17 魔法使いの反省
「ハリー公爵は、驚かれないんですね……」
「今日この屋敷で、うんざりするほどその片鱗を見たからな」
頭を抱えるセシル王子の隣で、ここまでのエリアスの事情に対しても大きく驚く様子がないハリー公爵の返答はなかなか冷ややかだった。
眉を寄せたままジトリと睨む先は投げかけた私にではなく、その隣で今も晴れやかな笑顔のエリアスにだ。そしてエリアス、もうハリー公爵とは目も合わさない。
そんな二人の会話にも思考が及ばないようにセシル王子はまた視線が斜め下に落ち始めていた。
「あの……、セシル王子。色々とまだ頭の整理も付かないと思います。ですが、エリアスも貴方を……」
「心配して駆けつけてくださったのだろう?……そこは覚えている……」
ハァ、と。溜息交じりに応えてくれたセシル王子は、そこで額を押さえた。
途切れ途切れとは言っていたけれど、エリアスが部屋に乗り込んだ時のこともやっぱり覚えているらしい。精霊堕ちと浄化魔法を繰り返したことも無駄ではなかった。
エリアスがいることもこうして比較落ち着いて受け入れてくれていることも、エリアスが現れた時のことが記憶にあるからだろう。ただ、「胃が……」とそこでまたセシル王子は片手で胃を押さえた。大きく深呼吸を二度繰り返したのが肩の上下でわかった。
「……兄上、私も再びお会いできて嬉しく思います。…………先ほどは無礼な態度と暴言の数々、申し訳ありません。大変ご迷惑をお掛けいたしました……」
スロースも、と。エリアスにだけでなく私にまで深々と改まるように頭をゆっくりと下げられる。あれは精霊堕ちと何よりエリアスの存在がとんでもなかった所為なのだからとせめて私に向けての謝罪だけでも首を横に何度も降って断った。
けれど私の首振りよりも先に、またセレス王子の胃痛がきた。「だだっ……」と痛そうに顔を顰めて背中を丸めるセレス王子に、その途端、エリアスもまた心配するように目を見開いた。
やっぱりこの人、ご兄弟に関してだけは人間味がある。ちらちらと私にまた目を向けてくるから、多分魔法をやってみてくれという意味だろう。一先ず、やってみるだけはやってみるけれども。
「セシル王子殿下、少々失礼致します。治癒魔法を」
杖を構え、治癒魔法をかける。
体力などの疲労に影響を与える回復魔法と違い、こちらは病気や怪我に特化した魔法だ。どちらにせよ治すだけの魔法だし誰にかかっても問題はないと今は自信をもってかければ、思った通り出力がおかしいまま部屋全体に治癒魔法が広がった。
瞬きが止まったセシル王子がこちらに顔を向けたまま数秒固まり、それから再び姿勢が戻った。胃を押さえる手が緩められたのを見て、どうやら効果そのものはあったらしいと思う。……本当に。一年前のあの時も、せめてこの治癒魔法だけでもセシル王子にかけていれば、主人公失格でも結果は変わったかもしれないのに。
エリアスも「おぉ」と嬉しそうに声を上げる中、信じられないように私へ視線を注ぐセシル王子の丸い眼差しの視線が痛い。
「スピカ……いやスロース。君は治癒魔法まで使えるようになったのか」
「あ゛……いえ、その、……はい。……自信を持って使えるようになりましたのはつい最近になりますっ……」
本当に本当にごめんなさい。
あまりにも真っ直ぐに受け止めてくださるセシル王子の綺麗な青に、ギクリギクリとまるで今度は私が浄化されるように背中が丸くなり目を逸らす。
一年前にも治癒魔法も回復魔法も使えはした。ただ、当時はお師匠様に捨てられたショックで、自分の魔法に全く自信が持てず、練習はともかく王子殿下相手に実践なんて怖くてできなかった。出力の大小ならまだしも、もし治癒魔法のつもりで全く違う効果の魔法をかけてしまって身体に悪影響でも起きたら大惨事だと怖かった。
実際は魔法の出力以外は別に問題なくお師匠様が免許皆伝をくださったくらいなのだとわかったから今はこうして使えるけれど。
「すごいじゃないか。おめでとう、私も嬉しいよ」
