第四十二話 「全てを断ち切って生きていく」
*
時は戻り、緊迫するエレベーターの中。
あれから再びささやかな安らぎの時間さえも失った西条は、握るナイフに怒気を籠める。
「彼女の、父親の名を知っているか」
その質問に、単純明快に答えるには難しい。
しばし息を整え、成澤は言葉を紡ぐ。
「……その子の、父親は私であると、思っていた……。だが、どうも怪しい、不明瞭なところがあった。だから、DNA鑑定をするよう、愛子に言ったのだ」
成澤は、とにかくすべて事実を語ろうとした。
どういう仕組みか知らないが、半端に嘘を織り交ぜ男の激昂を誘うのは得策ではない。
「すると、あの女は娘を連れて行方をくらませたのだ……! その件については、むしろ私が被害者と言えるのだが」
「黙れ! 質問の事以外喋るなクズがッ!」
男は背後から成澤の傷を負った側の側頭部を殴りつける。
痛みと怒りで叫び出す成澤に追撃を、「やめて!」という女の声が静止する。
「……優子の、山崎優子の行方を知っているか」
再び、調子を取り戻した質問に、成澤は答える。
噓偽り無い、彼自身が知る真実を。
「知らない……あの子は、優子は、あの噓つき女と共に姿をくらませたのだ! 私は知らない!」
「ふざけるな! 嘘を、嘘を吐くなと言っただろうが!」
男は半狂乱で喚き暴力に訴える。
「全部お前がッ、お前が奪って行ったんだろう! 愛子も、優子も、ほんの些細な俺の幸せを、お前が奪ったんだろうが……俺は、俺はァ! 俺は、復讐のためだけに、奪い返すためだけに……この日まで、やってきたのに……」
やがて消沈する男に対し、エレベーターの中には悲壮感を含んだ女性の声が鳴り響く。
「嘘ではない。彼の言葉に、嘘は無いの……」
次の瞬間、エレベーターの電気が急に復活した。
眩しさで目が眩みながらも、成澤は自身の姿がすっかり血塗れであることに驚愕しつつも、一階に到着したエレベーターの扉が開く音が聞こえた。
「誰か! 助けろ!」
成澤がここぞとばかりに大声を張り上げる。
「……クソがっ、逃げるぞ」
男がナイフを持ったまま、女の手を引いてエレベーターから飛び出す。
慌ただしくホテルのロビーを二人の人間が駆け出す。
ホテル一階ロビーには急なエレベーターの誤作動に四苦八苦している支配人や、混雑するエレベーターホールでたむろしていた他の客が多く居り、飛び出した二人と血だらけの成澤を見比べて悲鳴を上げた。
「警察を呼べ! 暴漢だ! あいつ等を捕まえろ!」
成澤の怒号に、ロビーに居たホテルスタッフが手際よく動き、外線への連絡と男の確保に走る。
しかし、男は手を引く女の来ていたトレンチコートを乱暴に引き剥がすと、その手に持っていたナイフを彼女の首筋に突き立てた。
「動くな! コイツは人質だッ、警察へ連絡を止めて道を開けろ!」
制服姿の女は顔面を蒼白にして男に首筋を締め上げられる。
その場にいた人間は突然の出来事に身を固くした。
その隙を見て、人質を連れた作業服の男はすっかり日が暮れ夜となった外へ飛び出していった。
*
雪がちらつく、冬の夜。
札幌の都心部には多くの人であふれていた。
帰途につき家へ急ぐもの、あるいはまだ仕事へ向かうもの、戯れる学生同士。多種多様な人種が入り乱れる中を、西条は真琴の腕を掴み闇雲の駆け出していた。
もはやナイフの脅しは必要ない。
強引に手を引き、喧噪の中心となったホテルから遠く離れた。
都心部中央に位置する街の代名詞ともいえる公園で、西条は足を緩めやがて歩きだした。
もはや、真琴は引っ張られずただ付き従い歩くのみである。
「ハハッ、終わりだ……。お前の言った通りだった……ぜんぶお終いだ」
西条は空を見上げ、ビルの隙間から覗く真っ黒な天を仰ぎ呟いた。
