12 魔法使いの沸点
「逆転とはどういうことだ?!」
「セシルはどこだ!!!」
ハリー公爵とエリアスの叫びが重なった。自分一人エリアスの肩に担がれ安全圏にいる中、不気味な笑みを浮かべる精霊から目が離せない。人型の精霊すら珍しいのに、明らかにこちらに意思を向けている。
ずる……ずるる……と、視線が少しずつ下がっていく。エリアスに担がれたまま、部屋全体と水面を見比べれば水位事態は変わらない。まだ足首がつかる程度の深さの筈なのに、下をみればエリアスもハリー公爵も膝の位置まで沼に飲み込まれていた。
今までの単純な水魔法ではない、底なし沼の空間魔法がこの部屋に生み出された。本来届く筈の床に足が届かない、ただ水を生み出すよりも遙かに高度で凶悪な空間魔法だ。
「精霊堕ちの影響で、セシル王子が精霊の〝一部〟にされてしまいました。今は、目の前にいるあの精霊が本体です……」
「それで!!セシルはどこにいる?!」
「〝どこ〟とかそういうものじゃなくて!この沼そのものがセシル王子みたいなものなの!」
繰り返し尋ねてくるエリアスに、言いながら声が震えた。
セシル王子の形は今はもう存在しない。魔法や魔力に形がないように、今は精霊が起こした魔法そのものに還元されている。たとえこの部屋中の沼全てを攫ってもそこにセシル王子は見つからない。
「そんなっ……」とハリー公爵が絶句する中、エリアスも足下に視線を落とした。覗いたところで見つかるわけがない、存在はしてもそこに形はない。
代わりに実体を得た精霊が、宙でくるりと弧を描いた。精霊魔法を使える私にも、精霊が何を考えているのかはわからない。ただ、間違いないのはこのまま野放しにしてはいけないことだけだ。
もしこの部屋から、屋敷から本体である精霊を逃がせば、セシル王子もまたその形を取り戻せない。
「ッ浄化魔法!!」
握り直した杖で、精霊へと浄化を向ける。あくまで精霊が悪化していることは変わらない以上、効果はある筈だ。
出力を構わず放った浄化魔法の光が、部屋に満ちる。それでも、…………今度は殆ど効果はなかった。足下の沼も散ることがなく、部屋中を纏う水の膜も残っている。ただ、向けられた精霊が実体のある色合いから、半透明に戻っただけだ。出力が少なかったのかと思い、もう一度使ったけれど同じだった。精霊堕ちと完全に関係が間違った状態で再結合されてしまったせいだ。
さっきまでは精霊とセシル王子の魔力の悪循環を浄化すればもとに戻ったけれど、関係が反転した立場のままだ。精霊を浄化したところで、精霊が〝本体〟であることは変わらない。
「ッ駄目です!!完全に主導権を握られた状態のせいで精霊の意思で展開された魔法までは消せません!!」
「じゃあどうすれば良い?!」
「どうもなにもっ……!!」
そんなのわかったら苦労しない。エリアスの叫びに、思わず歯噛みする。精霊堕ちに、浄化魔法は効果がある。だけど、今は精霊を浄化しても浄化された精霊が自分の意思を持って魔法を使用している。本来、そんな強い意志を持たない筈の精霊が私達を攻撃しているということはそれだけ強い意志だ。
一時的に実体を得た影響か、もしくはセシル王子の感情に影響されているのかもしれない。最後に消えたセシル王子は間違いなくエリアスに怒り、そして私のことも恨んでいるかもしれない。
そこまで考えたところで、お師匠様から昔聞いたことを思い出す。精霊の感情や意志は契約者に影響はされても、人間と違って長くは保たない。
「ッもう一度!撤退しましょう!!恐らく今はセシル王子を取り込んだ直後で感情が高まっているから攻撃意志があるだけです!!時間が経てば経つほど精霊の意志は薄弱化する筈です!時間を置いてセシル王子の意志の方が結果として上回れば!!浄化魔法で今度こそ元に」
「この状態でどう撤退しろというんだ!!!」
説明も下手に一人安全圏で叫ぶ私に、ハリー公爵が怒声をあげる。もう、太ももが呑まれて扉まで向かうことも困難になっていた。
鋭い眼光を飛ばしてくるハリー公爵に口の中を飲み込む。今回、ハリー公爵だけは巻き添えだ。唯一セシル王子にも恨まれていないのに私達と纏めて攻撃されているハリー公爵だけでも逃がさないと!
