第十話
「リラちゃん、調子はどう?」
ガチャッと部室のドアが開いて、マロン先輩が入って来た。実験の進捗を尋ねられた私は、経過観察中の魔法道具から目を離さず答える。
「上々です!」
どうなることかと思われた魔石研究部の研究だが、先輩たちの助言のお陰でなんとか軌道に乗ってきた。
ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、今、教室での私は窮地に立たされているのだった。
「はあ……」
誰もいない部室でため息をつくと、右隣の席から声が聞こえて来た。
「大丈夫?」
私は肩を震わせる。椅子が揺れてガタッと音が鳴った。
「レト先輩!?いらしたなら言ってください!」
「ご、ごめんね!僕の存在感が薄いばっかりに」
「いや、そんな悲しい意味では……」
レト先輩は知らないのかな?知らなそう。噂にも疎そうだし。
ひとしきり驚いた私は、悩みの種について相談してみることにした。
「実は、最近王弟殿下とゴタゴタがありまして。光栄なことなのですが、私にはちょっと荷が重いというか」
私は、学内ではかなり噂になっているであろう話を始める。
ことの発端は輝石を扱う授業のパートナーに、王弟殿下が私を指名したことだった。
学園では毎年、夏休暇の前に輝石の欠片をペアで預かり、休暇の間輝石が輝きを失わないよう二人一組で扱い方を練習する実習がある。
輝石の数が限られている、一人では貴重な輝石を駄目にする生徒が必ず出るなどそれなりの理由はあるものの、このペアを作る実習はいい婚約者探しの場となっているのが実情だ。
原作「きせデレ」においても、この実習はルート分岐のキーポイントになるなど重要なイベントだった。
とはいえ別に男女でなくてもいいので、私は別のクラスに婚約者がいる女の子とペアを組もうと話していた。ところが教師にペアを作るように言われたあと、殿下は迷うこともなく私の方に歩いて来たのだ。
「あ、あの、私は大丈夫ですから、どうか殿下と……」
隣にいた友達が遠慮がちに後ずさる。
助けてよぉ!と目を向けると、素早く首を横に振られた。
「ヴァイオレット嬢、良かったら僕とどうかな?」
待ち構える私に、高位貴族のご令嬢方を騒がせる甘い声で殿下はそう言う。ああ、言われてしまった……と私は肩を落とした。殿下からの提案を断ることなどできない。
「ええ。喜んで」
私はにっこり笑ってそう答えたのだった。
ちゃっかりジョンヌ家の親戚の少年とペアを組んだお義姉様が目を見開いてこちらを見る。
違うのです!お義姉様!
小さく首を振ると、お義姉様は得心したように頷いた。
それにしても、教室では目立たないよう気をつけていたはずなのにどうしてこんなことに。ご学友のジョンヌ家の少年と良い仲だから、私に興味を持たれたのだろうか。
ペア成立を教師に報告する殿下を横目で伺うと、殿下は優しい目をして振り返った。
「ずっと、かわいらしい子だなと思っていたんだ」
そっちかぁ!私は思わず天を仰いだ。
確かにリラ・ヴァイオレットはさすがヒロインというほど、整った美しい容姿をしている。
殿下とて学生。彼はそこに惹かれたのだろう。
でも、それでは困るのだ。
私は「きせデレ」のヒロインのようにヒーローたちと恋を繰り広げるつもりはなかったのだし、平穏な学園生活を送ろうとしていた。
まさかフラグもイベント回収もしていないのに向こうから近づいてくるとは。
私の脳内は既に真っ暗の曇り空だが、殿下は一点の曇りのない笑顔でピカーッとペアになった私を見ている。
うん。まあ、自分に気に入られて嫌がる人が今までいなかったのだろう。事実このクラスにも、殿下のパートナーになりたかったご令嬢はたくさんいるわけで。
どうしてそっちに行ってくれなかったかなあ。私はこっそりため息をついた。
私は育ちが育ちだし、家格も多くの王族の正妃がそうである侯爵家ではない。その上殿下が求めるのは能力ではなく顔。
そうなると、正妃を別で迎え私を側妃として迎えるのが現実的だろう。多くのご令嬢方はそう考えた。
かくして、殿下の側妃候補と目されるようになったのだった。
「そ、そんなことが」
レト先輩はいつものように短く考え込むと、私を見て口を開いた。
「リラさんは、側妃にはなりたくないの?」
レト先輩にそう訊かれて、私は目を伏せる。
「まあアリ……ではあるのですよね。私の就職先として……」
正妃の座は空いているとあって、今のところ「きせデレ」本編のように悪役令嬢が出て来ていじめられていると言うわけでもない。
未だ落ち着く先が決まっていない私には、今度のことは渡りに船であるはずだった。なんとなく嫌だと感じる理由は個人的な嫌悪感でしかない。
「私の母はその……妾、でしたから」
自分の口からは言いたくないもので、歯切れ悪くそう言った私にレト先輩はなんとなく納得したようだった。
「実習のペアについては、もうどうしようもないよね」
「そうなんです。決まってしまったものは仕方がなくて」
「今度、殿下にはそれとなく伝えておくよ。僕個人からでも一応、無視はできないと思う」
さらっと頼もしいことを言って、レト先輩は首を捻る。
「あとは……そうだなあ、難しいけど……リラさんが嫌だと思うことをする必要、ないと思うよ」
うーんと唸りながら先輩は言った。
長男にも関わらずシアン家の家督を継がず、研究に没頭している先輩が言うとすごく説得力がある。
「あ、そうだ。学園祭はできるだけ、研究部のみんなでいた方がいい。あれもそういうイベントになりがちだから」
輝石の実習で仲を深めた男女が学園祭で改めて将来を約束するのが婚約のお決まりのパターンである。
「ぼ、僕もできるだけ、守るから」
長い前髪から真剣な光を宿した青い瞳がちらっと覗いた。
「レト先輩、ありがとうございます」
少し心が軽くなった。
お礼を口にすると、自然に笑顔が浮かんだのだった。




