第五話「復讐の業火」
*
酷く熱い空気が纏わりつく不快感で、頭がぼおっとする。
吹きあがる噴煙に、視界は真っ黒に塗りつぶされる。
けれど、目を焼くような鮮烈な炎は煌々と辺りを照らした。
幹人は、胸を打ち付ける音の正体が、己の心臓の鼓動であることに気がついた。
酷く、焦っている。
幹人は、眼前に聳える壁のような炎の中に向かって何かを叫ぶ。
自身の耳にも、何を叫んでいるのか分からないほどの絶叫だった。
灼熱の炎が燃え盛る向こう側。
そこには、炎の檻に閉じ込められた、数人の学生がいる。
そのうちの一人、縁のない眼鏡をかけた男子の一重で切長の瞳と、幹人は目が合った。
急がなければいけない。
幹人がさらに何かを叫ぶと、向こうも叫び返す。
その直後、燃え盛る柱が頭上から降り注ぎ、彼らと幹人は完全に分断された。
幹人の意識は、唸り声を上げる猛火の中に包まれる。
そして、視界は闇に消えた。
次の瞬間、幹人は跳ね起き、周囲を見まわした。
そこは、彼の自室だった。
ベッドの中で汗だくで目覚めても、いまだ鼓動は高鳴り全身は熱を帯びていた。
*
9月5日。
「それが、君の見た夢の内容の全部?」
「ああ、その通りだ」
稲見山展望台のベンチに、幹人と真琴はきっちり三十センチの幅を開けて二人並んで座っていた。
真琴の視線の先には、工事中と書かれた札がかかる、壊れたフェンスがある。
二人以外の人間は相変わらずおらず、幹人は今朝見た夢の内容を真琴に伝えた。
屋上でお互いの連絡先を交換した2日後、幹人は相談したいことがある旨を伝え、放課後に真琴を呼び出した。
この日、空は曇天模様で、心なしかいつもより肌寒かった。
「これは間違いなく、起こってしまう未来の夢なんだ」
苦虫を嚙み潰したような口調で、幹人は告げる。
真琴はそれでも、表情を変えることなく、ただ指先を顎に添えて言葉を探す。
「火事……頭上から柱が降り注ぐなら屋内のようね。それに、君が何かを叫ぶ状況からして、眼鏡の学生の側が閉じ込められていて、君が何かを伝えていると思われる」
「……そうだな。俺も何を言ったのかよくわからないが、おそらく逃げろとか、その辺りだと思う。あと、眼鏡の学生のことはもう特定した」
夢の中で、一人だけはっきりと顔を見た相手。
その瞬間はわからなくても、夢から醒めた後で思い返せばその人物の名前は容易に分かった。
「笹島純一郎。俺たちと同学年で、一組だ」
「そう。その人物とは知り合いなの?」
その真琴の返しに、幹人は静かに首を横に振る。
「いや、まあ知り合いではない。でも彼の顔と名前は大体みんな知っているぞ。なにせ生徒会長だからな」
まったく知らなさそうな真琴に対して、幹人はもはや呆れもしなかった。
「そう。それなら話は早い。笹島純一郎に消火器でも持ち歩くように提言することね」
幹人の夢は、笹島を中心とする学生たちが炎に包まれるところで終わっている。
つまり、その後何らかの手立てがあれば助かる可能性も残されている。
真琴は冷たく言い放つと、それきり話を切り上げようとする。
一方の幹人は食い下がる。
「さすがに消火器は持ち運べないけどよ。普段なら何となく笹島にまとわりついて助けられないか探るところなんだが。今回はそれとは別にちょっと興味深いものがあってな」
そういうと、幹人はスマホを取り出し、画面を真琴に向けた。
視線だけをスマホ画面に落とすと、そこにはとあるSNSのアカウントによる投稿が表示されていた。
「……『復讐の業火、その身を貫き苦悶のまま葬るだろう。身に覚えのある方はご用心を』。なにこの痛々しいポエムは」
真琴が棒読みで朗読した投稿の、アカウント名には『おみとおしさま』とあり、眼球を模したイラストが設定されている。
「実は最近学内で話題になっているアカウントなんだが……まあ知らないよな」
スマホをポケットに戻しながら、幹人は流行に疎い真琴に説明を始めた。
「このアカウント、少し前から自称超能力者として、未来予知とかサイコメトラーとか言って、いろいろ投稿しているんだ」
幹人も胡散臭そうな気持ちを隠そうともせず、言葉を並べる。
「そんで、こないだの夏休み明けに英単語テストがあっただろ? その出題範囲の予言をして、実際にほぼ言い当ててたんだ。それで、生徒たちの間で急に信ぴょう性が出て人気になってるんだ」
