(三)
「ありがとうございました~」
後ろからやってきた50代くらいの男の店員の声と一緒に、俺と単衣はコンビニから出た。右手には今日の夕飯である唐揚げの入った弁当とサンドイッチが二つばかりが入ったビニール袋をぶら下げながら、蝉の鳴き声に包まれた道を横一列になって歩いた。
車道側を歩く単衣の両手には先程まで袋に入れていたアイスがぶら下がっており、「どちらがいい?」と聞いてきたので、右手に持ったあずきのアイスを指名したら、「これは私が食べるから君はこれにするんだ」と、左に持ったサイダーのアイスの袋を開けると、俺に手渡してきた。
いや、だったら選ばせんなよこいつ...
俺は黙って単衣からアイスを受け取って齧った。サイダー特有の甘さと、中に入っている細かい氷の冷たさが口に広がる。夜に近づいているというのに、未だ衰えることのない暑さも少しは紛れそう。
「うむ、やはりアイスは良いものだ」
隣で汗ひとつ掻いていない単衣があずきアイスを齧りながらそう言ッてくるのを見ると、なぜか憎らしい気持が沸々と沸き上がってくる。つーかお前昼に俺のアイス喰ってたろ?どんだけ喰うんだよ。込み上げてくるなにかを飲み込むかのように、俺は手に持ったアイスを歯で削っていく。熱が溜まって来た背中に文字通り「熱さ」を感じながら、足の回転を少し早めた。
「ところで君は今日の夜、どこにいくのだ?」
通り過ぎた電柱を区切りにしたかのように、単衣が急に行き先を聞いてきた。声と共に「シャリシャリ」とアイスを齧る音も聞こえてくる。家でもそうだが、一応女の子なんだから食べながら話すなよ。大声で言いたいのだが、こんな道中で「独り言」を言う気にはならない。道路の向かい側からスーツを着た中年のサラリーマンが後ろに通り過ぎて行った。人がいないことを確認した後、俺は小声で答えた。
「...下塚にだよ」
「下塚?」
アイスを齧りながら単衣は聞き返してきた。先程まであったあずきアイスは、すでに4分の3は姿を消している。
「あの山と畑ばかりのところにか?君も変わった奴だな。虫取りにでもいくのか?」
あまりに違う目的に、単衣の方を向いて思わず声を出す。
「なんでこの歳で虫取りにいかなきゃならねえんだよ?俺は・・」
言葉を続けようとした俺の視界に、4,5人で歩いてくる女の子たちが入ってきて、慌てて言葉を止めた。さっきから単衣と普通に会話しているが、キモノケである単衣は大抵の人には「見えない」。
そのため先程までの会話は、俺からは当たり前のように見えていても、道行く人には「誰もいない場所を見ながら一人喋っている変な人」に見えるわけだ。去年の夏はまだそれが分からず、外で大声で喋っていたところをおばさん方にぬるい目で見られたのは記憶に新しい。それで単衣と外を出歩く際は、極力喋らないようにしているのだが。
女の子たちは部活の帰りなのか、全員同じ色の短パンと、胸のあたりに何か英語で書かれたシャツを着て、楽しそうに喋っている。背の高さを見ても分からないが、顔を見る限りは高校生じゃない。たぶん、近くの中学生だろうか。
そんなことを考えていると女子中学生たちが俺の横を通り過ぎていく。俺もあまり見ないよう見ないよう、心を無心にしながら彼女たちの横を抜けていった。
その時、女子中学生の一人が単衣の肩にぶつかった。
「・・・・・?」
俺に触られたと思ったのか、女の子が通り過ぎていく俺の方に顔を向けたのが僅かに見えた。もちろん俺がぶつかったわけではない。ぶつかったのは隣でアイスを食べ終えたこのおかっぱ少女である。
しかし単衣は涼しい顔で、あずきアイスの棒を口に入れてコロコロと動かしているだけ。
偶にこういう事はあるが、これを見ると、改めてこいつが本当に「見えていない」と「人間じゃない」と思わされる。中学生の集団と距離が離れた所で、単衣がアイスの棒を口から出すと、俺の方に顔を近づけた。
「で...なんであんな辺鄙なところにいくのだ?」
こいつなりの配慮なのか、先ほどよりもずっと小さい声で聞いてきた。話そうとしたが止めた。もう家も近い。
「・・・・・家でな」
ポツリとつぶやいた時、横にしていたアイスの下半分が地面に落ちた。
****
下塚とは三塚町の北側にある地区の事で、昔から田んぼや畑が多い場所だ。
この町は大きく分けて三つの地区に分かれており、北側の下塚、南側の上塚、そしてその真ん中に中塚がある。ちなみに、我が家のある場所は中塚だ。
