プロローグ
「国王陛下、どうかお願い致します。城から去った王子達の王籍復権をお認め下さい」
国の誇る最高権力者である国王、その御前に一人の少女が願い出る。
細い身体に茶色がかった灰色の長い髪がボサボサと背中を覆い隠す。暗褐色の瞳を大きく開く少女は、お世辞にも言えないほどに酷く汚れていた。〝一年前〟に城を去った時と比べればあまりにも見窄らしい恰好に、国王の側近達は誰もが一度は顔を顰める。しかし国王の前まで許された少女は凜然と胸を張っていた。
響かされた彼女の言葉に、国王もまた悩む間もなく首を横に振る。駄目だと、重々しい声で告げる国王に誰もが当然だと思う。今更になって、一年も前に王籍から除外された王子達を呼び戻すなどあり得ない。
一年前まで、城には四人の王子がいた。誰もがそれぞれ違いはあれど、秀でたものがある王子達だった。誰が王位を継いでもおかしくはなかった。
しかし、彼らは一人として国王の期待に応えることはできなかった。国王の課した試練に破れ、心が折れるどころか各々の精霊に取り込まれ〝精霊堕ち〟と化してしまった。
高潔なる王族が十五歳の儀式で召喚する精霊。王族にとって精霊を司ることこそが王族である証であり、いずれ国王となる為の権利証でもある。
その精霊に心身を支配されてしまった王子など国の恥でしかない。
「愚息達は精霊堕ちと化し、自ら城を去ったのだ」
精霊堕ちはもう人ではない。精霊に心身を侵され支配され、生ける触媒となり、人だった時の心は戻らない。
厳しい言葉を頑なに告げながらも、国王の胸は酷く痛んだ。将来を期待した王子達が全員自分の元からいなくなってしまった。残されたのは正妃を含めた四人の妻達だけだ。妻は若くとも、老いた国王は不安しかない。重ねる年齢と心労で国王の金眼も褪せて見えるほど顔色も悪く、その精霊もまた弱りつつあった。
王位継承者を欲している王は、今も大きな選択をいくつも課せられている。心も精神も消耗し、国王自身も精霊堕ちしないようにするのがやっとだった。今も隣で王妃が心配そうに銀髪を垂らし青色の瞳を揺らす中、王は毅然と少女に言い放つ。
「魔法使いスピカよ。よもやそのような世迷い言を言う為に、この王たる私の前に現れたとは言うまいな?……一年前、我々王族を誑かしたお前が」
今こうして、国王が謁見の間に通したことすら奇跡だった。
一年前に招き入れた魔法使い。彼女を心から信頼し、王子達と共に国の未来を託そうと思っていた国王にとっては酷い裏切りだった。
魔法使いは精霊と同様、稀少な存在だ。王族は精霊に魔力を与えることで精霊の魔法を使用できる。そして魔法使いは自身の魔力で魔法を扱える、生まれ持っての才能を持った人間だ。
その中でも特別優秀な使い手を王妃に迎えようと招き入れたのに、正体は偽物だったと知った時の怒りはまだ王の胸に残っている。しかし、彼女もまた被害者であるという事実と王子達からの弁護も聞き入れたからこそ、城から追放するだけで許した。
その魔法使いの少女が一年ぶりに訪れ、国王に大事な話がある、国の未来を左右する話だと宣った。本来であれば門前払いだったものの、現状に切迫していた国王は藁にも縋る思いと同時にこれ以上の国の危機かという恐怖心から彼女との謁見を許した。
「恐れながら、私はもう〝スピカ〟ではありません。どうぞスロースとお呼びください。我が敬愛する師匠が与えてくださった名です」
もう自分は、初めて謁見した時に名乗った国一番の魔法使いではない。自分はあくまでスピカの身代わりで、そして偽物だった。
少女は師匠に与えられた正真正銘の名を名乗り、恭しく礼をした。……その姿に、国王も側近達も違和感を覚え出す。