「きょ、恐縮です……。治癒魔法も、セシル王子の症状の場合はあくまで一時的な効果かもしれませんので保障はしかねますけど……」
眩しい笑顔で褒めてくださるセシル王子に今度は胸が痛い。
胃潰瘍に意外にも効果があったのは嬉しいけれど、それもセシル王子の根本的性格も考えると完治の可能性は極めて低い。今後またストレスを抱えたらお手軽に胃を痛めてしまうだろう。その度に私が治癒魔法をかけてあげられれば良いのだけれど。
今、こうして晴れやかな顔色に戻ってくれたセシル王子を見ると、切に思う。本当に、もっと早くこんな風に力になれれば良かった。
「……あの、もう一度謝らせてください」
口の中を飲み込み、覚悟を決める。
最初に一言断った言葉だけの筈なのに、それだけでもどくんと心臓が波立った。一度椅子から立ち上がれば全員の視線が私に集中したのがわかる。身体ごとセシル王子に向き直り頭を下げる。
「……一年前は本当に申し訳ありませんでした。正体を偽ったばかりか、秘密を守って頂けた間もお傍についていながら魔法でも精神面でも何もお力になれず、精霊堕ちになられても私の浄化魔法が効果があると知るまで一年間も放置してしまい、本当に重ね重ね申し訳のしようもありません」
今こうしてセシル王子の精霊堕ちやエリアスの再来でうやむやになってしまいそうだけど、そもそもの責任は言えることも言えないことも含めて全て私に責任がある。
流石に「恋しなくてごめんなさい」なんてふざけたことは言えなくても、セシル王子の力にもっとなれた選択肢はいくらでもあったと知った今は償いようもない。
自分の足の爪先が見えるくらいに頭を下げれば、その返答はすぐにきた。「…………いや」と柔らかな響きの後、同じセシル王子の声で「頭を上げてくれ」とかけられた。恐る恐る視線を上げれば、驚くくらい優しい眼差しが返されていた。
眉を垂らしたまま苦笑に近い表情のセシル王子は、それでもその表情は柔らかい。
「君は悪くないよ。……本来なら、私一人で乗り越えるべきだった試練だ。君に同行を頼んだこと自体、私の弱さ故の甘えだった。巻き込んでしまい、こちらの方こそすまなかった。……今思えば、君も国一番の魔法使いという〝肩書き〟に苦しんでいたのに」
ぐっと口の中を噛んでしまう。
本当にセシル王子は良い人だ。良い人すぎる。青の澄んだ瞳を揺らしながら笑んでくれるセシル王子は、本当に心が広く天使みたいな人だと思う。そしてこういう人だから、責を負いすぎて自分を潰してしまった。
本当に、ゲームの主人公が私でさえなければと思う。けど、それ以上に……セシル王子を精霊堕ちから浄化することができて良かったと、心底思う。「似ているな」と肩をすくめながら最後にははにかむように笑ってくれるセシル王子に。
そして、絶対にこんな良い人は王族に戻って貰わないといけない。
私を許してくれるどころか最後には庇ってくれるセシル王子に「もう良い」とハリー公爵の響く声がそこで入った。
「それでセシル。お前は今後どうするつもりだ?城に戻るか」
「あ、ああ……そうできればとは思うが、まず弟達の捜索をしないと」
「いっいえ、セシル王子まで同行されなくても……。あくまで陛下に任じられたのは私ですし……」
フンと鼻息交じりに話題を変えてしまうハリー公爵に、セシル王子も返す中、よろよろと再び椅子に腰を下ろしながらも会話に乗る。
セシル王子が城に戻るつもりになってくれていることは安心したけれど、国王陛下に条件として提示されたのはあくまで私だ。王子達を全員城に連れ帰れと言われただけで、王子達を引き連れて旅をしながら全員揃えろとは言われていない。
エリアスに協力を求めたのもそもそも彼なら他の王子達にも信頼されているし、頼りになると思っただけだ。実際はコンプレックスの根源だったものの、それでも当初の目的の為に同行はエリアス一人で、セシル王子まで巻き込まれる必要はない。…………そのエリアス本人は、セシル王子の同行意志に金と青の目が光ってみえるけれども。もしかして付いてきて欲しいのだろうか。
