01
「君が死ぬ夢を見た」
明治二十八年九月。まだ真夏の雰囲気を色濃く残した息苦しくなるような夜に、男は突然階下の住人を揺り起こした。布団の中でまどろみかけていた男は眠たげな目をこすり枕元に座っている男の影を見上げ、
「いきなり、どうした」
と返事をした。
「いきなり、ではない。君というものに出会ってから六年間の間、何度も見た」
「まだ君と出会ってそのぐらいにしかならんかね」
「話をそらすんでないよ。俺は幾度となく夢の中で君の死を見たのだ」
「ほう、となれば妙な具合だな」
「何がだね」
「あしは君に、君の夢の中で何度も殺されたことになる」
「それは君、お門違いな文句だよ。俺は殺したくて殺したんじゃあない」
「そうかい。それなら何故君の夢の中であしは死んでしまったのか、その経緯を聞こうじゃあないか」
男はじっとりと湿った掛け布団を押しのけ、影の前に胡坐をかいた。影も男が起き上がった気配を感じとると、正座していた足を崩した。
「あしが死んで、どうなってるんだい」
「たいていの場合、君は俺の近くでは死なない。どこか俺が遠くに、直ぐには君の枕元に駆けつけられないような場所に居る時に、死ぬ。俺は君の死を知らないで、君の死の数日後にぽつりと一通誰かからの手紙が届くのだ」
「そりゃさみしいな」
「今夜は是公とどこか異国にいた。是公と会って、久しぶりに浮かれていたというのに、君の訃報が届く」
「悪かったね」
「急いで帰国したら、君はもう墓石の下にきちんとおさまっているのだ。俺はその前でむっつりと黙り込む」
「あはは、なんだい、君は何時だってむっつりとだまりこんでいるじゃあないか」
「茶化すんじゃあないよ、君。君が死んでいる話だぞ」
「そりゃあ、あしにとっては笑えない話だろうね」
ふと右耳を通り過ぎていった蚊を潰そうと闇の中で手を打った。しかし数秒後、蚊は左側を何事も無かったかのようにかすめていった。
「だが妙なのは君の墓前に立ってもいっこうに君が死んだとは思えないのだ」
「他人の死とはそのようなものじゃあないのか」
「そうかな」
「そうさ。死んだのが親しい者だったら、死なないで欲しい、まだ傍に居て欲しいと願って、それがずっと続いてひょっこりそこらへんから出てくるのではないか、死んだのはそれこそ夢だったのではないかと思うようになる。遠い者だったら会っても会わなくても同じことで、それで実感はわかないものさ」
「なるほど」
「さて、墓前に立ってどうなる」
「いつもならばそれで終わりだ」
「なんだ、君はそんなにつまらない夢を六年間も見てきたのか」
「毎夜ではない」
「そうだったら、さすがのあしも気持ち悪いよ」
「何を言うか。学生の時分にあんな手紙をよこしておいて」
「何の事だ」
「覚えてないとは言わせないぞ。俺が房総に旅行した時のやつだ」
「夏休みだな」
「そうだ。君は自分のことを妾と言い、俺を朗君と書いた」
「なんだい、ただの冗談じゃあないか」
「冗談でも酷いとその後手紙に書いてよこしたろう」
「病床で退屈だったのだよ」
「病床で考えることはろくな事じゃあないな」
「おい君。そしたらあしは年がら年中ろくな事を考えてないじゃあないか」
「それだ。俺が君を夢の中で殺してしまう理由」
着物の合わせ目にじとじとと流れ落ちる汗が浸み込んだ。背骨の辺りでもつい、と何筋か流れ落ちていった。
「あしが床から出れんから、君がそんな夢を見ると」
「そうだ」
「なんて理不尽な物言いだろうね。あしだってなりたくてなっているわけじゃあない」
「分かっている。しかし君、考えてみたまえ。君は病弱なくせに兄貴面をしたがる。万年床から動けないような体で大将だ」
「何の話をしているんだい」
「君が無茶苦茶な男だって話さ」
「その無茶苦茶な男と喜んでつるんでいるのは何処の偏屈だい」
「さあね。それより夢の続きだ」
「なんだ、あれで終わりじゃあなかったのか」
「いつもだったらあれで終わりだ。今夜は違った」
「だからあしを起こしたのか」
「迷惑だったか」
「いや、暑くて眠れないところだったから丁度良かったよ。それで、夢の続きを聞こう」
「うん。俺は墓前に立っている。俺以外に人はいない」
「そりゃ寂しいことで」
「俺はそこで生前の君の事を思い出すのだ。学生時代から始まって、死ぬ直前まで」
「妙な所は何処にもないね」
「それが妙なのだ。君、さっき俺は君が兄貴面をしたがると言ったな」
「言ったね。的をえてると思うよ」
「君は出会ったときからいろんな所へ俺を連れまわしたがって、俺はそれについていった」
「京都に行ったときの君は実に見物だったな」
「何の話だ」
「揚屋とも知らずに店先を歩いてて、そうと知った瞬間飛び上がって道の真ん中を歩き始めたじゃあないか。まるで女を避けるように、おびえてさ」
「笑うなよ。一寸吃驚しただけだ」
「初心な坊っちゃんが何を言う」
「ふん。何とでも言うがいいさ。そろそろ美人な妻でもこしらえて、君を驚かしてやる」
「君に美人な妻かい。こりゃあ傑作だな」
「君に出来るよりは可能性は高いと思う」
「わからんよ。女は看病したがるもんだ」
「それは君、都合良く考えすぎだ。世の中の女子がそろいもそろって君の妹のようにはいかんよ」
「ならば妹のような気質を備えた美人でも探すとするか」
「見つかったら是非紹介してくれよ」
じーわじーわと蝉がどこか近くで鳴き始めた。それが合図だったかのように、二匹、三匹と大合唱が始まった。
「話がそれた」
「何の話をしていたっけ」
「君の性格だ」
「そうだったな。それで、君はあしの事をどんな風に見ているんだい」
「大きな事を言う奴だな、君は。そしておだやかで自身にあふれていて、安定している」
「身体は不安定だがね」
「こころの話だ」
「君は大層不安定だからな」
「うん。そうだ、俺が君にこころのゆれを書き送るのが常だ」
「学生の時分からな」
「しかし夢の中では違ったのだ」
「ほう」
「学生の頃を思い出すとまだ君はピンピンしている。だが歳をとっていくにつれ、思い出される君の顔は泣いた顔や苦しそうな、そんな情けない姿なのだよ」
「大方君の想像の産物だね。あしは君の前で泣いた事は無い」
「泣き顔なんぞ、想像はつくさ」
「君の泣き顔は何度も見た」
「何度も、ではないだろう。あっても一、二回だ」
「そんな事ない。君は実に精神が不安定だもの」
「となると、君」
「何だい」
「俺と君との不安定な部分をあわせたら、どんな男が出来るだろうね」
「唐突だなあ」
「面白いと思わないか。身体も駄目、こころも駄目」
「それで君、生きていけるのかいその男は」
「俺と君だってなんとか生きているじゃあないか」
「この身体で君の性格だったら、あしはいっそ死んでしまうよ」
「俺も君の身体にはなりたくないね」
「お互い持って生まれたものが逆でなくて良かったな」