第三十九話 「奇妙な沈黙と連帯意識」
*
12月20日。
平日のビジネスホテルの一階になる朝食会場は空いていた。
札幌の中心部にある外資系のビジネスホテルは、近年改装されたばかりで、打ち放しのコンクリート風の内装に木製のローテーブルが並び、朝食はビュッフェスタイルでクロワッサンとサラダがメインだった。
黒のタートルネックにベージュのロングスカートの女性は、化粧した風ではないが、作り物めいた白い肌に刺すような視線の顔で、黒いロングヘアを頭の高い位置でポニーテールにしていた。
向かい合い座る男性は、よれたワイシャツに黒いデニムの簡素な格好だった。
お互い、無言で食事を続けて行く。
奇妙な沈黙と連帯意識が二人を包む。
日が差す外を見れば、冬の到来と共に雪が積もっていた。
真琴は、誘拐犯である『西条』という男と共に行動していた。
未だに、彼女の行方を捜索する警察の気配は無い。
それには真琴の考案した『謎解き』が効果を発揮し、彼女の友人たちは真琴の無事を知りつつ無意味なゲームに奔走していることを意味している。
そして、西条が知りえない手段でSOSを発信しているわけでもないという事にもなる。
誘拐直後、真琴は西条に交換条件を提示した。
『西条の知りたい事実の確認の為、然るべき段階で望む通りの質問をすること』、『警察に誘拐の件を伝えず、身内に安否を知らせる連絡をすること』。
その代わり、自身の拘束を最小限に止め、謎解きを各地に仕込む手伝いを行うことを要求した。
西条は食指を止め、目の前の女子高生を見据える。
こうして服装を整えれば、立派な女性として遜色は無い。
平日の社会を放蕩するには学生服は目立ちすぎる。
当初の計画では車内に縛り付けておく予定だったが、彼女の交換条件をもとに最低限の服は買いそろえた。
夜を明かす際は、ホテルのツインルームを利用した。
寝ている隙に脱走されぬよう細心の注意を払っているが、彼女はどうもその目論見は無いらしい。
真琴は、誘拐された最初の夜に西条の目的を聞いている。
彼女がそれをどう捉え、どう考えているのか、静かにクロワッサンを口にする表情からは推し量れない。
しかし、西条には真琴がただ素直に協力するようにも思えなかった。
意味不明な謎解き文章は西条も確認済みである。
しかし、それは部外者には分からない単語で、相手にメッセージを送っていることは容易に想像できる。
西条は奥歯を強く嚙み締めると、やがて重苦しく口を開いた。
「今日は午後から少し行動する。……制服に着替えておけ」
あくまで主導権は西条が握っている。
真琴は食事の手を止め、静かに頷いた。
*
夕刻、西条が根城にしているハイエースが市内を巡回し時間を潰した後、とあるホテルの裏通りに停車した。
廃棄物や清掃業者が出入りするバックヤードにハイエースが這入る様子はなんの違和感もない。
真琴は指示通り、当初来ていた制服に着替えており、その上からオーバーサイズのトレンチコートを羽織っていた。これは西条の私物であろう。
「行くぞ」
西条の指示で、二人は車を降りた。
札幌中心部にある高層ホテルは、絢爛豪華なロビーの装飾がなされ、平日の夕刻時にも拘らずスーツやドレスを着た大人が行きかっていた。
真琴はトレンチコートで制服を覆い隠し、顔には化粧をすればこの場に溶け込める。
西条はいつの間にか、グレーの作業服に上下をそろえ、清掃道具が詰まった台車を押していく。
その懐には、後生大事に抱えたサバイバルナイフが忍ばされている。
ロビーを堂々と横切り、台車を押したままスタッフオンリーと書かれた控室に入る。
その後ろに、ぴったりと真琴も着いて行く。
幾つか廊下を進み、やがて重い扉を押し開けると、そこは幾つものパイプが張り巡らされたボイラー室だった。
そこに、一人の男性が腕組みをして壁にもたれ、二人を待ち構えていた。
西条は彼に目を合わせず、無言で封筒を差し出す。
相手は素早い手つきで、作業服の内側の胸ポケットにそれを仕舞い込むと、そそくさとボイラー室を後にした。
そのやり取りを見届け、真琴はハッと息を呑んだ。
「……何故、まさか決行日を変更したというの?」
鋭く問い詰める声を無視して、西条は腕時計の数字を凝視する。
「答えて。計画を実行するのは今日ではなかったはず……!」
「黙れ。……くくっ、お前、自分の能力を過信しているな」
怒鳴るような口調で西条は答えるも、その口元は歪んでいた。
その様子に真琴は思考を巡らせる。
「謀ったのね……あくまで計画を告げた言葉に嘘は無かった、という事ね……」
「そうだ。俺はあくまで『12月の、めでたい夜に行われるディナーパーティ』としか言っていない」
それを勝手にクリスマスと勘違いしたのは、真琴のミスである。
真琴の考案した謎解きがその日を指している事を確認し、西条は満足していた。
そして、そういいながら、おもむろに懐に手を伸ばす。
そこから差し出されるサバイバルナイフの鋭利な切先は、まっすぐに真琴を向いていた。
「さあ、今更逃げ出そうなんて思わないでくれ。大人しく従えば傷つけるつもりはない。嘘はないぜ」
「……この計画は、未来は無い。どうか思い直して……私が、真実を探しだすから……」
「黙れッ! クソガキがッ!」
怒号は、分厚い壁に覆われたボイラー室の中で反響し、すぐに機械の駆動する重低音に吸い込まれた。
「分かった口きいてんじゃねぞ……そうやって、ちょっと賢いからって世の中なんでも知った風でいるといつか本当に痛い目を見るぜ……いいから、大人しく従え」
西条は血走った眼で言った。
真琴は、もはや彼を思いとどめる言葉を持たなかった。




