神の御使いは、愛する人のためならなんでもします!
ほんわかシスターと吸血鬼のラブコメです!
ちょっとだけ愛が重いけど……
「よいしょっ……と。はい。これで大丈夫ですよ!」
彼女は泥で汚れた部屋で、悪臭にまみれた老人の身体を丁寧に拭き上げていた。どんなに汚れていても、どんなに酷い病気であっても、彼女の瞳には慈愛しか宿っていない。
窓の外からその様子を眺めていた男――吸血鬼の伯爵は、退屈そうに金色の瞳を細めた。
「相変わらずだな、シスター。神様も君の献身には辟易しているんじゃないか?」
「あら、伯爵様。神様はいつだって、お困りの方をお助けしなさいと仰っていますわ。ねえ、おじいさま?」
老人は虚ろな瞳でただ頷くだけだった。もう長くはない命だ。
伯爵は指先で窓枠を叩きながら、欠伸を噛み殺した。
「……おじいさま、もうすぐ楽になりますからね」
老人は苦しげに咳き込む。シスターは慈愛に満ちた手つきで、彼の苦しみを終わらせるような、少しだけ「決意」を含んだ微笑みを浮かべていた。
(……あいつの笑顔は、時々、神様よりも冷たく見えるんだよなぁ)
窓越しにそれを眺めていた伯爵は、訳もなく自分の喉元を押さえた。
――――
「全く……。伯爵様も黙って見ていないでわたくしを手伝ってくださればいいのにー」
シスターは溜息をつきながら屋敷の重厚なカーテンを開け放った。埃が舞い、太陽の光が差し込む。
吸血鬼である伯爵にとって、それはこの上なく忌々しい光のはずだが、彼はただソファに深く沈み込み、退屈そうに指先で遊んでいる。
「私はそういうのはしないの。人の世話を焼くなんて、神の御使いの特権だろう?」
「御使いだなんて……。わたくしは『救済』のお手伝いをしているだけですわ」
彼女は伯爵の足元に跪き、丁寧に靴を磨き始める。その姿はあまりに健気で、あまりに無防備だ。伯爵は金色の瞳を細め、その華奢な肩越しに、屋敷の外に広がる貧民街を見下ろした。
あそこに溢れる死の匂い。
彼女はその匂いを、慈愛という香水で誤魔化して生きている。
あんなものに囚われてるなんて、馬鹿なやつだ。
少しからかってやろうかと思った。
「はー。それにしても暇だな。暇すぎる」
「そうですか?平穏でいいじゃありませんか」
「長く生きていると暇になるの。……そうだシスター。君の血をくれないか?」
「嫌ですー」
「ったく。……じゃあさ、私が狩りができないことは知っているかい?」
「……え?」
シスターの靴磨きの手がピタリと止まる。
「私は、私を甲斐甲斐しく世話する人間が真に救いたいと願った者の血しか吸えないんだよ。……ようは救済した人間ってやつだね」
「救……済……。そう、救済なのですね」
シスターがゆっくりと顔を上げる。その瞳にはいつもの慈愛が宿っているように見えたが、伯爵は一瞬だけ、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「それなら、伯爵様は飢えておいでなのですね」
「……は? いや、別に今すぐ死ぬわけじゃ……」
「いけませんわ。神の御使いとして、お仕えする貴方様が苦しんでいるのを黙って見ているなど」
シスターの声色はいつも通りなのに底知れぬ恐怖を感じる。
「少しお時間いただけますか?……すぐ戻りますので!」
鼻歌で聖歌を歌いながら彼女は伯爵の屋敷を出ていった。
――――
屋敷を出て数十分後。シスターは、煤けた壁が並ぶ貧民街に足を踏み入れていた。
「あら、シスター! 今日もお勤めですか?」
「ええ、少しばかり……大切なお使いを頼まれまして。神様のご加護が、皆さまにもありますように」
(ようやく救えるのですね……!待っていてくださいまし)
――数時間後、彼女の足取りは軽かった。
手には聖杯を愛おしそうに持ち、歓びに満ちた表情を浮かべている。
「シスター、もう帰っちゃうのー?」
「はい。名残惜しいですが……お使いですから」
――――
彼女を待っている間、伯爵はどこか落ち着きがなかった。
何か恐ろしい獣を目覚めさせたのではなかろうか、と不安がよぎる。
夜の帳が降りるころ、彼女が帰ってきた。
彼女は赤黒い液体が入っている聖杯を伯爵に渡してきた。
「さぁ、お飲みになって!」
彼女は悪びれることもなく笑顔で人を『救済』したと伝えたのだ。
(まさか……こんな、こんなことが……あってたまるか!)
「どうなさったのです?伯爵様。……まさか、『飲めない』とでも?」
伯爵は震える手で聖杯を受け取った。その中身からは甘い砂糖のような香りと、隠しきれない鉄錆の臭いがする。
彼は自分が吐いた言葉を呪った。ただの退屈しのぎが、彼女の常軌を逸する行動を引き出すための「聖なる合図」にすり替わっていたのだ。
「……君は、なんてことをしたんだ」
伯爵の掠れた声に、シスターはきょとんとした顔をする。その表情には、一切の悪意も、罪悪感も存在しない。あるのはただ、彼を満たせたという無垢な充足感だけだ。
「貴方様を救済したのですわ。……伯爵様。わたくし、もう引き返せません。貴方様が私の罪を半分、背負ってくださるのでしょう?」
彼女は伯爵の膝元に歩み寄り、その手に自らの額を預けた。
伯爵は、聖杯の中身を飲み干すしかないと悟った。だがこれを拒めば、彼女は自分の犯した罪の重さに耐えきれず壊れてしまうだろう。あるいは、自分の言葉を否定することになる。
「……ああ、そうだ。……半分、背負ってやろう」
伯爵は彼女の首筋に牙を突き立てる。
それは愛の行為ではなく、逃れられない契約の儀式だった。
「……ありがとうございます、伯爵様」
シスターが恍惚とした表情で微笑んだその瞬間、伯爵は理解した。
(……ああ、神様。私はとんでもない『贈り物』を頂いてしまったらしい)
いかがでしたかー?
騙し討ちみたいになってすまない。すまない……。
もし、「より深淵で、より生々しい結末」にご興味がある成人の方(18歳以上の方)がいらっしゃいましたら、ムーンライトノベルスにて『裏版』を公開予定です。(このあと0:00に更新します)
大まかなストーリーは変わりませんが、ぼかしていた部分を書いた完全版となっております。
同じ作品名で投稿していますので、こちらも合わせてお読みいただけると幸いです!
※未成年の方の閲覧は固くお断りいたします。




