第六話「幽霊」
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9月6日。
「なあ、どうやって笹島の周りをうろつくかなんだが……」
幹人は、廊下をずんずん突き進む真琴の、ポニーテイルが揺れる背中に声をかけた。
幹人が見た予知夢の内容を真琴に告げた翌日の昼休み。
『笹島純一郎を含む複数の学生が火事に巻き込まれる』という出来事と、それを示唆するような投稿をしていたSNSアカウント。
できる限り悲劇を避けたいと願う幹人は対策を考えるための情報収集として、笹島の身辺調査をそれとなく行いたいと考えており、その方法をこの昼休みに真琴と相談するつもりでいた。
「いいから。あたしに着いてきなさい」
そう言って彼女が指差したのが、今しがた通りがかった職員室前の掲示板に貼られた、なぜか和紙に真っ赤なインクでしたためられた新聞部の部員募集の張り紙だった。
三沢高校には、委員会や部活がいくつも存在している。
部活動として認められる最低条件があり、所属部員が五名以上かつ顧問として先生の認可を得る事が必要である。
過去に部員が五名以上居たが卒業や退部などがあり、人数が下回ると同好会へと格下げとなる。
そして、同好会の活動期間は一年間と決められており、一年後に部員が五名以上とならない場合には解散となる。
再び同じ部活を発足するには、5人以上をそろえる必要がある。
新聞部もまた、今年の春に同好会へと格下げが決まり、解散まであと半年を切っていることを真琴は知っていた。
「なんで新聞部?」
「さ、いこ」
幹人が疑問を差し込む間もなく真琴は歩みを更に進め、やがてとある部屋のドアを開ける。
新聞部の部室は、2つ並んだ事務机にノートパソコンが置かれ、その周りにパイプ椅子が四つ並んだだけの簡素な部屋だ。
しかし、それはあくまで部屋の基本的なレイアウトの話だ。
中の様子を覗き込んだ幹人は、思わず驚きの呻き声をあげる。
窓は真っ黒なカーテンで仕切られ、窓際に並んだ本棚には、骸骨の模型や魔法陣が描かれた布切れ、それに蝋燭や藁人形など、その場にそぐわないものがいくつも置かれていた。
壁には所狭しと新聞の切り抜きが貼られており、中身は過去数十年分の未解決事件の物だった。
「なんだこの部屋……てか、誰もいないのか?」
幹人は部屋を見まわし、人の気配のない部室に向かってつぶやいた。
机の上には先月号の校内新聞があり、幹人は手に取りマジマジと見つめる。それまで校内新聞なんて存在も知らなかった。
『怪奇。特別棟の天井より滴る水』というタイトルがあり、本文には『未発見の妖怪、汁垂れの仕業と判明した』とある。
「いや、これ去年の冬に吹奏楽部が水落としを忘れたやつだろ……」
昨年の冬、部室が多く並ぶ特別棟で水漏れがするという騒動があった。
それは、担当の生徒が週末の水落としを忘れたためである。
水落としとは、雪国特有の文化である。冬の間は気温が下がり、真冬日には外気温がプラスになることが無い日もある。
その時、水道管の中の水が凍結してしまい、膨張するため水道管が破裂し水が漏れてしまうのだ。
だから水道の元栓を操作して閉めた後、蛇口を開いて水道管の中の水を抜く作業が必要となる。
三沢高校の特別棟では、不定期な時間に部活の生徒が出入りするため、この作業は生徒が担当することになっていた。
ただのドジが招いた出来事も、この新聞部にかかればあっという間に怪奇現象になるようだ。
「……だあれぇ」
「うわあ!?」
突如、耳元で聞こえた消え入りそうな声に、幹人は大声を上げて驚いた。
振り向くと、そこに立っていたのは、癖の強い黒髪が顔を覆う女子だった。
髪が長すぎて、さらに姿勢が悪く前屈みに立っているせいで顔がほとんど見えない。
