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転生先はモブ令嬢でしたが魔法ギルドの隅で薬を作っていたら国を救うことになりました  作者: 渚月(なづき)


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第四話 手袋を外した手

レオンが手袋を外したのを見たのは、その日が初めてだった。


第三実験室で研究報告をしていたとき、インク瓶が倒れた。

私が拭こうとしたら、レオンの手が先に動いた。


白い手袋にインクの染みが広がる。


「すみません、手袋が——」


「構わない」


レオンは汚れた手袋を外した。


その手を見て、息を呑んだ。


指の関節に、古い火傷の跡が無数にあった。

薬品による火傷だ。私にも同じ痕がある。


「理事も実験を?」


「昔の話だ。今は事務仕事で手が鈍った」


「でもこの痕は相当な回数——」


「いい。仕事の話を続けろ」


手袋を戻す仕草が少し急いでいた。


(……見られたくなかったんだ。)


報告を続けた。

解熱薬の試作第一号完成。動物実験で安全性を確認。人体への臨床試験の許可申請段階にあること。


「動物実験の結果を見せろ」


データを広げた。

十二匹の実験用魔獣に投薬し、全匹で解熱効果を確認。

副作用はなし。


「投薬量と体重の比率は」


「体重一キログラムあたり〇・五ミリリットル。人間に換算すると——」


「分かる。計算は自分でやった」


「……読んだんですか。報告書を事前に」


「理事の仕事だ」


(……事前に読んで、計算までしてきている。この人は、本気で私の研究に向き合ってくれている。)


「臨床試験の被験者はどうする」


「ギルドの診療所で募集する予定です」


「クレメンス侯爵の息がかかった診療所は避けろ。東区の第二診療所を使え。あそこの所長は中立だ」


「お詳しいですね」


「お前の研究が妨害されない環境を確保するために調べた」


淡々とした口調。けれど「お前の研究のために調べた」という事実が胸に残った。


報告を続けた。解熱薬の試作第一号完成。


動物実験で安全性を確認。人体への臨床試験の許可申請段階にあること。


「臨床試験の被験者はどうする」


「ギルドの診療所で募集します」


「クレメンス侯爵の息がかかった診療所は避けろ。東区の第二診療所を使え」


「お詳しいですね」


「調べた。お前の研究が妨害されない環境を確保するために」


淡々とした口調。けれど「お前の研究のために調べた」という事実が胸に残った。


レオンが立ち上がった。扉に向かいかけて足を止めた。


「コレット」


初めて名前で呼ばれた。


「手袋の替えを持っているか」


「いえ——隠すつもりはありません。これは研究者の手です。恥じるものではないので」


レオンは黙った。それから汚れた手袋をポケットにしまい、素手のまま部屋を出た。



翌日からレオンは手袋をしなくなった。理事会でも、廊下でも——素手だった。


フランが目ざとく気づいた。


「ねえコレット。レオン理事、手袋やめたの知ってる? ギルド中で噂だよ」


「そうなの」


「研究者の手を隠すのが貴族の作法だって言われてたのに。なんでだろうね」


「さあ……」


「コレットが何か言ったんでしょ」


「何も言ってない。たぶん」


「たぶん?」


「手の痕は恥ずかしくないって言っただけ」


「それだよ! コレットが変えたんだよ!」


(……変えた、なんて。自分の考えを言っただけなのに。)


けれど、一つだけ気になったことがある。

レオンが手袋を外した手——火傷の跡は、薬品によるものだけではなかった。

指の付け根に、魔法の暴走による典型的な痕跡もあった。


あれは、相当な出力の魔法を制御しきれなかったときにできる痕だ。


レオンが研究者だった頃——何を研究していたのだろう。

魔法薬の安定化、とだけ聞いた。

けれど、あの火傷は安定化実験の域を超えている。


(……いつか聞いてみよう。でも、今はまだ。)


「コレット。臨床試験の準備を進めろ。論文の件は私が守る」


「守る」——その言葉に不思議な重みがあった。


「信じます」


レオンはわずかに目を見開いた。


「……そうか」


信じると言われることに慣れていない顔。


信じると言われることに慣れていない顔。


公爵家の当主。ギルドの改革派。

敵は多く、味方は少ない。


権力者として恐れられることはあっても、信頼を寄せられることは少なかったのかもしれない。


(……でも私は味方だ。研究を守ってくれる人を、信じないわけがない。)


レオンが立ち上がった。


「明日の朝、薬草の追加発注を出す。臨床試験に必要な量を確保しておけ」


「ありがとうございます」


「礼は結果で返せ。何度も言わせるな」


「言われるたびに結果を出しますので、何度でも言ってください」


「……減らず口だな」


「研究者の基本です」


この人は、周りから信頼ではなく、恐れや忌避を向けられてきたのかもしれない。


公爵家の当主で、ギルドの改革派。

敵は多い。味方は少ない。


(……でも私は味方だ。研究を守ってくれる人の味方を、しないわけがない。)


けれど午後の理事会で素手のレオンを遠くから見たとき、胸が少し温かくなった。


イレーネの論文の件はまだ決着がついていない。フランが集めた入退室記録と、ノートの綴じ目の痕跡を照合する作業が進んでいる。


レオンは「時期を待て」と言った。


「今は証拠を固める段階だ。動くのは確実に勝てるときでいい」


「でもイレーネの論文が評価されたら——」


「されない。査読は私が担当する。公正な人間を選ぶ」


(……この人は一手先を読んでいる。)


「コレット。臨床試験の準備を進めろ。論文の件は私が守る。お前は研究に集中しろ」


「守る」——その言葉に不思議な重みがあった。


「信じます」


レオンはわずかに目を見開いた。信じる、と言われることに慣れていない顔。


「……そうか」


今日は少しだけ、カモミールがうまく描けた。


今日は少しだけ、カモミールがうまく描けた。


実験室を出ると、フランが待っていた。


「コレット。インクの分析結果が出たよ」


「どうだった」


「イレーネ様の論文の下書きから、コレットの自家調合インクの成分が検出された。間違いない」


「これで四つ目の証拠が揃った。綴じ目の痕跡、入退室記録、花の落書き、インクの成分」


「四つもあれば十分だよね」


「十分よ。でもまだ出さない」


「なんで?」


「相手は侯爵家。証拠の数ではなく、提出するタイミングが重要なの」


「タイミング……」


「レオンが言った通り、確実に勝てるときに動く。焦ったら負ける」


フランは唇を噛んだ。


「悔しいね。証拠があるのに、すぐに出せないなんて」


「悔しい。でもね、フラン。正しいことをするために必要なのは、勇気だけじゃない。忍耐も要るの」


「前世——じゃなくて、以前にもそういう経験が?」


「……ちょっとだけね」


フランは何かに気づいた顔をしたが、追及しなかった。

代わりに、にっと笑った。


「コレットがその気なら、私は待つよ。いつまでも」


「ありがとう。そう長くはならないわ」


そして臨床試験の準備が始まったとき、予想もしなかった患者が名乗り出ることになる。


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