小さい頃から何度も祖母が話してくれるのですっかり覚えてしまったが、かつて三塚町はそれぞれ上塚、中塚、下塚と分かれていたらしい。
江戸中期から貿易で栄えていた上塚とは違い、下塚は山や森などに囲まれた場所であり、その町の人はもっぱら農業に精をだしていたそうだ。しかし高度経済成長期の頃、下塚では土地開発が行われ始めた。山や森の中にホテルや健康ランドが建ち、田んぼのど真ん中に集合住宅や一件屋が現れた。人口も一時期グッと上がったというが、バブル崩壊と共に下塚町はそのあおりを一気に受けた。
次々と建物は閉められ、町自体が経営危機寸前まで追い詰められた。もちろんそれは上塚や中塚も例外ではなく、下塚程ではないがかなりダメージを受けたらしい。そのことが発端かどうかは分からないが、その後上塚と中塚、そして下塚の三つの町が合併するという案が生まれ、今の三塚町になったということだ。
まあ、合併しても事態が改善するわけでもなく、合併から十数年経った今でも、下塚の畑や森には、当時の住宅や建物が寂しく残っているわけだ。十数年経った無人の家、大人心には時代の名残として心を痛めるのだが、子供心には冒険心を燃やす格好の舞台である。
「お化け屋敷?」
居間の柱に体を預け、単衣は確認するように言った。俺は台所に単衣の分の弁当を置くと、サンドイッチを持って居間へと戻った。
「そ、俺の入っている部活...部活ってわけでもないけど、オカルト研究会てのに入っててな。夏休みの宿題で『心霊スポットを一か所探索せよ!』っていうのがあんの」
単衣の頭上にあった時計に目をやると、針の位置は5時を少し過ぎた場所を指していた。
オカルト研究会、通称オカ研とは俺が通う高校にある同好会の一つ。人数は俺を入れて3,4人しかいないから部活としてではなく同好会扱いとなっている。入学した頃、部活のオリエンテーションでその会の部長に強引に部屋に連れ込まれ、あれよあれよという間に入部が決定してしまったわけだ。別に「ノー」と言えないワケじゃないよ?入りたい部活も特になかったし、単衣の事も調べたかったこともあったので、入ったのだ。まあ、早い時期に部活を辞めていく同級生を見ながら尚、こうして活発に活動に参加しているのだから、ある意味健全。
単衣と向かい同士になって座り、畳に置いていたケ―タイと祖母から貸してもらったデジカメの電池残量を確認する。ケ―タイは電池量が少し無くなってたが、家に帰るまでは十分持つだろう。デジカメの方は満タンだ。なにもないとは思うのだが、「調査書」を書く際にその場所に行ってきたという証拠も出さなければならない。うちのオカ研はそんな所は妙に細かい。
後は懐中電灯であるが、玄関にあるモノを持っていけばいい。これで準備は完了だ。
家を出るのはもう少し後。時間つぶしにとTVのリモコンを手に取り、電源のボタンを押そうとした時、単衣がぽつりと呟いた。
「不思議だな君は」
小さく聞こえてきたのに嫌なほどはっきりと脳を響かせた声は、リモコンの操作をビシッと止めさせた。
「なにがだ?お化け屋敷に行くのがか?」
俺が単衣に尋ねると、すぐに返答してきた。
「君だけじゃないかも知れないがね。人間というものはわざわざ危険な場所へと行こうというのだから、私にとってはほどほど理解できない」
「危険な場所って...そんな大げさなトコロでもないだろうよ。いくらお化けが出るからって...行ったら死ぬわけじゃねえんだし」
リモコン操作を再開すると、「あ、雪駄。ここで止めてくれ」と横からリクエストが入ったのでリモコン操作を停止して畳に置く。画面には犬やペンギンの着ぐるみと3歳4歳程のお子様たちが踊っている姿が映し出されていた。そうそう、俺も小さい頃は画面の前で踊ってた...なんで16の高校生が夏休みに子供番組?
「雪駄。君はもう少し注意を払うべきだ」
「注意?」
「君がこの家に来て幾らか経つが、思った以上に君は力を持っている」
「力?」
「君たちで言う...霊、まあ分かり易く言えば私のような存在を見る力だ」
黙って単衣の言う事を聞いているが、正直良く分からない。そりゃ、単衣が見えたり触れたりするってことは、俺にもいわゆる「霊感」というものはあるのだろう。だけどそれがなんで「危険」だとか「注意」するだとかに繋がる?
