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 しつこい様だけどねーちゃんが奉仕していた神社は小さい。これといった名称すらなく一応村の名前で呼ばれたりはしていたのだが、愛称みたいなものだ。祀られていた神様も正直よく分からないくらいで。そんな極々些細な土着のものなので、設備もとても簡素なものだ。

 建物は拝殿が無く本殿のみ。あとは鳥居と賽銭箱に手水舎があるだけだ。

 数少ない設備である賽銭箱の脇を抜けて、本殿の扉をそっと押す。ぎぎ、と軋む感触を返して、気怠げに奥へと引っ込んでいくそいつを追う様に足を踏み入れた。

「のうのう」

 内側は降り積もった埃で酷いことになっているものとばかり思っていたのだが、空気は意外と綺麗なものだった。

「ああ、そこは……」

「うおっ!」

 バリバリッと枯れ木が砕ける様な感触と共に右半身が沈んだ。見れば床板を踏み抜いた右足が足首の辺りまで飲み込まれている。

「これは酷いな」

「じゃから言うたのに、阿呆め」

「これは報告し辛いな……」

「……のう」

「一応祭壇は問題無さそうだな」

「こらーっ!」

 背後で喧しくしていた幻聴が、遂に爆発した。

「……はぁ。なんすか、えーとゲドーさん?」

 観念して振り返ると、幻聴が形を成してそこに居た。顔を真っ赤にして何やら憤懣やるかたないといったご様子だ。

「げ・ど・う・ま・る、じゃ! 何じゃお前は! 先程からひとの話も聞かずにぶつくさと。聞こえておるなら返事ぐらいしたらよかろう!」

「あーはい。すんませんした、げどーまるサン。で、なんすかね」

 真っ黒な着物の袖をばっさばっさと振り回しながら憤る、自称妖の少女に面倒くささを隠すことなく応じる。

「え、いや、その、小僧よ。お前、もうちょっと、こう、何かあるじゃろ。ワシゃ妖ぞ。畏れるとか命乞いとかそういう……」

 腑に落ちない、と形の良い唇をへの字に曲げて、よく分からない抗議を投げつけてくる。そう言われても一体お前の何を恐れろというのか。

 目の前の少女を改めて眺める。見た目俺と大して変わらないくらいの年頃。くたびれた様子の着物は、外で見たときと変わらず真っ黒で、帯まで黒い。白い肌がそれとは対照的で、薄暗い場所では輝いている様にすら見える。どこか妖艶な雰囲気があるのが、何か悔しい。よく分かんないけど。

「おい! 小僧、またお前……!」

「ああ、いや、聞いてますよーはいはい」

 まじまじと覗きこんだ赤い赤い宝石の様な瞳が、また怒りに燃えるので観察を中断する。

「ええと、何だっけ? ああ、命乞いしろだっけ? どうして。なに? オレ、オマエ、マルカジリとか言い出すのか? おお、怖い怖い」

「ぐぬぬ……! まったく本気にしとらんな、このたわけめぇ……っ」

 いや、正直な話、こいつが妖だか妖怪だかというところを疑ってはいないのだ。自分でも不思議なことなのだが。まぁ、鳥居から平気な顔して飛び降りて見せたあたりで普通じゃないことは一目瞭然だったわけだけど、それだけじゃない、という気もする。ただ、もしかしたら夏の熱気が見せたアレな幻なのでは、という儚い希望が無かった訳でもないので、スルーを決め込んでいたのも事実だ。無駄だったけど。

「分かった。ならば証を立ててくれるわ」

 俺の態度が気に入らないらしい自称妖は、ふんすと鼻を鳴らして境内へと向けて歩き出した。数十センチにも渡って床に垂れた、長い長い黒髪が引き摺られていく様子をぼーっと見送る。いいのかアレ。

「おい! 何しとる小僧、こっちゃ来んか」

「え、ああ、俺も行くの」

 じりじり灼ける太陽の下、両手を腰に待つ少女に言われるまま、やれやれと本殿を出る。暑い。

「で、どうすんだよ」

 俺よりも頭一つ近く背の低いそいつを見下ろしながら問いかける。むっすりとした顔を上げたと思えば、急に口の片端を釣り上げて見せた。

「クハッ!」

 あ、厭な予感がする。と思った時には手遅れだった。いやらしい笑みを見た段階でがっちりと両手を掴まれ、その驚く程の力の強さは体中の血液を氷点下へ叩き落とすには十分だった。

 そして例の笑い声と共に体が、浮いた。

「ちょっ、待っ――」

「クッハハハハハッ!」

 腕を抜けていく遠心力。腹の底から内臓を揺するGの衝撃。ぐるぐると廻る視界は色とりどり溶けて混ざって。次にやってきたのが、一瞬の無重力感だった。

 制止した視界に杜と神社を俯瞰する。俯瞰する。俯瞰……するっ!?