ここまで威圧を込め国王に責められたにもかかわらず、少女は凜然とそこに立ち、表情は眉一つ乱さない。ほんの一年前の彼女であれば、今頃腰も頭も低く背中を丸めビクビクと肩を震わせながら俯いていた筈だった。身体こそ城を出る前よりも痩せ細り風貌も酷く薄汚れているというのに、佇まいや眼差しはまるで別人のように煌めいて見えた。言葉さえそこに微弱の震えもなく、まるで熟年の魔法使いかのように響きのある声だった。
たった一年で彼女に何がと、謁見の間に現れた時とは正反対の意味で思う。
驚く国王を前に、彼女はまた息を吸い上げる。胸を張り手で示し、国王にだけではなくこの場にいる全員に聞こえるように響かせた。
「この私スロースが、城を去った王子殿下四名の〝精霊堕ち〟を責任持って浄化致します」
なっ……!と国王は絶句し、直後には謁見の間全体がざわめいた。
あり得ない、何を言っているんだ、できるものか、気でも触れたかと囁き時には飲み込んだ。精霊に一度呑まれた者が正気を取り戻すことなどあり得ない。歴代の精霊堕ちした王族も、精霊が栄えた太古を除きその全員が我に返ることはなかった。
驚愕に一度は目を限界にまで開いた国王も、しかしすぐにまた厳しく眉間を狭める。どういう意味だと問う声すら、まるで詐欺師を責めるような鋭さになった。既に一度、この少女に騙されている以上二度も騙される国王ではない、
しかし少女は彼らの反応もわかっていたように、伸ばした背筋のままその言葉を受け取った。国王が最後まで言い終わるまではと今きつく唇を噤み、国王を見つめ返す。
「国一番の医者も、過去何百年もの魔法使いさえ癒やせなかった精霊堕ちを、お前如きに浄化できると本気で申すのか?山奥の魔法使いから見習いの立場で破門されたというお前が!!」
苛立ちのまま普段の国王よりも言葉遣いまでもが鋭くそして、蔑みも含まれた。これ以上また自分達を騙すつもりと言うならば、今度こそ重刑も躊躇わないと考える。
城下から離れた山奥の奥、そこで生活していた魔法使いの見習い。それが自分の正体だと明かしたのは一年前の少女本人だ。破門され、路頭に迷っていたところで救ってくれた魔法使いの頼みを断れなかったと、声を震わせ汗で顔から首筋まで塗らし頭を垂れながら告げていた彼女が、今は国王の言葉に冷や汗一つ流さない。
国王が指まで差し告げきったところで、また彼女は口を開く。
「……その通りです。ですが、師匠との間に誤解がありましたことをここに訂正します。破門ではなく、お師匠様は私に「もう教えることはない」と仰ったのです」
もう教えることはない。山から出て行け、達者でなと。そう唐突に師匠に告げられ、荷物をまとめるまでもなく転移魔法で城下に放り出された。きっといつまで経っても成長しない自分に見切りを付け、破門されたのだと思った。
そしてその本来の意味と本心を知ったのは、つい昨日。真実を知った今、少女はもう見習いでもなければただの魔法使いでもない。正真正銘、師匠に〝認められた〟魔法使いだ。
「お師匠様の名は、ベテルギウス・ルッチ・オリオン。私はあの御方から必要な全てを伝授されました」
今度こそ、謁見の間が隠せることもなく騒然と響めいた。
ベテルギウス・ルッチ・オリオン。その名を知らない者は、この国にはいない。誰もが彼女の言葉を疑い、しかし嘘でもこんな嘘を吐けるものかと思う。軽々しく口にするのも憚れるその存在を。
千年前、〝精霊魔法〟で不老不死まで極めたとされる伝説の大魔法使いを。