シンボルタワーが、白々しく輝いている。
「最初から分かってたのかァ……? お前は未来でも見えるのかよ……俺はいつだって、失敗しかしない」
西条は立ち止り、真琴の手を離した。
「逃げるなら今の内だ……お前は最初から最後まで、俺に脅されていたことにしろ。警察に保護してもらったらそう言えばいい」
西条は横目で真琴を見る。
真冬の外に制服姿で放り出された真琴は身を抱きながら、けれどその場に立ち止まり話始めた。
「この結末を、知っていたわけではない……。けれど、失敗する可能性が高いと推測していた」
静かに、自身の選択の過ちを後悔するかのように真琴は言った。
このまま会話を続けていられる時間は長くは無いだろう。
今はホテルでの事件での騒ぎが中心となっており、ナイフを持って女子高生を脅しているとされる犯人像もあり、今こうして対話をしている二人が当事者だとは周囲の人間も認識していない。
けれど、西条の顔や服装から、すぐに警察の手が届くだろう。
そして、彼自身もう逃げる気力も目的も無い。
「貴方の目的を聞いて、成澤氏からすべての真実が聞けるとは、到底思えなかった」
真琴は、少ない情報を繋ぎ合わせて、自分なりの真実を推理し、そしてよりよい方向へ西条を導けるのではないかと考えていた。
しかし、それも結局は失敗に終わった。
自身の体質を能力と勘違いした、仇となったのかもしれない。
真琴は自嘲気味に顔をゆがめ、自身の考えを吐露する。
それがせめてもの、彼の想いへの弔いになるように。
「最初に貴方は、焼失したコミュニティセンターの図書室に一冊の文庫本を仕込んだ。それが八十川君への暗号、冒険の旅立ちへのヒントだった」
八十川がコミュニティセンターで見つけた本の暗号を作ったのは、西条だ。
彼は八十川があの場所に強い思い出がある事を知っており、なおかつ真琴と八十川を繋げようとしていた。
それは、真琴の能力が本物であるかを確認するため。九月初旬の三沢市の夜、ファミレスで聞いた『あの会話』の真偽を確かめるためだった。
「……そうだ。顔を見て、間違いなくお前だと思ったが、確信が欲しかった」
西条もすべての手の内を明かすように、同意する。
「あたしが佐々木ゼミナールに通っている事を知り、八十川をその場に誘導して冤罪事件を仕掛けた。それを成せたのは、貴方があのビルで清掃業務を行っていたから」
ビルの清掃業者。それこそが、西条の肩書だ。
落とし物のリップクリームを回収し、ゴミとして捨てられたものや市販品を足せば、八十川への冤罪事件を仕掛けることが出来る。
もしも真琴が八十川の件に無関心なら、更に事をエスカレートさせていくだけ。
しかし八十川の過去への執着心には、確信があった。
「両目の泣きぼくろのアイツを、焼け落ちた後のコミュニティーセンター付近で見かけたんだ。ずいぶんでっかくなってたが、一目でわかったよ……優子と、一緒にいたヤツだってな」
西条もまた、コミュニティセンター焼失事件の後に現場に走っていた。
彼ら二人にとって、それほどに思い入れがある場所だった。
そこで西条の頭の中に、考えが生まれ始めた。
「真偽が分かるなら、俺の過去への決別もできるかもしれないとな……。俺は、俺は本当に短い間だけでも、真実を知りたかった」
西条の目的は、山崎優子の真実を知ること。
「あたしの体質は、残念ながら全てを見通すことが出来るわけじゃない。あくまで、相手の言葉の真偽を判別できるだけ。相手が知りえない情報は、嘘も真も存在しない……」
「俺はてっきり、成澤が俺の存在に気づいたんだと思ったんだ……。コミュニティーセンターで、遠くからあの子を見守っていた。だけどある日、俺は声を掛けたんだ」
どうしても、確認したかった。
