第五話 薬草園の密談
薬草園はギルドの裏手にある。
私が使っているのは日当たりも水はけも最悪の一画だ。
けれどこの土壌でこそ育つ薬草がある。前世の知識で言えば、ストレス環境で育った植物は有効成分が増える。
薬草の手入れをしていると、足音が聞こえた。二つの声。低い声と、甲高い声。
「計画通りに進んでいるのか」
「はい、お父様。イレーネの論文は査読に回されましたが、委員をこちらの者に替えさせます」
クレメンス侯爵とイレーネだ。
私は薬草の陰に身を潜めた。
私は薬草の陰に身を潜めた。心臓がうるさい。
息を殺す。背中の薬草の葉がかすかに揺れた。動くな。
侯爵の声は低く、慎重だった。周囲を確認しながら話している。
「レオンが査読委員を指名したらしいが」
「理事会の決議で覆せます。旧貴族派が多数派ですから」
「油断するな。あの若造は手強い。末席の小娘を利用して揺さぶろうとしている」
「コレット・ハイネですか? あの子の研究など——」
「侮るな。あの娘の研究は本物だ。だからこそ危険なのだ」
(……侯爵が、私の研究を本物だと。)
「どうしますか」
「臨床試験の段階で問題を起こさせる。薬に細工をすれば——」
「お父様、それは——」
「お前は何もしなくていい。こちらで手配する」
背筋が凍った。被験者の命を危険にさらすということだ。
背筋が凍った。
薬に細工する——つまり被験者の命を危険にさらすということ。
研究者として、これほど許しがたい行為はない。
前世でも、臨床試験の不正は最も重い罪だった。人の命を預かる研究において、データの改竄や薬の細工は——殺人と同義だ。
手が震えた。怒りで。
(……落ち着け。感情的になるな。今やるべきことは記録だ。)
会話が遠ざかった。私は震える手でノートに日時、場所、内容を書き留めた。
◇
レオンに報告した。
「臨床試験への妨害計画。薬への細工」
「記録は」
「ノートに書きました」
「だがその記録だけでは証拠として弱い」
「分かっています。だから薬の管理を厳重にします。調合は私一人が行い、完成品に封印を施す。封印が解かれた痕跡があれば細工の証拠に。各工程の記録を二重に残します」
「二重?」
「信頼できる第三者に立ち会ってもらいます。ギルバート先生——元薬務部門長です」
「あの偏屈な老人に連絡が取れるのか」
「以前、薬草園で偶然お会いしました」
「偶然ね」
レオンの口元がかすかに動いた。
「ギルバートに話を通す。お前は研究に集中しろ」
「はい」
「それと薬草園に行くときは一人で行くな。フランか私を呼べ」
「理事が薬草園にですか」
「安全確認のためだ。他意はない」
「安全確認のためだ。他意はない」
(……他意はない、と言う人に限って——いや、考えすぎだろうか。)
「分かりました。では明日の午後、薬草園の手入れをしますので」
「行く」
「即答ですね」
「予定が空いているだけだ」
「公爵様の予定が午後丸々空くことがあるんですか」
「……空ける」
(……空けるんだ。)
翌日の午後。レオンが本当に薬草園に来た。
公爵の正装ではなく、動きやすい服に着替えている。
「レオン。その格好は」
「薬草園に革靴では入れないだろう」
「まさか手伝ってくれるんですか」
「雑草を抜くくらいはできる」
「公爵様が雑草を」
「公爵である前に、かつて実験室にいた人間だ」
二人で薬草園の手入れをした。
レオンは黙々と雑草を抜いた。手つきは不器用だったが、丁寧だった。
「この薬草は何だ」
「カモミールです。解熱効果があります」
「ノートの花は、これだったのか」
「……実物を見て気づいたんですか」
「絵が下手だから分からなかった」
「ひどい」
「事実だ」
(……確かに下手だけど。)
(……他意はない、と言う人に限って——考えすぎか。)
翌日。ギルバートが訪れた。
白い顎髭に片眼鏡。薬草の匂いがする老人。
「ほう。お前さんがコレットか。ノートを見せろ」
ノートを渡すと、一ページ目で眉が上がり、三ページ目で片眼鏡がずれ、五ページ目で——
「誰に教わった」
「独学です」
「嘘をつけ。この低温抽出法はこの世界の薬学理論にはない」
「……夢で見ました。別の世界の夢を」
「……夢で見ました。別の世界の夢を」
ギルバートは片眼鏡を外し、磨き、また掛けた。
考え込んでいる。
「夢か。面白いことを言う娘だ」
「信じていただけませんよね」
「信じるも信じないも、理論が正しければそれでいい。科学に出自は関係ない。夢だろうが啓示だろうが、正しいものは正しい」
「先生——」
「だがな。その知識を持っているなら、責任も伴う。この世界にない知識を使うということは、結果の予測も自分一人で背負うということだ」
「分かっています」
「分かっているか。では聞くが——お前さんの薬に副作用が出たとき、誰が責任を取る」
「私です」
「正解だ。その覚悟があるなら、わしは協力する」
ギルバートは長いこと私を見つめた。
「夢か。まあいい。理論が正しいかどうかは結果が証明する。わしの目の黒いうちにこの技術を完成させろ」
ぶっきらぼうに薬草の束を投げ渡した。
「わしの薬草園から持ってきた。そこらの雑草より百倍マシだ」
味方がまた一人増えた。
味方がまた一人増えた。
ギルバートが去った後、レオンが薬草園に残っていた。
「ギルバートが協力してくれるか」
「はい。条件付きですが」
「条件は」
「技術を完成させろ、と」
「妥当な条件だ」
レオンは薬草を見つめていた。
「コレット。ギルバートに前世のことを話したか」
「夢で見る、と言いました」
「信じたか」
「理論が正しければそれでいい、と」
「……同感だ」
少しの沈黙。薬草園の風が吹いた。カモミールの香りがした。
「レオン。あなたにも、いつか全部話します。夢のことを」
「急がなくていい」
「でも——隠し事をしているのは、あまり気持ちのいいことじゃないんです」
「隠し事ではない。まだ話す準備ができていないだけだ。それは全く違う」
(……この人は、言葉の選び方がいつも的確だ。)
「ありがとう。レオン」
「何度目だ」
「数えてません」
「数えている。七回目だ」
「……数えてるんですか」
レオンは答えず、薬草園を出ていった。耳の後ろが赤かった。
耳の後ろが赤かった。
フランが実験室で待っていた。
「コレット。ギルバート先生すごい人だね。薬草の知識、半端ない」
「四十年の経験は伊達じゃないわ」
「それに、投げ渡した薬草——あれ、すごく貴重な品種だよ。市場では手に入らないやつ」
「そうなの?」
「うん。先生の自家栽培。門外不出だって聞いたことある」
(……それを惜しげもなく渡してくれたということは。先生は本気で私を後継者と見ているのかもしれない。)
「フラン。明日から臨床試験の準備に入るわ」
「了解!」
三日後、臨床試験に予想外の被験者が名乗り出ることになる。




