第三十六話 「自身の無力さ」
その日の放課後、幹人は一人奔走した。
三沢高校内の考えつく場所はひとしきり調べ終え、他に学舎として考えられる常盤中学も外観からだが巡り、何の足掛かりも得られなかった。
そうして、次に赴いたのは今回の旅の始まりの場所である。
思えば、ここも学舎と言えそうだ。
電車を降り、佐々木ゼミナールの前に立つ。
駅前に聳えるまだ新しいガラス張りのビルは、城というには少々無理がある気がするが、真琴が通っていた場所ということもある。
無料講義は終わったので、事実上は部外者ということになるのだが、幹人はさも受講生という表情で足を踏み入れる。
かつて、八十川がカバンを置き去りにし、事件が始まった場所であるロビーでベンチに腰かける。
しかし、これと言って何かがあるわけでもない。
『展望室から見渡す満艦飾の時を待て』
不意に、謎解きの文の続きが想起される。
展望室は、上層階を指すはずだ。
幹人はエレベーターへ足を向けた時だった。
「あー、君。受講者証を見せてくれるかい」
急に声を掛けられ、幹人は硬直する。
見れば、以前八十川がリップクリーム盗難事件の犯人にされた際に場を制した初老の男性職員だ。
向こうはさも億劫そうにクリップボードをボールペンで小突きながら、流れ作業のように受講者証の記録をつけていた。
特に幹人を不法侵入と疑っている様子はないが、事実今の彼には効果てきめんだった。
そんな幹人の困惑もよそに、男性職員は世間話程度にぼやく。
「いいや、悪いね。先日ゼミ内で盗難騒ぎがあってね。つい昨日から自習時間に出入りする学生さんの記録をつけることになったんだ」
幹人は思考を巡らせるが、上手い言い訳も思いつかない。
結局、「あー、そういえば学生証は別なカバンに入れっぱなしだったー!」とわざとらしく喚いて踵を返した。
そのまま振り返らずに駆け足でゼミを後にする。
背後からは、一拍間を置いた後に、「ちょっと君!」という男性の声が聞こえた。
*
ゼミ出たまま、そのまま走り抜ける。札幌駅近くの交差点は、冬季の間はよく人が通るせいで、路面が凍結していた。
焦りと思考に捕らわれていた幹人は、足を滑らせ盛大に転倒した。
足元をすくわれ、激しく腰を打ち付ける。
周囲の通行人は、一瞬驚くもすぐに見て見ぬふりをする。雪国での転倒者は日常茶飯事だ。
しかし、幹人はすぐには起き上がらず、呆然と空を見上げた。
夕刻を過ぎた曇天の冬空は、グレーに塗りつぶされていてなんの感慨も与えなかった。
大の字で寝そべる彼を、通行人は迷惑そうに睨みながら過ぎ去っていった。
自身の無力さに、腹が立つ。
真琴なら、おそらくこれまでの情報を整理すればこの程度の謎は容易に解き明かし、時に強引な手段や言い訳を用いてでも正解の場所へたどり着くのだろう。
それとも、今の自分は無駄に騒ぎを起こして、一人相撲を演じているだけなのだろうか。
本当は、真琴もただの遊びのつもりで、幹人が要らぬ心配をして大げさに立ち回っているのだろうか。
(……いや、ちがう。ちがうだろ)
誰にも言えないから、幹人は脳内で吐き捨てる。
真琴はただの謎解きを出題したのではない。
”幹人に対して出題した”のだった。
ソウルフレンドという単語を用いたのも、カルガモ軍曹をメッセージに添えたことも。
幹人と真琴の間での過去の出来事があるからこそ、幹人は出題者が真琴であると確信したのだ。
それは、そうなるように彼女が意図したからだ。
そして、真琴は待っている。
幹人が謎を解き、答えに辿り着くことを。
それにはきっと、彼女の考えがある。
決して、誰か大人を頼ったり、警察に通報したり、誰でもいいから助けを求めたわけではない。
幹人に、助けを求めているのだ。
幹人にしか、出来ない事だから。
でも、どうすればいい。
無理矢理にでも、正解か分からなくても、突き進むべきなのだろうか。
「……いったいこんなところで何をしているんです? 轢き殺されますよ」
そんな幹人の視界に、見下すような顔が現れた。
鬱陶しい前髪を伸ばし、眼鏡を光らせる男子は、ダッフルコートに身を包み粗大ごみでも見るかのような視線で見ていた。
「お前は……須田?」
「というか、早く立ち上がったらどうですか」
不機嫌そうな後輩、須田郁弥は、幹人を足蹴にした。
*
「お前、なんでここに」
「それは僕のセリフです。それと、今日はあの怖い先輩は一緒じゃないんですか」
立ち上がった幹人は、とりあえず交差点から立ち退き、駅前の広場で須田と向き合った。
「真琴は……」
幹人は逡巡し、そして決心した。
幹人自身に、真琴程の推理力があるわけでもない。
自分にあるのは、各地を奔走するだけの体力と少しばかり未来の事が知れる体質だけだ。
だから、利用できるものはすべて利用する。そうしないと、真琴には追い付けない。
「須田。頼む、俺に知恵を貸してくれないか?」
「はい?」
想定外の提案に、須田は頓狂な声を出した。