飛行魔法を使えば、ここにいる全員ごと沼から引き上げることができるだろうか。ッ駄目だ今の状況で飛行の魔法は使えない!せめて窓を開けないと!!
一か八か火炎魔法で沼を燃やすかと、思考を巡らせる間にもハリー公爵の右手がエリアスへと伸びた。その胸元を掴み引き寄せる。
「ッ貴方のせいだエリアス王子ッッ!!!貴方が余計なことをしなければセシルが精霊に呑まれることなどなかった!!!」
「?私が何をした??ただ話をしに来たにも関わらず、こちらの言い分も聞かず勝手に捲し立てて暴走したのはセシルの方だ」
「貴方はッ!!あそこまでセシルを追い詰めておいてなにを抜け抜けと…………!!!」
胸ぐらを掴み上げるハリー公爵に、エリアスはここまできても動じない。
口角を上げただけの笑みでまるで当然の言い分のように返すだけだ。セシル王子を傷付けたことにも気付けていない。今にも反対の手で拳を振るいそうなハリー公爵だけど、そこで動きが止まった。エリアスも二人して急に足下を注視した瞬間、…………ずるりっと、一気にエリアスは腰まで、ハリー公爵は胸近くまで身体が沼へと沈んだ。「なっ?!」「おおっ」と声を漏らす二人が身体をねじって抵抗するけれど、上にあがれない。
「何かに足を引っ張られっ……セシルか?!」
「いや、両足を掴まれた。お前も同時に引きずり込むのは不可能だ」
戸惑うハリー公爵と違い、エリアスはこんな状況でも冷静だ。人間のセシル王子には確かに不可能だけど、魔法であればそんな理屈は必要ない。
正面へと顔を向ければ、半透明の精霊がそれでも感情は露わにしていた。ニンマリとした笑みのまま、私達から目を離さない。ふと人間のものに近い手が動いたと思えば、そのまま〝人間のように〟手を振られた。肩の位置で小さく振る動作がセシル王子に似ていて背筋がぞっとする。
思わずダメ元で飛行魔法を使ってみたけれどやっぱり駄目だ。風もない窓も開いていない密室空間では私の飛行魔法は使えない。
「それで話の続きだがハリー公爵、私の何が悪かった?具体的に説明してくれないとわからない」
ここで?!!!
もう身体半分が沼に呑まれたのに平然と会話と続けようとするエリアスに、私まで「は?!」と声が出た。こっちは飛行魔法も使えなくて残す手は屋敷ごと破壊するくらいしか思いつかないのに!しかも話した直後、またエリアスも胸近くまで沈んだ。
まさかのエリアスの発言に、今度はハリー公爵も胸ぐらを掴む気も失せたのか、代わりにビシャン!と沼の水面をエリアスへと跳ねさせた。すぐ肩にいる私の頬にもかかったけれど、エリアスは顔面だ。
「ッ状況を見ろ!!!ここから脱することも貴方ならば可能だろう?!それとも私が沈みきるまで待つつもりか?!貴方は疾走してまで高みの見物が好きなようだからな!?」
「話を逸らすな。私の何が悪かったかと具体的に言ってみろと」
「~ッセシル王子にできて当然とする発言全てを言ってんでしょおおが!!!」
ブチリと、自分の血管が切れる音がした。
肩に担がれた状態のままエリアスの頭を杖を保たない方の手で横殴りに叩く。バシーンッ!!と小気味の良い音が手の平にも伝わった。
途端に丸い目になるエリアスの二色の目が私へと向けられる。視界の端でハリー公爵の丸い目も見える中、私は無様な恰好のまま足をバタつかせる。
ハリー公爵の言っていることは正論だけど、それ以上にエリアスの考え方が斜め上にいって会話が成り立たない。私よりエリアスのことをご存じのハリー公爵の手前黙っていたものの、やっぱりこの人のおかしさにまだハリー公爵も理解しきれていない。人質を即決で見捨てるような人にセシル王子の複雑なお気持ちなんてわかるわけがない。
