第九話 前世の記憶が照らす答え
査問の結果が出た。
クレメンス侯爵——顧問解任。
過去の不正流用について正式調査を開始。
イレーネ——論文盗用が認定。
主席研究員の地位を剥奪。
コレット——すべての処分を撤回。名誉回復。
決着は淡々としていた。叫びも泣きもしない。書類が読み上げられ事実が認定され処分が下された。
決着は淡々としていた。
クレメンス侯爵は白い顔のまま退席した。銀の杖を持つ手が震えていた。
イレーネは立ち上がれなかった。侍女に支えられて退室する背中を、私は黙って見送った。
恨みはない。怒りも——もう薄れていた。
ただ、事実が認定されたという安堵だけがあった。
フランが隣で泣いていた。
「コレット……終わったよ……」
「ええ。終わった」
「長かったね」
「長かった」
二人で廊下のベンチに座った。しばらく何も言わず、ただ並んで座っていた。
二人で廊下のベンチに座った。しばらく何も言わず、ただ並んで座っていた。
「コレット」
「何?」
「私ね、ギルドに入ったとき、誰も友達ができないと思ってた」
「なんで」
「平民だから。子爵家の末席でも貴族でしょ。平民の私とは住む世界が違うって」
「そんなことない。私だってモブだもん」
「モブ同士だね」
「モブ同士よ。でも——モブにも居場所はある」
「うん。あるよ。ここに」
フランが泣きながら笑った。
それでいい。証拠の積み重ねが結果を出した。
エドヴァルト王太子が声明を発表した。
「コレット・ハイネの研究は国の医療制度に貢献する。王室として全面支援する」
私の薬が国の制度に組み込まれる。前世では叶わなかった夢だ。
「コレット嬢。君の薬を国中に届けてほしい。身分に関係なく」
「お約束します」
王太子は微笑んだ。隈が薄くなった顔で。
ギルドの廊下を歩いた。フランが走ってきた。
「コレット! やったね!」
「フランのおかげよ」
「私なんて——」
「あなたがいなければ入退室記録は集まらなかった。友達だよ、フラン」
フランが泣きながら笑った。
ギルバートが廊下の奥に立っていた。
「よくやった。わしの目に狂いはなかった」
「先生のおかげです」
「次の薬を作れ。まだやることは山ほどある」
レオンが理事室の前で待っていた。
「終わったな」
「ええ」
「報告書を書かなければならない。手伝え」
「今すぐですか」
「今すぐだ」
並んで理事室に向かう。
「レオン」
「何だ」
「全部——あなたがノートを拾ってくれたことから始まりました」
「拾ったのではない。落ちていたから拾っただけだ」
「それでも」
「……ああ」
歩幅が、また私に合わせてくれていた。
歩幅が、また私に合わせてくれていた。
公爵の歩幅は私より大きい。意識しなければ、すぐに追い抜いてしまうはず。
でもレオンはいつも、私の隣にいるために速度を落としてくれる。
それに気づいたのは、いつからだろう。
最初からかもしれない。理事室を出て廊下を歩くとき、いつも歩幅が合っていた。
(……この人は、さりげなく人に合わせることができる人だ。それを見せないようにしているけれど。)
◇
報告書を書きながら、レオンが口を開いた。
「コレット。一つ聞いていいか」
「何ですか」
「お前の知識は——本当に独学なのか」
心臓が跳ねた。
「……なぜ今それを」
「ギルバートも同じことを感じている。お前の知識は体系的すぎる。この世界の学問体系にない理論を、独学で到達することは不可能だ」
「……」
「嘘をつけとは言わない。だが、いつか話してくれると——信じている」
レオンの目はまっすぐだった。追及ではなく、信頼だった。
「……前の世界の記憶があるんです」
言ってしまった。
「……前の世界の記憶があるんです」
言ってしまった。
心臓が早鐘を打つ。
ずっと隠してきた秘密。この世界で最も危険な真実。
「前の世界?」
「別の世界で薬の研究者でした。その知識がこの体に残っている。光る板で論文を書いて、白い部屋で試験管を振っていた——そんな世界です」
「信じてもらえなくても——」
「信じる」
即答だった。
「え?」
「お前のノートを読んだときから分かっていた。この世界にない知識だと。ギルバートも同じことを感じている」
「知っていて——黙っていたんですか」
「お前が自分で話すまで待つつもりだった。研究者には自分の言葉で発表する権利がある」
目が熱くなった。
「怖くないんですか。前世の記憶を持つ人間が隣にいて」
「怖い? なぜだ」
「異端とされるかもしれない。私に関わることが——」
「お前が異端なら、この世界の薬学が間違っている。正しいものは正しい。それだけだ」
ギルバートと同じことを言う。この世界の男性は、不器用だけれど本質を突く。
「前の世界?」
「別の世界で、薬の研究者でした。その知識がこの体に残っている。信じてもらえなくても——」
「信じる」
即答だった。
「え?」
「お前のノートを読んだときから分かっていた。この世界にない知識だと。けれどその知識が本物であることも、お前の人間性が本物であることも」
「知っていて——黙っていたんですか」
「お前が自分で話すまで待つつもりだった。研究者には、自分の言葉で発表する権利がある」
目が熱くなった。
「ありがとう——レオン」
「これで——何度目だ」
「最後の一回です。たぶん」
「たぶん?」
「明日もきっと言います」
レオンは笑った。三度目。もう皺を隠さなかった。
この物語にはもう一つだけ秘密がある。
この物語にはもう一つだけ秘密がある。
レオンが報告書を書き終えて立ち上がった。
「コレット。明日から新しいプロジェクトが始まる」
「新しい?」
「王太子の依頼で、国民医療制度の改革委員会が設置される。お前に委員長を頼みたい」
「私が? モブ令嬢が委員長なんて——」
「モブかどうかは関係ない。実力で選ばれた。それが新しいギルドの在り方だ」
「……やります」
「即答だな」
「迷う時間が惜しいので」
レオンが笑った。
「コレット。一つだけ」
「何ですか」
「お前が前世で叶えられなかった夢を——この世界で叶えろ。誰もが等しく薬を手にできる世界を」
「……知っていたんですか。前世の夢まで」
「ノートの最後のページに書いてあった。『いつかすべての人に届く薬を作りたい』と」
「あれは——」
「お前の字で、お前の花の横に」
涙が落ちた。
「叶えます。必ず」
レオンは頷いた。
この物語にはもう一つだけ秘密がある。
それは——明日から始まる、新しい物語の最初のページだ。




