3 魔法使いの覚悟
「ですから、一緒に城までご帰還をお願いします。国王陛下も、エリアス王子殿下のご帰還を強く望んでおられます」
「参ったな……まさか父上からの使者とは思わなかった」
決死の抗議のお陰で地面に降ろしてくれたエリアス王子に、私は改めて用件を伝えた。
国王陛下の命令で迎えに来た。王子達も城を去ってしまい、彼らも貴方も全員連れ戻すのが私の役目だと。早口の説明をちゃんとは聞き取ってくれたらしいエリアス王子だけど、さらさら髪の頭を掻きながら視線はもう私に向かない。
ゲームではミステリアスな印象の冷たそうな隠しキャラだったけれど、今も私を置いて去ることもできるのに村までの道を一緒に歩いてくれているから、実際は冷たいというほどではなさそうだ。どちらかというと常温……平温といった印象だろうか。
「何故私がここにいるとわかった?八年間一度も気取られなかったというのに」
「ご想像にお任せ致します。それよりも弟君達についてなのですが、まずは第二王子のセシル王子のもとへ……」
「それは断る。私はもう王位を捨てた。弟達も去ったならばそれは父上の技量の問題だろう。セシル達が去ったのは意外だが、自ら去ったというのなら私がどうすべき問題でもない」
お願いしますと、もう一度声を張るけれどエリアス王子は一瞥もくれない。
遭難者だと思い込んだ時の丁寧さが嘘のように、つんと長い足を村の方向へと早めてしまう。幸先良いと思った矢先にまさか一人目で躓くことになるなんて。
彼は精霊落ちでもないし、私の精霊魔法でどうすることもできない。だけど陛下との約束を守る為にも、そして今後の王子達への説得の為にもこの人に協力を得ないと始まらない。
私には、王子達からの信頼がないのだから。
バッドエンドで王子達を精霊堕ちにまで追いやった私が、今更彼らになにを言っても聞いてもらえるとは思えない。我に返すことができても、そこから城に戻ってくれるかどうかは別の話だ。だからこそ彼らの憧れであり越えるべき目標でもあった偉大な兄、エリアス王子の協力が必要になる。
私の言葉は聞いてもらえなくても、今まで消息不明だった兄の言葉ならきっと聞いてもらえる。ゲームでもどの攻略対象者にとっても特別で、一目置く存在で、そして現にダメダメ主人公だった私ですらどの王子達の口からも必ず一度は聞いたことのある存在だった。
「!おかえりなさいエリアス!!」
わっ、と歓声とも言える大勢の声が進行先から急に聞こえ、視線をあげる。
村の入り口がもう見えていた。エリアス王子の帰還に、子どもだけでなく大人まで立ち止まってこちらを向いての大歓迎だ。
エリアス王子が軽く手を上げ、口角だけの笑顔で「ただいま戻った」と言えば、挙って満面の笑みが返された。ただの村の周辺を見回りしていただけだと話していたのに、扱いはまるで英雄の凱旋だ。
何もなかったか、お疲れ様です、食事を用意しているよと、村の誰からも必要にされていることは間違いない。あまりにあっという間に大勢の人達に囲まれ、見えない壁に弾かれるように気付けば足が後退りした。
彼らに一言返すエリアス王子は、そこでくるりと首だけでこちらに振り返る。切れ長なつり目が私を捉え、その口が動かされた。
「私はもうこの暮らしで足りている。村の安全を守るのが今の私の役目だ」
「ッ貴方は村だけでなく、国そのものを守ることができる御方です!」
「すまないが、とうにその言葉は聞き飽きた」
間髪入れない言葉に歯噛みしかできない。
信用なんてあるわけがない。他の王子達と同様、むしろ初対面の彼にはそれ以上に私の言葉なんて信じてもらえるわけがなかった。しかも、……エリアス王子の気持ちは何もわからない。攻略していない私は、ゲームでも現実でも彼のことを知らない。
ただわかるのは、全てにおいて弟王子達よりも遙かに秀でた才能と実力があるということ。誰もが「第一王子の兄上には敵わない」「エリアスと比べれば」「エリアス兄上だったら」と
『兄上は、……とても優しい人だった』