だから、八十川が居ない彼女一人の時間に、何気なく声を掛けた。
ただ、急に大人が話かけるとまずいから、作業服を用意して仕事の人だと偽った。
「その時に、名前と生年月日も、母親の名前も聞いたんだ。あの子は、確かに愛子の娘だ」
けれど、父親の名は聞けなかった。
きっと、聞いても知らない筈だろう。
「あの子が、その話を愛子か、成澤にしたんだと思った。だから急に姿を消して、俺の前に現れなくなったんだと。あの男の仕業でどこかへ隠されたんだと思ったんだ」
成澤なら居場所を知っている、真実への手がかりを掴んでいる。
その前提が崩れれば、この事件はいたずらに暴力を振りまいただけの無残な結果に終わる。
「その場合、成澤氏が簡単に手を引くとは思えない。ずいぶん虚仮にされたことでプライドも傷つけられ、怒りと恨みで行方を追ったはず。けれど彼は結局、見つけることはできなかった」
真琴は最悪のパターンとして、この現実を想定していた。
だからこそ、この結果だけは避けたかった。
「財力を持つ人間で、社会的地位がありプライドも高い。下手な事を吹聴されても困るし、成澤氏は執拗に追跡していたはず。それでも見つけられないのなら、相当な手段を講じて彼女達は逃げ切ったのだと思う」
単に遠くへ行くことじゃ、この日本という法治国家で消息を絶つことはできない。まして、幼い子供と母親の二人身で。
より巧妙で、全身丸ごと全部を嘘で包むような存在に生まれ変わらなければ、逃げ切れなかったことだろう。
「……あたしは、一人の人物を知っている。言っていることすべて、嘘にまみれていて、何一つ本当の事を言わない人が居た。もしも、過去全てを断ち切って生きていくとしたら、それぐらいしなければならないのだと思った」
真琴の言葉に、西条は顔を上げる。
彼の瞳に、消し炭になっていたはずの熱が燻る。
「……なんだ? お前。まさか知っていたのか……優子がどこにいるか……」
「知らない。確証はない。けれど、せめて貴方の目的を果たすくらいなら……」
「ふざけるな! お前に、お前に俺の何が分かる! お前はいいよなァ、才智もあって、特別な力もあって、恵まれた人間だろうがよォ! 俺は昔っから何をやっても失敗ばかりだァ、惚れた女も、その女の子供も守れない、真実を見つけ出そうと躍起になっても結局はこのザマだ」
自暴自棄になった西条は、おもむろに懐に手を伸ばす。
役目を終えたはずのサバイバルナイフは、真琴に向かって切先を向けた。
「言え! お前が知っていること全部、この世のすべてを俺に教えろ!」
怒号と共に西条は真琴の襟元を、空いている手で掴み身を引き寄せた。
そして、眼前に白刃を突き付けて脅す。
もうこれ以上、何も失うものは無い。
それまで和やかな空気に包まれていた公園内にも、徐々に混乱が伝播する。
痴話げんかではない、刃物がある事が知れ渡ると、悲鳴と好奇心が入り混じった蠢きにも似た騒ぎが巻き起こる。
「けれど……それはあたしが決めることではない……彼女がどういう判断をするか、その機会を設けたかった……」
「知るかッ! もう知らねェ! 喋らねえと……!」
西条がナイフを振りかぶる。
それでも真琴は口を噤む。
自身と特異体質と推理だけで見つけた真実を、まして秘密にしておいたであろう彼女の真実を、勝手にこの場で口にすることなど出来ない。
西条は、もう何も考えていない。
ただ、この女子高生が羨ましい程憎く思え、ただ怒りのままに腕を振り下ろした。
悲鳴がこだまする。
それは、現場を傍観するだけの通行人の一人が、反射的に叫んだものだった。
当の真琴は口を真一文字に結び、目を逸らさなかった。
西条は息を吞んで腕を振り下ろしていた。
そして、サバイバルナイフの切先は突き出された腕に深々と刺さっていた。




