第三話「その代わりに何を取り交わす?」
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9月4日。
昼休みを告げるチャイムが鳴り響いた。
三沢高校二年二組の教室内は、堰を切ったように弛緩した空気が溢れ出し、食堂に向かう学生の足音や弁当を広げながら雑談をする賑やかな声に包まれる。
しかし、影山真琴の周りには一段温度が下がったような冷淡な空気がまとわりついていた。
いつものように一人きりで昼休みを迎えるが、今日も昼食をゼリー飲料で済ませ、席を立って廊下に足を向けた。
昔から、嘘がわかる特異体質のせいで、真琴は他人との関わりを絶っている。
何気ない会話の中にも嘘は潜み、そこにどんな意図があるのか探るのは疲れるし、相手も良い気はしない。
そんな真琴に親しい友人などは1人もおらず、「はい」か「いいえ」以外、一度も会話をせずに下校することも多々ある。
そんな彼女を遠巻きに見つめる視線はあっても、声をかける人間は居ない。
天涯孤独。
真琴を形容するに相応しい言葉である。
真琴は腕を組み、廊下を歩くと目当ての教室の前に来た。
二年三組の教室から、今しがた出てきた生徒に気づかれないように、適度な距離を保って後に続く。
その人物、久田幹人は周囲に比べ頭ひとつ高く、すれ違う他クラスの生徒とも気さくに挨拶を交わしている。
ここ数日、真琴は彼の様子を密かに監視していた。
彼と邂逅を遂げた後、言葉巧みに彼を脅し、体質の事を口外しないように釘を刺しておいた。
だが、本当に誰にも喋るそぶりを見せないか、この目で見張っておく必要があると考えた。
背も高く健康的に引き締まった活発盛りな男子だが、観察の結果、部活には所属していない様子だ。
交友関係は広く、誰とでも親しげに挨拶を交わしている。
しかし、特定の誰かと長い時間を共にすることはなく、昼休みにはこうしてぶらぶらと校内を歩き回ることが多い。
今も、別なクラスメイトの女子に声をかけられ、その女子と軽口を交わし腕をソフトに叩かれながら、ここ最近では一番だらしなく頬を緩めながら会話をしている。
だがすぐに適当なタイミングで話を切り上げて廊下を進んでいった。
その後、彼は周囲の目を気にした後、本来立ち入り禁止になっている屋上へと上がっていった。
その背後を、足音を忍ばせて真琴も続く。
屋上へと出る扉は、しかし施錠はされていなかった。
秋の明るい空に目が眩みながら、真琴は緑色のフェンスが四方を囲み、排水がされずに残った雨水が水溜まりを作っているそこへ足を踏み出す。
幹人はフェンスの際にしゃがみ込んでいた。
見れば、フェンスの地面から二十センチぐらいのところは手が伸ばせそうな隙間が空いている。
その向こうの屋上の縁には、誰かが置き忘れていったのか、水の入ったペットボトルが置かれていた。
立ち入り禁止ではあるが、バレないように生徒たちが忍び込み、内緒話をするメッカとして生徒間では知られている。
そんな不届者の忘れ物か何かであろう。
風が強く吹けば落下してしまい、下に誰かが居れば怪我をする恐れがある。
彼は、そのペットボトルを回収し、中の水を地面に捨てていた。
「本当に、パトロールでもしているつもりなのね」
真琴は、そんな彼の様子に嘆息しながら、1人つぶやいた。
屋上から見下ろす先は、ちょうど中庭に続く渡り廊下の位置で、今も下には生徒たちが行き交っている。
「うわっ、いたのかよ」
素っ頓狂な声をあげて驚く幹人は、立ち上がりながら真琴に向き直す。
「別に、そんな大層なもんじゃないけどな。夢で見たんだよ、ここのペットボトルが今にも落ちそうな瞬間を」
誰だかしらねーけど危ねえよな、と幹人は文句を言いながらペットボトルを潰した。
「……つかお前、ここ最近ずっと俺の周りをうろうろしているだろ。別に誰にもお前の嘘が分かるという秘密を売ったりしてないからな」
憮然と腕を組み、背をそらす幹人を見上げながら、真琴は臆することなく返事をする。
「そのようね。まあ、何かあればいつでも君の秘密を衆目に差し出せるのだから。あくまで取引の内容を忠実に守っているのか、確認していたまでのこと」