「村には気が済むまでいれば良い。私を説得したいなら止めはしない。ただし、弟達には関わるな」
「!……どういう、意味ですか?」
一年前の言葉が過った瞬間、重なるような現実のエリアス王子の声だった。
淡々とした声に反し、こちらに歩み寄ってくる早足はさっきよりも速い。さっきまで遠ざかっていた筈なのに、逆走するように迫ってくる。村人達も掻き分け、色違いの眼光二色が射抜くようにこちらを刺した。
思わず半歩足が下がったけれど、エリアス王子の足の方が早い。高い身長から、私の眼前にまで顔を近づけてくる。怖いくらいに整った顔立ちと男性らしい高い鼻筋に思わず息を飲むのも束の間に、至近距離の眼光にぞっとして心臓が跳ねた。
ジャキン、と。エリアス王子が腰の剣を抜いたと気付いた時には、もう首に刃を突きつけられた後だった。あまりに一瞬で動きすら見えなかった。
「〝関わるな〟と、言葉の通りだ。弟達は己が意思で城を出たのだろう?国王の命令だろうと決して干渉はするなと、私が〝元第一王子として〟命じている」
チクリとした痛みが首に走った。脅しじゃない、切れ味の良い刃が突きつけた首の皮を一枚切った。細い痛みと血が伝う感覚で、顔に力が入る。同時にさっきまでこちらの様子を伺っていた村人達まで声を漏らし、慄いたのが視界の端に見えた。
エリアス王子が王子だと話した時は動じていなかった彼らにも、この行動は見慣れていないということだ。さっきまでの平らな声から、僅かに念を押すような声の厚みだった。「返事は?」と唱えるような声に、喉が干上がってすぐには出ない。
「ぁ……」と一音を溢すだけの私に、エリアス王子は一瞬で剣を引いた。首筋に突きつけられた刃の感触がなくなった感覚に気が抜け、膝から砕けるように座り込んでしまう。
身長差より更に高い位置からエリアス王子の二色の眼光が変わらず私を射抜き、見下ろす。
「……この辺りは夜になると山賊が出る。今夜は私の家に泊まると良い。村を出るなら朝だ。安全な場所まで送ろう」
話が終わったと言わんばかりなのか、それとも会話自体をなかったことにしているのかと思うほど急過ぎる切り替えだった。口角をあげるだけとはいえ、笑みまで向けてくる。……どうしよう。本当にこの人がわからない。
ドッドッドッと、遅れて鼓動が酷く鳴り出す。首の傷から血で濡れる感覚だけじゃなく、汗も冗談みたいな量が溢れ出た。剣を突きつけられた事実と、……会話が通じているようで成り立っていないような、自分と違う生物に相対したような感覚に指の先が冷たい。
剣まで向けて命じてきながら、急に今度は親切なことを言ってくる。〝ゲームキャラ〟と考えればなんとか飲み込めるけど、……現実はそんな問題じゃないと私は知っている。
一年前ともに城で過ごした王子達は、こんなんじゃなかった。ゲームのキャラそのものでもちゃんと人間だった。それなのにこの人は、……まるで機械と話してるようだ。
じゃあまた後ほどと、エリアス王子が踵を返す。村の人達も騒然とする中で、自分の家だろう方向に歩き出す背中を見つめながら私は必死に思考を巡らせる。
今までの私だったら、間違いなくもう三度は心が折れていた。だけどもう諦めてなんていられない。私一人の責任だけの問題じゃない。この国の未来と、四人の王子達の
『弟達は自分の意思で城を出た』
あ、と。開いた口の中で音が消えた。
さっきのエリアス王子の言葉が蘇る。刃の感触に考えるほどの余裕がなかったけど、今言い分を正しく理解した。
私が、王子達が城を出たとしか言わなかったからだ。エリアス王子は彼らが自分と同じだと勘違いしてる。
遠くなっていく背中に向け、立ち上がるよりも前に息を吸い上げる。一度目は呼吸までまだ震えて、思わず発する前に咳き込んだ。二度目に今度こそ息を強く吸い上げる間にも村人の陰で彼は見えなくなり、足元だけがちらりと見えた。
セシル王子は言っていた。エリアス王子は優しい兄だったと。それで今、あの人が刃を突きつけてきたことにちゃんと、人間らしい理由があるのなら!