セシル王子が単独でも城で待機を許されるかどうかは正直わからないけれど、少なくともハリー公爵のもとにもう少しお世話になる選択もある。
「いや、同行させてくれ。兄上にとってと同じ、私にとっても大事な兄弟だ。それに彼らが精霊堕ちになってしまったのも私が先に精霊堕ちになり力になれなかったせいも」
「もう良いセシル。スロース、大変申し訳ないが同行させてやってくれ。その代わり今晩の宿と、王子達が全員見つかるまでの援助をしよう」
「?!宜しいのですか……?!」
どこまでも自分が背負ってしまうセシル王子の言葉をまたもや遮ったハリー公爵からの、願ったりの申し入れに思わずまた席から立ち上がる。
正直、とても助かる。村にいたエリアスも、精霊堕ち一年のセシル王子も、そして私も資金は殆どない。今夜の宿だけでもありがたいのに、資金援助までして頂けるのはありがたい。
セシル王子も驚いたように「良いのか」とハリー公爵に振り返ったけれど、ハリー公爵は憮然と腕を組んだまま目でセシル王子へと見返した。「お前に貸すだけだ」と、セシル王子が城に戻ったら回収することを前置くハリー公爵はしっかりしている。
「王族のお前が資金も持たずにエリアス王子と行動を共にして、またどこかで精霊堕ちになられても困るからな。次は精霊堕ちになる前に頼られるなら面倒もない」
「……。……それについてもすまなかった」
「聖霊堕ちになってから私のところに流れ着いただけ許してやる。さっさと私に恩を返させろ」
むしろ一年も無償保護して今後も援助してくれるなら恩返しとしては充分じゃないかと思うけど、そこはきっと本人の感覚と判断によるものなのだろう。今もセシル王子が「いや、それはもう」と言い淀んだけれど「私の気は済んでいない」と一言で断じた。
「お前がどう思おうとどういうつもりであったとしても、私を助けられたことに変わりない。お前と同じくらい満足するまでは返させてもらうぞ」
「……あ……ありがとう……」
申し訳ない……と苦々しそうな声と共に最後は小さくなるセシル王子に、ハリー公爵も鼻息で返した。
セシル王子は苦労も多かったけれど良いご友人を持たれたなとつくづく思う。
足を組み直して紅茶を味わうハリー公爵は、不機嫌には見えるけれど大分満足そうにも思える。こんな人だからこそ、精霊堕ちから目覚めたセシル王子も再発暴走することなく現状を維持できたのかと考えれば、当時はただただ怖くて威圧的にしか思えなかったハリー公爵にもう感謝を通り超して尊敬しかない。
見つめ続けてしまっていれば。不意にハリー公爵と目が合った。「何か?」と眉間に皺を寄せて私を見るハリー公爵に一瞬緊張で心臓が跳ね上がりつつ、背筋を正す。「申し訳ありません」とまず謝罪が先立ってしまってから、改めて身体ごとハリー公爵に向き直った。
「あの、ハリー公爵。一つお窺いしてもよろしいでしょうか。今後の為にも参考にさせて頂ければと……」
「私に答えられる内容ならば受け付ける。なんだ?」
セシル王子の目の前で尋ねるのも無粋だと自分でもわかりつつ、恐る恐るハリー公爵の顔色を窺う。
私とエリアスではセシル王子一人を相手に、二度も精霊堕ちと更には悪化までさせてしまっている。今後セシル王子が同行してくれるなら説得役もお任せできるかもと希望は持てるものの、もともと私が預けられた任務だ。
自分でもちゃんと精霊堕ちになった王子殿下をどう接するべきか今後の対策と心得を考えておきたい。セシル王子を無事精霊堕ち浄化後に、今の状態まで維持してくれたご友人ハリー公爵に、少しでもコツや経緯を窺いたい。
友人同士のやり取りと私達じゃ、できることや相手の受け取られ方も全然違うとは思うけれど、それでも参考にはなる筈だ。
どうやってセシル王子を浄化後にそのまま正気を維持できたのか。どう言葉をかけられたのかと、御本人を目の前に言葉を選んで尋ねた私にハリー公爵は一度眉をつり上げた。
