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扉を抜けるとそこは異界でした。
「ねーちゃん……何やってんの……?」
ベッドの横で寝巻姿のままのねーちゃんが、何やら巨大な窯――いや、寸胴鍋を木ベラでかき混ぜていた。……何の儀式だ。
「あら、彰ちゃん。いらっしゃい」
「ああ、うん。おはよう。で、それ何やってんの?」
目の前には何処から持ってきたんだが長机。その上では何の冗談かガスコンロがメラメラと燃えて、寸胴を蒸かしている。内側からはぐつぐつと何かの煮える音。その様子、さながら現代の魔女工房。
「昨日買ってきて貰った小豆を煮詰めてるの。おはぎを作ろうと思って」
どや! と何故か胸を張る紫ねーちゃん。というか、病院側もよくこんなことさせたもんだな。
「はあ。しかし、何でまたおはぎ……」
と、そこまで言って、ああ、またかとか思ってしまった。そろりとねーちゃんの方に視線を送ると、案の定にっこりと笑って言うのだった。
「彰ちゃん、お願い」
■
保冷材と一緒にしていたおはぎの包みを解いて、祭壇に供える。そのままとはいかないので、一応包みを下に敷いた。
にわか知識に柏手を付いて礼をする。あいつの話じゃ神様は居ないってことだが、一応、形式だ。
「はぁ……、しかし良い様に使われてるよな」
見ての通りではあるが、今度はおはぎのお供えを頼まれた。昨日までで神社の様子見に掃除、それからかんざしのお供えも一応は完了している。
そんな状況である。流石の俺も今朝はねーちゃんを問い質したのだ。おはぎ届けたら今度こそ話を聞いてくれるのかと。しかしそこはねーちゃんだ。
『むむむ。行ってくれないと、聞いてあげないわっ!』
である。
行かねーと話は聞いてくれねーのである。そしてそれは行ったら聞いてくれると言う意味でもねーのであるわけです。ねーちゃんマジドS。
本当、最初はどうだったか知らないが、今では完全に使い走り状態である。それでもお使いを引き受けている辺り、俺も大概お人好しだと思う。まぁ、他に出来ることも無い。とにかく今はこつこつとお使いポイントを貯めるだけだ。そいつでねーちゃんの良心に訴えるのだ。何か小狡い気もするが、浅見彰吾、手段は選ばぬ。選んでおれぬ。
「もむもむ、まぁ、そこはほれ、ぬしゃ単純で阿呆じゃから、んぐんぐ、扱い易かろうよ。クハハ」
「ああ、うん、そうなんだよねー、俺単純だから……って、うるせーよ」
いつから居たんだか、俺の独り言に外道丸が返した。ついでに言っとくと阿呆は余計だコノヤロウ。
声の聞こえた方へ顔を上げると、祭壇の陰からひょこっと顔を出して、何やらもごもごやっている。主に口を。
「って、おぉーいっ!? おま、何食ってんのっ?」
「んお?」
首を傾げながら、さらにそいつに手を伸ばす。
「それだそれー! 今手に取ったやつう!」
「お? おお。おはぎ? もぐ」
また食った。おい、もう半分無えじゃねえか! 掃除機か!