「ッッ精霊堕ちです!!!」
肺が爆発するほど限界まで発した。
ぴたりと、エリアス王子の足が動きを止めたのが低い視点から見えた。村人達が再びざわめき、戸惑いの眼差しを私とそしてエリアス王子の方向へ交互に向ける。「精霊堕ち??」と首を傾げその言葉すら知らない人までいる。
精霊落ちは精霊を得ることのできる王族だけの脅威で、一般人にはなんの脅威でもない。知ろうとしなければ知る機会もないことだ。
たがが女一人が村に近付いただけでエリアス王子が声を掛けるほど、きっとこの村には訪問者も限られている。エリアス王子は弟達が去った理由どころか、正しい現状すらもまだ知らない!
「一年前!貴方の弟達は全員精霊堕ちと化しました!!だから法に則り〝権利〟を剥奪され!そして姿を消しました!!」
私のせいで。それを、言葉が頭には過ったのに、それだけが恐怖で喉に詰まった。地面に爪を立て、削る痛みで自分を奮い立たせる。
エリアス王子は完璧な王子だった。なら当然国の法も規則も田舎娘の私より遥かに詳しい。精霊堕ちした王族が王籍を除名されることも知っている!
「ッ私の責任です!!一年前私が王子達の、誰の力にもなれなかったせいで彼らは精霊堕ちと化しました!」
言いながら怖いくらいに鼓動が重く鳴る。ついさっき突きつけられた刃の感覚が蘇り、呼吸がまた止まりかけた。今この瞬間にも、エリアス王子に首と胴体を分けられるんじゃないかと本気で思う。
これだけは、本当に殺されても仕方ない行いだ。だけど今は殺されるわけにいかない。せめて、王子達を再び在るべき場所に返すその時までは!!
「私ならッッ!!浄化できます!治せます!王子殿下全員を元に戻すことができます!!」
殺される殺される殺されると、頭に一度過った途端、殺される前にこれだけは言わないといけないと舌が走り出す。言動が読めないあの人が、唯一人らしい感情を見せた瞬間に首を賭ける。
「ですからどうか力をお貸しください!弟君達は皆、貴方と同じ国王となる才に溢れた方々です!このまま精霊堕ちになどっ」
「その話は本当か?」
ズンと、世界がひっくり返ったような覇気がのしかかった。
低く空気を震わす声が雑踏の先から放たれる。声量は私の叫びより小さい筈なのに、怖いくらいに耳に届いた。ビリビリと戦場でしか感じたことのない気配に威圧され、もう足が膝を折ったまま動かない。
村人達が二手に道を分け、その中央にいるエリアス王子は体ごと真正面を私に向けていた。大きく見開かれた青と金の両眼がギラリと研ぎ澄まされる。
「本当かと聞いている」と淡々とした問いに、声がすぐ出ない代わりに大きく頷いた。嘘じゃない、王子のことも浄化のことも私の責任も全部。
村人が、引いている。二手に分かれるどころかそのまま蒼白の顔で後退り下がっていく。
今、この覇気を感じているのは私だけじゃなかった。
「弟達が……精霊堕ち……?」
殺される。
鋭く光る眼光から一秒も離せない。息をするだけでも殺される。
ただの歩きでも早足でもなく、瞬きをした一瞬で眼前にまで移動したエリアス王子は、恐ろしい眼光になっていた。口角だけの笑顔ですらない、口よりも遥かにその目が感情を語っていた。ぞっとする、まるで殺戮犯が獲物を見る時のような表情は、喜びも混じっているように見えて、剣を突きつけられた時よりも怖かった。
「……なら話は変わる。その申し出、是が非でも受けよう。弟達の迎えは兄である私の責だ。助力も惜しみはしない……!」
切れ長な目が爛々と光り、急に笑んだこの人の感情が私にはわからない。怒りか、殺意か。付け足しのような口角は上がって笑って見えるのに、目は遥かに怒っているように感じる。違和感の理由は近づけばわかった。瞳孔が開いている。
ただ、今は協力に応じてくれた王子に余計なことは言わないようにと口を意識的に結んだ。差し出される手に、震えながら手を伸ばせばこちらが届くよりも前に掴まれた。バシンと手のひら同士がぶつかる音と、握手の形のまま手を引かれ持ち上げるように立たされた。
「ただし、こちらの条件にも付き合ってもらう」
条件?と、急激に覇気が削げたお陰で、呼吸が通る。
さっきまでの威厳から再び平温の口調になるエリアス王子はまた口角だけを上げた笑みを私に向けていた。
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