真琴は、風にポニーテイルを靡かせながら涼しげに答える。
「……なあ、そのお互いを縛り合うみたいなの、やめないか?」
幹人はフェンスに背を預け、ギッと音が鳴る。
「実を言うと俺は、同じような悩みを抱える人に初めて会えて、そんで俺の体質のことも素直に話せて、理解してもらえて、嬉しかったんだ」
手にしたペットボトルを見つめながら、独り言のように彼は呟いた。
「別に、仲良くなろうとか、友達とかそういうのが嫌なんだったら、適当にほっといてくれていいからさ。警戒し合うのはなんか、疲れるんだ」
幹人は寂しげな笑顔で、本心から頼むような声音で真琴に告げる。
そんな言葉を向けられるのは、真琴にとっては初めてのことだった。
誰しも、嘘が暴かれるのを嫌う。
そして、嘘を暴く真琴の存在も、同様であった。
「そ、そう。まあ、君がそう言うのであれば……」
真琴は忙しなく髪束を触りながら、そう答えた。
ここ数日の観察結果として、幹人は自身の体質を乱用して自己の利益を得ている様子はなかった。
未来の出来事が断片的だとしても予知できるのであれば、それを利用する手もある。
また、自分の知らない誰かが、頭上から落ちてきたペットボトルで怪我をしようが、知らんぷりもできる。
わざわざ自分の時間を浪費してまで、そんな慈善活動をする彼の言葉に、嘘も潜んでいない。
真琴は、そんな無垢な彼に驚き、どう対応するべきか迷っていた。
「そうか、助かるぜ。……本当は、色々相談し合えるかと期待してたんだ。未来の夢をどう解釈したらいいのか、どんな対策をすればいいのか、お前に相談できたら……なんて思ったりもしたんだが、まあ難しいよな」
少し寂しげに笑う彼を前に、真琴は毛先をいじりながら答える。
「いいえ。すべてが無理というわけではない。……特に、君が見る未来について、情報を共有した方がいい場合もあるかもしれない」
「お、そうか?」
明後日の方向へ視線を向けた真琴に対し、幹人は曖昧に返事をする。
「じゃあとりあえず、あの取引とやらは無しにしようか」
幹人が宣言すると、真琴は首を縦に振った。
「けれど……その代わりに何を取り交わす? 契約、同盟……連合?」
至極真当な事だというように並べる言葉は、幹人にとっては冗談にしか思えなかった。
「あくまで何かを結ばなきゃ納得しないんだな……じゃあ、約束でいいだろ」
「約束?」
「そうだ。俺たちは互いの秘密を守るし、困ったら相談しあう。そういう約束だ」
幹人は内心、友達なら当たり前だよなぁと考えながらも、誰かれ構わず相談できる類の話でもないため、約束というのはちょうどいい落としどころだと自画自賛していた。
「分かった。……約束は、守るから。必ず」
「おう、指切りでもするか?」
「それはいい」
真琴に一蹴され、幹人の小指は空をさまよった。
納得した真琴は、今度は腕を組んで思案する。
「でも教室内などの衆目の前でその話をするのは憚られるかもしれない。その時のために、連絡手段はあってもいいと思う」
「おう?」
「スマホを出して」
真琴の言葉に、幹人は素直にポケットからスマホを取り出す。
「ロック、解除して」
「……あんまり人に向かって堂々と言うことじゃないよな、それ」
そうは言いつつも、顔認証でロックを解除した。
そのまま、真琴にスマホを手渡すと、彼女は幾らか操作を行い、幹人に返却した。
「はい、あたしの電話番号、登録しておいたから」
自身の妙案を誇らしく思ったのか、ドヤ顔をする真琴に対して、幹人はまじまじと画面を見下ろした。
「……えっ、電話帳なんて使ったことねえぞ!?」
メッセージアプリやSNSでのやり取りを主としている幹人は驚きのあまり声を荒げた。
「なぜ? スマートフォンなのだから電話が主の機能でしょう?」
「……ははっ、まあいいか」
真剣に首を傾げる真琴に対し、幹人は快活に笑った。
「よろしくな、超能力者同士」
「いいえ、あたしは自分のことは能力ではなくあくまで体質の一種と考えているのだけれど」
「今のはジョークというのだよ、影山女史」
幹人は明るくそういうと、「そろそろ戻ろうぜ、教師に見つかったら面倒だ」といい、階段へ足を向けた。