もう良い、最悪の場合は部屋ごと破壊して弁償をエリアスに押しつける。
「セシル王子がどれだけッ……セシル王子は!!あンの癖の強い王子四人の面倒を七年もみたの!!」
どれだけ頑張ったと思っているのと、……言いかけてやめた。この人は、きっとそういうのが伝わらない。多分それが〝わからない〟んだと理解する。まるで機械のように。
だから説明を求める、だから理解させる為には感情じゃ伝わらない。
だってエリアスは本当に知らないんだから。セシル王子が七年間でどれだけ成長したかも、どんな苦労をしていたかも。それを想像すらできていない。
セシル王子のことは、ハリー公爵ほど詳しくない。だけど、たった一年前だけでもあの人がどれだけ多くの期待を背負った上で理想を叶えようとしたか。それだけは知っている。
「陛下から弟達の不始末処理全ッ部任され!!胃が痛むほど毎日振り回され!!公務も並行しながら実質子育てよ!!」
「こ、子育て……?」
ずる……ずるっ……とまた視界がさらに低くなっていく。ハリー公爵の呟きが耳から耳へと流れていく。エリアスを至近距離に睨みながら、もう一発今度は魔法で叩いてやりたくなった。
セシル王子は、胃を痛めるほど気苦労が絶えない人だった。それだけ負担も抱えて、それをこなそうと自分を追い立てたからだ。頻出する胃の痛みがどれだけの負担がそれだけでもエリアスに思い知らせてみたい。
弟達だってもう成長したのだからといつでも見切りをつけられたのに、どこまでもどこまでも面倒見の良いセシル王子は世話を焼いていたし弟達のやらかしに困った顔をしながらも全部の処理を請け負っていた。
「ギルバート王子は人と諍い起こすしリュー王子は女性問題起こしてアーク王子は人にも建物にも被害出してそれ全部セシル王子が大ごとになる前に処理し続けて!!エリアスは毎日胃を炙られながら問題児三人抱えて公務も完璧にやったことある?!」
「…………いや……それは、やったことないが……」
でしょうね?!と気付けば思い切り乱暴な口になる。
ずるずると沼の水面が私にも近付いている中、精霊を睨めば今は精霊までしかめっ面でこっちを睨んでいた。こっちが慌てふためかないのがつまらないのか。むしろ貴方のご主人様の話だったんだから貴方もエリアスに文句を言えと今は思う。いくら人間に真似て似せたところでしょせんは彼女も人の心がわからない人外の精霊でしかない。…………そうだ。
精霊だった。
「…………」
「?おいスロース。そんな暴れると落ち」
「もう良い放して」
手足をばたつかせ、エリアスの肩から降りようとすれば余計にしっかりと腕で掴まれたのを振り払う。言葉にして断れば、途端に簡単に手を放された。
ハリー公爵からの制止の声を聞きながら、足から沼へと飛び降りる。ぼちゃんっ!と飛沫と共に一瞬の着地感の直後、……ずるるるるっ!!と足が引っ張られた。また着地して浅いからか最初は足首までしか浸かってなかった足を、一瞬人の手の形をした沼の水そのものが掴んで見えた。
一つ二つじゃない、一度に四つは見えたと思えば、そのまま一気に膝から太ももそして腹から胸まで引きずり込まれた。足だけじゃない手まで異常な重さに纏わり付かれる中、首だけの動きで改めてエリアスに振り返る。
「貴方が捨てた分全ッッ部拾って抱えて背負ってきたのがセシル第二王子なのを忘れないでッ……!!」
二度と余計なことは言うな、と。そう続けようとした直前に一際大きな力で引き込まれた。
ずぷんっと耳まで覆う沼水の感触に、一度身を任せ目を閉じた。