「私は何もしていない。浄化魔法を受けた後のセシルは充分正気だった。私はコイツが落ち着くまで待って、後は身嗜みを整えさせるのに時間がかかっただけだ」
「何かお言葉をかけたりとか、私達ではできなかったようなことは?」
「無い。大したことは何一つ話していない」
状況説明すら今この場でようやくだと最初に言っただろうと、はっきりと断言するハリー公爵に不出来な愛想笑いを返してしまう。まるでレシピを教えてほしいと頼んだら「普通に」と言われた時のような取り憑く島の無さだ。
まさか本当に何もなかったのか、私達に言うつもりはないという意思表示かもハリー公爵の頑ななさではわからない。もし何もなかったのが本当だった場合、浄化魔法の繰り返しがけが効果的だったということなのか。それとも一度悪化してからの解除魔法と浄化魔法の二段掛けが効果的だったのか、……もしくはエリアスの最後の言葉が効果的だった可能性も大いにあり得る。
私やハリー公爵にとってはそうじゃなくても、セシル王子にとってエリアスの言葉は大きい。そしてそれは
きっと他の王子達も同じだ。
憧れで、劣等感そのもの。
そう思うと、エリアスの存在は今後もコンプレックスを刺激するだけじゃない、精霊堕ちの王子達に多かれ少なかれ良い効果もあるのかもしれないと期待も湧いてくる。無意識にエリアスへと視線が向いてしまえば、にこりと目を細めた笑みだけが返された。
こうやって黙していれば本当に心優しいお兄さんに見える。戦闘力と名声だけじゃなく、彼の存在も今後王子達にとって救いになってくれれば、もしかするとエリアス自身にも良い影響になるかもしれない。
「……ちなみに、セシル王子は覚えていらっしゃいますか?浄化魔法の後に、何か影響を感じたことがあれば」
「そっ…………、……すまない。実は私も混乱していてあまり……」
セシル王子からも困ったように苦笑いされ、顔ごと目を逸らされた。こちらは仕方が無い。あんなに何度も精霊堕ちと浄化とを一日に繰り返せば記憶の混濁は当然だ。
そうですかと、言葉を返しつつ、つまりはこれから再会する王子達にもまたいちから手探りに浄化を繰り返していくしかないのだと思い知る。
落胆して音にも出して嘆息してしまう中「スロース」と唐突にハリー公爵に呼ばれた。顔を向ければ、ちょっと怖い目を逸らしたくなるくらい真剣な眼差しと目が合った。反射的に逸らしかけたけれど、その前に告げられた言葉に意識的に目が合ったままになる。
「感謝する。本当にありがとう。……私の期待に、君はこれ以上ないかたちで応えてくれた」
眉一つ動かさず真剣な強ばった表情のままに響かされるハリー公爵の言葉に、心臓が高鳴った。
思いがけず込み上げる感覚に、まずいと口の中を噛む。ようやく、ようやく今度こそハリー公爵の期待には報いることができたのだと、背の荷が一個分軽くなったように両手足が薄く痺れる。…………良かった。
ハリー公爵が簡単に社交辞令ですら御礼もなかなか言わない人だとわかっているからこそ、今の言葉が本心だとわかる。笑顔もない言葉だけの賛辞でも、ハリー公爵からだと意味が大きい。こんな風に人から真剣に褒められるなんて何年ぶりだろう。
言葉を返すとうっかり泣いてしまいそうで、口を結んだまま頭だけを思い切り下げた。前髪がうっかりカップに入りかけるくらい深々下げる中、「それに」と更にハリー公爵の言葉が紡がれた。
「エリアス王子相手に容赦なく弁で殴るのも実に清々しかった。今後も期待している」
あはは……と、頭を下げたまま枯れた笑いが溢れた。
エリアスとセシル王子とも同行を認めてくれたハリー公爵に、この期待ばかりは「はい」とは言い難い。
「王子達捜索中でも何かあればいつでも来ると良い。全て片付いた後でも、……君一人でも、今後は出入りしてくれて構わない」
「!ありがとうございます……!」
ハリー公爵から言われたとは思えない寛大な言葉に、胸が膨らんだ。




