銃弾の仕組み 7
兵士達は反射的にその命令に従った。
しかし遅れた一人の兵士は、女の背中を破って現れた巨大な虫の節足に貫かれた。最新鋭の防護服、ショットガンから受ける衝撃すらほぼ全て吸収しきるはずのその防護服は、巨大な細剣のような足から持ち主を守りきれず、正確すぎるほど正確に男の心臓に向かった。
兵士は咄嗟に急所を逸らすが、人の腕より太い細剣で身体を貫かれ、あっという間に兵の目からは生気が失せ始める。口唇からどす黒い液体が流れ落ち、貫く剣足に靠れかかる。
他の兵士が救助に向かう。
が、もうまともに近づける状態ではなかった。
女の四肢が四方に弾け、そこから数本ずつ計八本の節足が生えてきた。体の局部的な膨張によって裂けた女の肌はボロ切れの様に打ち捨てられる。見る間に姿を現したのは戦闘装甲車両一台分あろうかというほどの巨大な蜘蛛だ。毒々しい黄色と黒の縞が鋭い突剣を連想させる節足を覆っている。体には朱色がアクセントになっている緑色の甲殻、最後に破けた女の顔からは八つの単眼が光る蜘蛛の頭部が押し出される。
「距離を取れ!」
バンドが怒声を放つ。
蜘蛛が皮を脱ぎ捨てている間に男達は後ろに飛び退り、鍛えられた動きで走り出す。牽制の銃弾が脚に刺されたままの兵士を避けて高速で放たれる。だが、緑の甲殻に小さな傷を付けるだけだ。
『何があった!』
無線の奥からナユタの声が響く。その声には先程の疲れなど微塵も窺えない。
「〈蟲人〉が集団の中に紛れ込んでやがった!」
『―――!そっちにニライが行くまで耐えろ!』
「……早目に頼むぜ」
バンドの声が少し沈む。
五人いる女全員が最初の蜘蛛にならって姿を変容させ始めていた。
「〈蟲人〉が五体……」
「余り笑えないですね」
バンドの後ろで眼鏡をかけた遮光性のあるガードを下し、目の前の光景を注視していた。
「冗談じゃないからだろうな」
バンドが部下に再度怒号を飛ばした。
「すぐにニライがくる。それまで持ちこたえろ!」
バンドは半ば自分に言い聞かせるように大声を張り上げる。
一番先に皮を捨て切った〈蟲人〉が、脚にしがみついた兵士を無造作にバンドたちの方向に投げ捨てる。そして、それを追いかけるようにバンドたちのいる方向に突進してきた。八本の足を器用に使う移動方法は実に現実離れしている。
バンドは後ろの部下に飛んでくる兵士を任せ、向かってくる蜘蛛を正面に見据える。
部下が自分の真上を通過した瞬間、顎が外れたのかという程に猫の口が大きく開いた。口の奥には中を窺うことのできない闇が広がり、全てを飲み込む地獄の入口が顕現したかのようだ。
だが、その口は何も吸いこまない。
爆発音と紛うほどの空気の膨張音が鼓膜を揺らす。
口から地獄の釜が沸く程の灼熱が吐出された。
超高温のため炎の色が白く見える。床の石畳が溶けた。
人間から発せられる、いや工業用としてもあり得ないような灼熱の炎が突進してくる蜘蛛の体に直撃する。
〈蟲人〉は地獄に呑み込まれ、周囲の温度が急上昇する。人間なら体内の水分が沸騰し蒸発する過程が同時に訪れるはずだ。だが、鉄壁の甲殻を持つ〈蟲人〉は苦しみの奇音を立てて転げ廻るだけだ。その〈蟲人〉に追撃の炎を吐くべく狙いを定める。しかしニ体の〈蟲人〉がバンドを妨害するように巨体を奔らせ、一体が粘着性のある網を放つ。バンドは舌打ちと共に飛び退く。後ろで散開していた者らは捕食の糸による襲撃を回避すると、その間隙をぬって固い甲殻で覆われていない八つの単眼を狙う。
狙撃手の様な精密射撃に、堪らず二体の蜘蛛が後ろに下がる。だが、兵士たちも捕食糸が広く放たれれば銃撃を止め後ろに下がるしかない。
バンドが一体の〈蟲人〉に手の平を向ける。その真ん中に機械音と共に銃口が現れ、白熱した無数の銃弾が蝱の様に飛出。熱を纏う凶弾が重低音と共に甲殻を深く食い破る。
だが、動きが鈍った〈蟲人〉への追撃は展開できない。恐ろしい敏捷さで三体の〈蟲人〉が迫ってきたのだ。大きく跳び退ることで攻撃を回避するがその着地点に向けて攻撃に参加していなかった〈蟲人〉が粘性の強い網を広げる。バンドは足に絡むその網を口からの灼熱で焼き払う。バンドの足はその灼熱に晒されても全く損傷が見られない。距離を詰めてきた蜘蛛が死の突剣と化した足を二本バンドに向けて突き出した。顔を上げたバンドには避ける暇などない。バンドは一本を手首で反らし、一本を掴んで押し留める。
二つの存在が衝突する大音響が周囲に圧力を生む。蜘蛛の巨体をバンドの全身が押し留め、二人の動きが止まる。数瞬の攻防の末、バンドの膂力が巨大な蜘蛛の質量に打ち勝ち真上から突き出された三本目の足を紙一重で回避、反撃に転じようと掌を向けるがその時には〈蟲人〉はバンドとの距離をとり、壁に張り付いていた。
五体の〈蟲人〉による三次元的な動きの性で狙いを合わせる事が出来ない。〈蟲人〉の交戦とは、分厚い装甲を持ち上下左右に飛び回る戦闘用装甲車両との交戦と同義なのだ。数人が自分の背嚢に手をやる。それを見たバンドは、手を振って制した。
バンドは炎を点でなく面に対して吐きながらゆっくりと下がってゆく。残っている周囲の建物の窓ガラスは融け、石が焼ける不快な臭いが一気に立ち込めた。
一匹が薄くなった炎の壁を甲殻で押し通り、巨大な砲弾の様にバンドへと襲い掛かる。バンドは慌てて口を閉じると横に転がるようにして辛うじて直撃を避ける。
「―――っ!」
だが、バンドの移動した先には蜘蛛の網が張ってあった。
その時バンドが見たのは、バンドが抵抗できないタイミングで攻撃態勢に入っている〈蟲人〉、
蜘蛛の糸に捕らわれて動けない自分の体、自分と部下との絶望的な距離。
そして、自分の方へ飛箭の如く疾る漆黒の投槍と、白銀に輝く切断の光だ。