負った仕事は、必ず達成させてくるのだ。
しかも、部員数一人で、だ。
たった一人でここまでのことをやってのける部活だ。知らない人はいない。
では何故、部員数が増えないのか。
「簡単なことさ」
月珂はその問いに、即答した。
息を吸い込んで、――――即ち、
「――――恋愛とは、最高のエンターテイメントだ! 見ていてこれ程楽しい物は無い!」
だからだ、と言い切る。
部員数が増えない理由の第一が、これだ。
つまり、唯一の部員がこれだから。
勿論、月珂自身が先生に頼んで、入部を断ってもらっているというのもある。
だが、それ以前に、彼と言う為人を知っている者なら、入ろうとしないのだった。
「嘘だな」
しかし星羅は、月珂の叫びを、一刀両断した。
「……ほう?」
「私の特技を知っているか? 私の特技は、」
「嘘を見抜く、だろう?」
星羅が、軽く目を見開いた。
「さっきは言わなかったが、それについても調べてあるぞ」
「……そうなのか。だが、ということは、その的中率も知っているな?」
「勿論」
九九パーセントだろ……と、月珂は続けた。
星羅の特技、嘘を見抜く。
驚異的な的中率を誇るそれは、彼女を少しでも詳しく知っていれば、誰しもが知っているものだった。
「ああ、どうやらそうらしい。まあ、私の場合、嘘どころか、嘘を『隠すことを隠す』というのも分かるからな」
「そうかい」
軽くいなすと、星羅はどこか不満気な表情を作った。
「さて、もういいだろ。こんな奴に言いたくないのなら帰れ。どうしてもと言うのなら、早く用件を言ってくれ」
「それもそうだな」
星羅は一つ咳払いし、姿勢を正す。
そして、口を開く。
「私が今回、依頼したいのは……会長に、私を異性として意識してほしい、だ」
「生徒会長?」
月珂が訊き返す。
さらに疑問に思ったことを、再度訊く。
「異性として意識してほしい、と言ったか?」
「ああ」
星羅は肯く。
月珂は、意外、という感情を得た。
ここに来る依頼者は、常に、『○○くん(もしくは、さん)と恋人になりたい』といったものだった。
勿論、そればかりでは無かったが、今回のように、あまりにも初歩のことを頼む人はいなかったのだ。
「……まあ、いいか」
そういう人も中にはいる、ということだけだ。
月珂はそう結論し、再度、ノーパソからデータを探す。
今度は、件の生徒会長について。
そして出てきたのは、
「ふむ……生徒会長、新田甜輝。生徒からの支持率が高く、何でも完璧にこなす超人。男子学内人気一位。しかし色恋話は無く、寧ろそれらには関心が無い様子。堅物。超堅物。女子からの評価。『格好いいけど、逆に好きになれない』。男子からの評価。『良い奴だけど、憎たらしい』……か」
「……そういう情報、どこから集めてきているんだ?」
「人伝」
素っ気無く返し、考える。
無論、これくらいの事なら、調べずとも把握はしていた。
が、改めて見ると、何とも難しい人物であった。
というのも、今までの間に、彼と恋仲になりたい、という女生徒はいなかったのだ。理由は先述の通り。
だから今回は、初めての相手である。
再度、星羅の方を見やる。
「な、何だ……?」
長い黒髪。整った顔立ち。
胸は無……薄いが、高過ぎない身長。
「…………」
いけるか?
それが今、月珂の中にある思考だ。
いくら堅物とはいえ、異性として意識させることぐらいなら、彼女なら可能か、ということだ。
そのまま、数十秒。
恥ずかしそうに身動ぎする星羅を見つめ続け、
「……よし」
一つ頷く。
「いいだろう。その依頼、請け負う」
不敵な笑みを浮かべて、言う。
「僕の名において、その依頼、絶対に遂行してみせよう」
さて、と月珂は言った。
「とりあえず、調べるから、もう帰ろう。明日、また来い」
「う、うむ。分かった」
ノーパソの電源を落とし、鞄を持って部室の外に向かう。
慌てて付いてくる星羅が出るのを待って、鍵をかける。
そして、月珂は職員室へ、星羅は靴箱へと別れた。