単衣はTVに顔を向けたまま続ける。
「大抵の人間は私のような存在は見えないし気づきもしない。今日、道で女子と私がぶつかっただろ?それでもあちらには私の存在は分かっていなかった。それが当たり前なのだ。人間の君と人間ではない私とでは住む世界が違うのだから」
「どこぞのセレブかお前は」
ふざけ半分で返したら後頭部に強い衝撃が襲ってきた。
「年上の話は真面目に聞けと教わらなかったのか。全く」
どうやら単衣が身を乗り出して頭を叩いてきたらしい。頭に受けた衝撃は眼球もグラグラと揺らした。とても年下に見える少女が繰り出した攻撃とは思えない。
「君の言うお化け屋敷に、私のようなのがいるかどうかは分からない。だがもし、いるのだとしたら、君には見えるだろうし気配も感じるだろうさ」
「触れたりも出来る?」
「それが危険なのだ。君ら人間が一人一人違うように、私たちも一人一人違うんだ。君を見て逃げる者もいるし、話しかけてくるのもいれば...」
単衣はそこまで言うと話を区切った。そして一息吸った後、
「殺しにくるのもいる」
「はいっ!?」
「言っただろう?一人一人が違うんだ。君達の中にも殺人を犯す者がいるように、私たちにも『ソレ』はいる」
余りの過激な発言に「この娘何言っちゃってるの?」と思ってしまったが、単衣の目を見て、それは本当なのだと直感的に感じた。
ふと、今日行く場所の噂を頭で思い返す。ますます単衣の言葉に真実味が増してきた。
TVから番組のED曲が流れてくる。子供の寂しそうな歌声がゆっくりと耳に入ってきて、背筋をぞわぞわと震えさせた。こんな時になんちゅう悲しい歌を...あれか、よってたかって俺をビビらしたいのか。
「だから君は気をつけなければならないんだ。私たちが見える君もまた、私たちに見られているのだから」
単衣がそう言って口を閉じた瞬間、悲しい曲を流していた番組が丁度終了して、次の番組へと移った。
時計を見ると出発予定時刻となっている。俺は腹にグッと力を込めると、置いてあるサンドイッチを持って立ち上がった。諦めるのかと思っていたのか、単衣は少し驚いたようにこちらを見ている。
「...行くのかい?君の事だ。あれだけ言ったら『今日はやめようかな』とでも言うと思ったたんだがね」
やはりそう思っていたか性悪妖怪め。だがうぬの思い通りに事は運ばせぬ。
「俺がお前の脅しにビビるとでも?甘いねぇ単衣ちゃん。ここでやめたらオカルト研究会会員及び都会っ子である袴田雪駄の名が廃るってもんよ」
「先日、油虫に大声上げてビビっていた雪駄君の名は既に廃っているだろう」
「...あれはノーカン」
流石に飛んでくる「G」には対抗出来ないさ。
いつものサンダルではなくスポーツ用の靴を履くと、靴棚の上に置いてある懐中電灯を持って玄関のドアを開けた。
店の反対側という事もあり、目の前には車は通れない狭い道が、通りにつながるために横に伸びている。地面はあれだけ太陽の光で白くなっていたにも関わらず、今では影の黒さが目立ってきている。いよいよ暗くなり始めてきた。
ドアの近くに停めてあったママチャリのカゴにサンドイッチと懐中電灯を入れると、自転車を道路に動かしてさっと跨った。ここでパンクしてたらさすがに中止だが、チェーンが少し錆びてるだけで、パンクしてはいないようだ。自転車の鍵を廻してロックを外すと、目的地へとペダルに体重をかけた。
「雪駄、ちょっと待ってくれ」
数センチ動いた後に横を向くと、いつの間に外に出て来たのか単衣が玄関に立っていた。
見送りとは意外だ。
「帰ってくる時、あんまん買ってきてほしい。つぶあんとこしあんの二つ」
「どんだけ喰うんだお前は!」
唯の注文かい。というかこいつは羊羹といいあずきアイスといいどれだけ小豆喰うんだよ。小豆洗いでもそんなに愛着ないわ。
「小豆洗いではない。キモノケだ」
居間でのシリアス(?)な雰囲気は何処にいったのだろうか。「弁当食べて待ってろ」とだけ言うと、今度こそ目的地へ自転車を動かした。