「あなたが藤木あさひね。新聞部……いえ、今は新聞同好会と言った方が適切ね、その部長」
幹人の傍らで、真琴が腕を組みながら涼しい声音で言った。
「そうよぉ……何かご用?」
藤木あさひと呼ばれた女子生徒は、グルリと首を回らせて、真琴の方を見る。
正確には髪の毛の奥で見たように動いた、と言うのが正しい。
「あたしたち、新聞部に体験入部を希望しているの」
真琴は、今発した言葉に幹人が何か言いかけたところで、組んでいた腕の肘を彼の脇腹に突き刺した。
「体験入部……? でもぉ……私は”冥界のソウルフレンド”たちが囁いてくれた記事しか書きたくないのよぉ」
髪の毛の奥で、ニヤリと広角が上がったのだけが見てとれた。
幹人は脇腹をさすりながら、密かに新聞部が廃部寸前になっている理由を悟った。
「もしかして……あなたたちも、交信が可能? そういう人なら大歓迎よぉ」
「え、交信……あー、確かにたまに不思議な出来事があったり……なかったり……」
真琴の意図を察して幹人は話を繋ぐ。
流石に、ここで予知夢の話は出来ない。
「例えば?」
「うーん、夏場の話なんだがな。授業で出された週末課題の範囲をメモ帳に書いてあったんだ」
幹人は記憶を整理しながら、少しでも藤木が関心を持つように脚色して話を続ける。
「んで、日曜日の夜になって、そろそろ課題やるかなと思ってメモ帳をみたんだが……メモが真っ白になってたんだ」
実体験ではあるので、図らずも言葉に熱がこもる。
「あれは焦ったぜ。メモ帳は間違いなく同じ物だし、書き忘れた訳でもなかったからな」
「……素晴らしいわ! それは間違いなく妖怪インク吸いの仕業ね! あなたには記事を書く素質があるわ!」
藤木は喝采と言わんばかりに舞い上がり、幹人の手を握る。
ヒンヤリとするその手に、幹人は思わずゾッとする。
「でも、このままだとこの同好会も解散になる」
真琴は話題を軌道修正するように、口早にまくし立てる。
そうすると、黒い毛の塊はコクンと頷いた。
「そうねぇ、今部員は私と一年生の須田くんしか居ないの……でも彼は実質幽霊部員……いやぁ、いい響きよねぇ、幽霊部員……私もなりたいわぁ……」
「新聞同好会が解散すると困るでしょう?」
真琴の質問に、藤木あさひは滔々とした独り言を辞めて、再びコクンと頷いた。
「そうなの……この部室も……ノートパソコンも返却しないといけないのよねぇ。これは学校の備品で私はパソコンを持っていないから、記事を書いたり情報を集めたりするのに重宝していたのよ」
部室も到底、すぐに立ち退きできる状況ではないなと、幹人は内心で思いながらも、黙って顎を掻いて誤魔化した。
「そこで、あたしに案がある。部活から格下げになった同好会の活動期間は一年間。でも、特例があり活動期間を更に一年間延期することができる。それは……生徒会の認可を受け、優良活動同好会として認可を受けること」
真琴の言葉に、ようやく物事が繋がったと幹人は合点した。
一方の藤木あさひはメデューサのような髪をかき上げて、真琴をまじまじと見ていた。
「そのために、有益な活動……たとえば、生徒会の活動に密着した記事を書き、広める事で全校生徒達の社会活動への関心の向上を図るとか。実は、あたしたちは生徒会のある人とコンタクトを取りたい。だから、その目的さえ達成できれば退散する」
「そうねぇ……」
真琴の提案に、藤木あさひは渋りながらも頷く。
「そしてうまく行けば、生徒会から優良活動同好会として認めてもらい、少なくともあなたが卒業するまでの二年間はこの部室と備品を確保できる」
「……まあ、そこまで言うならいいわぁ。新聞部の名前を貸すぐらいだしねぇ」
「ありがとうございます」
誇らしげに言う真琴を横目に、幹人は舌を巻くだけだった。