「ちょ、おい、嘘だろっ!」

 詰まる所、俺は宙を舞っていた。四、五十メートルは下らない。このまま落下などした日にはまず命は無い。考える間にも体は成す術無く自由落下へ移行する。真下に来ていた赤い鳥居がぐんぐんと近づいてくる様子が、どこか現実離れしていて、脳髄を麻痺させていく様だ。

 何も出来ないまま肉薄する鳥居を前に、ぐっと目蓋を閉じた。こういう時に見るんだろう走馬灯というやつは見えず、

「ぐえっ!」

 という潰れたカエルの様な声を、自分の喉から聞いた。

 全身を襲う筈だった衝撃の不在に、恐る恐る目蓋を開く。ぼやけた視界には、ぷらりぷらりと踊る自分の両足と、地面から伸びる鳥居。

「うわっ!」

 結局まだ俺の体は宙に浮いていて、

「クハッハハ。人の身で空を舞った気分はどうじゃ?」

 顔を上げると真っ黒の妖怪女の姿があったのだった。

 鳥居の上、腕一本で軽々と襟首を掴み上げたまま、得意げに口角を釣り上げる。長い長い黒髪は風にたなびいて。

 客観的に見て、大変遺憾だが格好良い様である。極々主観的な意見を言わせて貰うなら、べらぼうにムカつくドヤ顔だった。

「ああ……、最高にハイってやつだな」

 高さ的な意味で。

「クハッ! 信じる気になったかよ」

「イエスイエス、もうバッチンコ信じたのでそろそろ降ろして頂けると大変嬉しいのですが如何でしょうか外道丸さん」

 こんな目見せられなくても最初から信じてたっつーのという話ではあるのだが、言ったらまたどんなジェットコースターに乗せられるか分からないし、何より一秒でも早く大地へ帰りたい。ほら、僕等みんな重力に魂縛られてるし。地球大好きだし。

「ハッ、端からそう言うておれば良いのよ小僧めが」

 最高に機嫌良さそうにそう言って、鳥居の方へと引き戻された。

 ――勝ち誇った表情で笑うクソ妖怪。そいつに担がれて大地に降りたこの日の屈辱を、俺は生涯忘れないッ!



「此処に祀られておった神? さあの、見ての通り不在じゃ」

 外に比べればいくらか涼しい本殿の中で、外道丸はあっけらかんと質問に答えた。

 インザスカイの後、なし崩し的に話をすることになった。別に何をというわけではなかったのだが、神社の様子を見に来た俺に、そこをうろつく妖怪娘。居合わせている以上会話無しとは中々いかない。……無視した結果があれだったしな。

「何で神社に神様が居なくてお前みたいのが居るんだよ」

「ワシが知るものかよ。主が在らんのだから好きに使わせて貰うとるだけのことよ。斯様なボロ小屋でも雨風くらいは凌げるからの。クハハ」

 バチ当たりなことをのたまいながら笑う外道丸を横目に、俺の気分は重くなる一方だった。

 ねーちゃんの愛した場所に神はなく、あろうことか妖怪クハクハ(俺命名)が住み着いている始末である。どう報告しろというのか。つうかお前は胡坐やめろ。ちょっと見えそうなんだよ。

「ぬしの方こそこんなボロ小屋に何の用か。氏子ということもあるまい」

「別にお前にゃ関係無えだろ。つうかここ神社だぞ、妖怪は出ていけっつーの」

 ねーちゃんが泣くだろコノヤロウ。

「むっ! 何じゃその言い草は。それこそぬしには関係の無い話よ。用が無いなら早々に立ち去るがよいわ! ぺっぺっ!」

「言われなくても帰るっつーの! じゃあな!」

 デカイ態度のクソ妖怪に言われるままっていうのが実に気に食わないが、様子を見てくるという紫ねーちゃんからの頼まれごとは完了している。これ以上ここにいる理由も無いわけで、可愛げのないアホ妖怪の相手をしてやる義理も無いのである。

 本殿を抜けて裏手――元来た道へ向かう途中で、頭の上から声が掛かった。

「二度と来るなよエロ餓鬼めっ」

「誰がエロ餓鬼だ!」

 見れば屋根の上で片膝立てて笑う姿があった。だからお前見えそうなんだよ。

「ほれ、先よりひとの肢をじろじろと眺めておるじゃろ。まったく助平めが」

「なっ――、ばっ、おまっ!」

 完全に図星だった。

「クハハッ! すーけべえ、すーけべえ、やい、すーけべえ。早ぅ帰れー」

 けらけらと愉しそうに歌い囃すクソ妖怪。ガキはお前だろ!

 しかし俺は大人なのでその場で言い返したりはしない。余裕たっぷりに石段まで歩き、振り返る。

「誰がそんな貧相な足なんぞ見るかボケェ! お前こそとっとと神社から出ていけ! 阿呆妖怪! バーカバーカ!」

「なっ! ななな、何じゃとぅ!」

「ハッ! アバヨ! バーカ!」

 そのまま颯爽と石段を駆け下りる!

 ヒャッホウ! ざま見やがれ!



 …………まぁ、なんと言うか、俺も大概だった。 

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