「ほぼ、ね」
「ああ。八割ぐらいの的中率だったらしい。信じて山張った生徒もいたらしいが、流石に百点満点が続出したわけじゃないから先生たちには気づかれていないだろうな」
真琴はその経緯を鼻で笑った。
幹人は咳払いを一つして、話を本題に移す。
「だけど、この『復讐の業火~』ってやつはそれよりもっと前。夏休み中の8月半ばぐらいの投稿なんだ。まだ生徒たちの間で有名になる前だぜ」
「そんなもの、どこから見つけてきたの?」
「色々投稿をさかのぼって見つけたんだ。予知夢を見た時は、周囲でヒントになるような出来事が起きていないか調べるんだが、その時に結構SNSの投稿が関係あったりするんだよ。それで今回は……」
幹人が言わんとしていることを、真琴は口早に先回りする。
「その『おみとおしさま』とやらが笹島純一郎本人か、あるいは彼に何らかの強い怨念を抱く人物で、いずれ行う放火について予告しているっていいたいのかしら」
「……まあ、そんなとこだ」
幹人は、コクリと喉を鳴らして話を続ける。
「よく『匂わせ投稿』とかってあるだろ。本人や当事者たちしかわからない程度の情報をあえて発信して、事実が露見したら答え合わせをするやつ。それに近いことをしているんじゃないかって」
腕を組んだ真琴をよそに、幹人は話を続ける。
「先にこの『おみとおしさま』の正体を特定できれば、あの火事の時にいろいろ対策をできるかもしれない」
「俺にできることは、それぐらいだと思う」
幹人は決意に満ちた表情で拳を握った。
「それで」
たまらず、といった口調で真琴は口を開く。
「君はあたしにその名推理を聞かせるためだけに、ここまで呼びつけたわけじゃないよね」
「お、おう。まあ、そうだ。……お前が協力してくれると助かる。おみとおしが誰なのかを特的するのに、知恵を貸してくれるだけでもいいんだ」
「それで、わざわざこの場所に呼び出したのね?」
氷のように棘を含む口調の真琴に対し、幹人は一瞬口を開けて固まった。
この、2人が出会いを果たすきっかけとなった、転落事故の現場で。
幹人は真琴の命を救ったというのは事実であり、今この場で真琴が怪我無く無事生きているのも、言ってみれば幹人のおかげだ。
「ああ! いや違う。そんな恩着せがましいことをするためじゃないんだ」
慌てて言う幹人に対し、真琴は深いため息をついた。
普通の人なら、幹人のそんな態度も実は演技かもしれないと穿って見ることもあるだろう。
しかし、真琴にはその言葉に嘘偽りがない事が分かる。
そして、そんな事を考えてしまう自分自身と、そんなことに気がつきもしない幹人の天然さに、歴然たる差異を感じ、言葉にできない気持ちを吐息に混ぜて吐き出すしかできなかった。
「……じゃあ、君はどうして私に相談したの?」
「他に頼れる人が居ないから、だよ」
幹人はバツが悪そうに足元を見ながら呟く。
「……それは、あたしが君の未来予知の体質を知っているから、ということね」
「それもある。だけどそれだけじゃない」
そう言うと、幹人は視線を上げ、真琴のことを真っ直ぐ見据えた。
「お前が、信頼のおける友達だから、かな」
「……そう。まあどうでもいいけれど。でも、君に救われたと言うのも事実だから、協力はする」
真琴は、視線を曇天の空に向けながら、そう答えた。
幹人は、嬉しそうにはにかみ、「助かる」とだけ言った。
「けれど。全校生徒一人一人を捕まえて『お前がおみとおしなのか?』なんて聞いて回るのは嫌だからね」
「ああ、わかっている。……ありがとな」
幹人は心底嬉しそうに、感謝を述べた。
幹人にとって、予知夢のことを相談できる唯一の存在が、真琴だ。
そして、真琴もまた、自分の真偽がわかる体質の理解者が彼である。
普通の人なら、言葉の真偽を常に悟られ、不快感を覚えたり気味悪がって離れていくだけ。
けれど、彼は真琴を必要としている。
それは、能力を利用するためではなく、友人としてだと幹人は言う。
秘密を理解してくれている特別な友人として。
「ま、命の恩人様だし。その程度は報いてあげましょう」
「……だから悪かったって。とにかく人がいない場所って考えたらここだったんだよ」
わずかに苦笑を混ぜたその会話に、棘はもう無かった。