「おいい! だからもう食うのやめろっつうの! 何で勝手に食うの? 何なの? 馬鹿なの?」
「誰が馬鹿じゃ! けちけちするでないわ、別に減るもんじゃなし」
「減ってるからね! おーまーえ、それ神様へのお供えものなの、妖怪の餌じゃねーの、ちょ、おま、また! それ離せこのっ」
言ってる傍からおかわりとか。断固阻止である。
「にゅぐおぉー、はーなーさーんかー」
ぎりぎりのところを羽交い絞めにして取り上げると、未練たらしく喚いて見せた。どんだけ食い意地張ってんだよこいつは。
「ぬしは昨日言うたことをもう忘れたかよ。阿呆め。良いか、此処に神は在らんのだ。其処へ食い物なぞ供したところで何処へも届きはせんのだぞ」
「う、む、そりゃそうだけど」
言われてみればもっともな意見。しかし、それじゃあ俺はどうすれば良かったのか。あと阿呆は余計だ。
「じゃからほれ」
そんな考えに緩んだ手をすり抜けて、外道丸が振り返った。差し出した手には食いかけのおはぎ。
「腐らせるよりは、食えるものが食うてやった方がこしらえた者の為じゃろ。お前も食うたら良いわ」
鍋に向かっていたねーちゃんを想う。一から作ってたんだよな、これ。
「分かったよ、俺も貰う」
何か、昨日から同じ様な道理で丸めこまれている気がするが、まぁ、良いだろ。
「クハッ、おうおう、食え食え」
――但し、食いかけじゃねえのをな。
「なぁ、ここの神様は何で居なくなったんだろうな」
ふと浮かんだ疑問を、何の気なしに投げかける。おはぎを平らげて暫く、床をごろごろやっていた外道丸がのそりと体を起こした。眠たそうな目でこちらを一瞥して「さあの」と答えて、
「……ただ」
と、すぐにそう続いた。
「あれはこの地由来の神よ。村ひとつ杜ひとつの土着の神よ。守るべき村はもう無い。見守るべき者はもう無い。信仰を寄せる者ももう無い」
呟く顔は、扉の向こうへ向けられていて、その瞳はたぶん、鳥居を越えて湖の底まで向けられているんだろう。そうして最後に、こう付け加えた。囁く様に、小さく。
「……ひとりは、寂しかったんじゃろ」
その表情が、声音が、言葉通りに酷く寂しげで、
「まるで自分の気持ち話してるみたいだな」
なんて、思ってしまった。
「なっ! ワシは別に寂しうなどないわい!」
途端、がばりと首を回して否定する姿が面白い。完全に図星じゃねえか、ばか妖怪。
「はいはい」
「むっ! ぬしという奴はまだ――」
まったく、あんな顔、こんな顔、されたんじゃな。
「俺さ」
気の迷いも、起きようってもんだ。
「お、おう?」
「もう暫くはこっちに居るんだわ」
「む……? だから何じゃ」
察しの悪いやつ。渋い顔で小首を傾げている。らしいといえばらしいのか。しかし、面と向かって一から十まで言ってしまうのは、中々気恥ずかしいかもしれない。
「ああ、いや、えっとさ、こっち居る間は、その、毎日ここ来るよ、俺。だからさ――」
――その間は、ひとりじゃないだろ。
頬を掻きながら、流石に最後のあたりはごにょりと濁した。ちらりと当の外道丸の顔を盗み見ると、首を傾げた姿勢のまま両目をぱちくりとしている。
あ。これ、理解した途端馬鹿にされるパターンだろ。ああ、そうとも。気の迷いだ。夏の日差しの悪戯、魔が差したのだ。さあ、こい。失礼妖怪め、受けて立ってやんよ!
……などと、身構えて待つも、カミソリみたいな切り返しは始まらなかった。
「……外道丸さーん?」
改めてその顔を覗き込む。またひとつぱちりと瞬きして、漸く目が合った。すう、と小さく息を呑む音。ここへ来てやっと、言葉を飲み込んだらしい。けど、
「――――っ!」
その反応は予想を大きく裏切るものなのだった。
大きく見開いた目に、わなわなと震える口元。にわかに色付いた顔色は、じわじわと赤味を色濃くしていって、あっという間に耳まで真っ赤に染まってしまった。
――あれ? 何この反応。
「おーい?」
「なわ!? ななな、何を言うかと思うたら、ふふふふ、ふん! 何故ぬしの様な奴の顔を毎日見ねばならんのよ、煩わしい!」
声を掛けると跳ねる様にそっぽを向いて、憎まれ口を叩き始めた。しかし、髪の間から覗く耳が相変わらず真っ赤っかで、思わず噴き出しそうになる。ぐっと堪えて様子を見ていると、
「ま、まぁ? また手土産のひとつも持参するなら、迎えてやらんこともないがの!」
と続けた。それらが照れ隠しなのは明白で、不覚にもその様を可愛いな、なんて思ってしまった。
まったく、へったくそ。
最後に「はいはい」と適当に返事をして、神社を後にした。別れ際小さく「小僧め……」とか拗ねた様な声が聞こえて、またくすりとした。
――本当、変なやつ。