「そッその名の意味をわかっているのか!!とうに滅んだ精霊魔法!!その始祖神とも呼ばれる伝説の魔法使いを師匠と申すか!!」
「はい、嘘偽りなく師匠です。私の魔法も全て精霊魔法です。証拠を今、お見せします」
思わず声を荒げて玉座から前のめる国王に、魔法使いの少女は杖を取り出し向ける。師匠から贈られた愛着ある古杖だ。突然攻撃の意思のようにも見えるその動作に、兵も身構え急ぎ王を守るべく盾を手に前に立った。しかし少女は構わず、精霊魔法を王へと放つ。
国王一人に対してとは思えない、巨大な魔力が溢れ出す。思わず目を見張った国王は、すぐに変化にも気が付いた。
ついさっきまで弱っていた自身の精霊が、明らかにその力を取り戻したことを。
年月をかけ猫のような大きさまで縮んでしまっていた精霊が、今は本来の獅子に相応した大きさとその凜々しさで漲る力を主張するように咆吼まで上げた。
こじんまりと国王の傍で浮いていた猫が、突然獅子となり吠えたことに若い側近達は驚き、腰を抜かす者まで現れる。王妃も驚きのあまり口を覆い、国王は瞬きも忘れた。全盛期の姿を取り戻した精霊と、そして精霊と心を同調させる自分まで身体に生気が漲っていることにも気が付いた。
言葉も出ない国王を前に、少女は「突然失礼いたしました」と、疑われる前に実力行使したことを悪びれもなく謝罪した。今、自分の精霊魔法を受けてもらうには、口だけでは決して信じてもらえないこともわかっていた。精霊魔法はとうの昔に絶滅したとされる魔法。一度は国王を欺いた自分が何も見せず信じてもらえるわけがない。
「改めてもう一度お願い致します、国王陛下。どうか、王子殿下方にもう一度機会をお与えください。私が必ず見つけ出し、精霊堕ちを浄化し連れ帰って参ります。国王陛下の高潔なる血を分けた王子殿下は誰もが素晴らしい国王になる才能を持っています」
もう、どう疑えというのか。
国王は口が開いたまま丸い目で彼女を見つめるしかできなかった。礼儀正しく胸に手を当て頭を下げる彼女は、まるで戦士のような覚悟を滲ませていた。目の前で精霊魔法を扱い、自分の精霊を回復させた彼女の言葉は疑いようがない。
彼女が精霊魔法の使い手であるならば、本当に王子達の精霊堕ちも浄化できるかもしれない。太古の昔、唯一精霊堕ちを癒やしたと伝承される大魔法使いのように。
良かろうと、その言葉を国王は微弱に震える声で告げた。まだ目の前で起きた現象に心臓も頭も完全には追いつかないが、彼女の実力を正しく改める。彼女が一年前に自分達を騙した罪人であることも事実であれば、今自分の弱り果てていた精霊を回復させたことも事実。
もし王子の精霊堕ちを癒やして連れ帰れば、王籍を復権し王族として受け入れる。そう続ければ、初めて少女の表情が変化した。パッと子犬のような満面の笑みすらも、一年前は滅多に見せない笑顔だった。しかし国王の言葉は終わらない。
「ただし、条件がある」
精霊堕ちから脱した王子であれば、城が拒む理由はない。しかし、一度は精霊堕ちという失態は変わらない。そもそも王子達が精霊堕ちをした原因が、国王から与えられた試練に致命的な失敗をしたからだ。そんな王子を再び城で受け入れ更には王籍そのものを復権させるというならば、それ相応の条件をと今度は少女にも試練を課した。
その条件を聞いた誰もが息を飲み耳を疑う中、少女は瞬きを繰り返しながらも迷いはしなかった。
「……謹んで、お受けいたします。陛下の御言葉、確かに承りました」
胸に手を当て、丁寧に礼をするその少女に。
精霊魔法使いスロースに、国の未来は再び委ねられた。
本日は21時も更新致します。よろしくお願い致します。




