第二十八話 「置手紙」
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「あ、ありがとうございます……その、僕なんかの為に」
八十川はぎこちなく頭を下げる。
その前の言葉が無ければ、足元に虫でも飛んでいたのかと思うほどに、動作は鈍かった。
「まあ、知ってしまった以上は、ってやつだな」
幹人は感謝を受けつつも、半ば申し訳ない気持ちもあった。
本気で八十川の無罪を証明したいのではなく、不思議な事件を解きたい気持ちの方が強かったからだ。
三人は佐々木ゼミナールから帰る道中の、駅のホームで電車を待ちながら会話を行う。
寒々しい風が吹くホームには、身を縮こませる人々がまばらに並んでいるだけだった。
「最初に確認させてほしいのだけれど」
真琴は容赦なく、白い息を吐きながら八十川に質問を切り出す。
「君は佐々木ゼミナールに行ったのは、その日が初めてだった?」
「はい。無料講義に申し込んだだけで、僕は初めてあの場所に行きました」
真琴は澄んだ表情でその回答を受け取った。
眉間にしわを寄せない様子を見て、幹人は嘘はないのだと知る。
「それでは、君はどう思う? 偶然忘れたカバンに盗品を詰め込まれ、それが同級生の物だったとあの場で発覚したことに作為を感じるかしら」
真琴は尋問のような口調を変えないが、八十川も変わらず滔々と答える。
「それなんですが……実は」
口ごもりながらも、彼は話をする。
「カバンは、忘れたわけではないんです」
意を決したように八十川は白状する。
幹人はギョッと肩を上げるが、一方の真琴は無反応だった。
「そう、そうなのね」
真琴はさほど意外でもないように言う。
「実は、ある指示に従っただけなんです」
八十川は核心に触れるような言葉を口にするが、途中で口を結び幹人と真琴を見回した。
「でも、ここから先にお話しする代わりに、約束してほしいんです」
息を吸い込み、決意と共に言葉を吐き出す。
「必ず、真実を見つけて欲しいです」
それは、切実な目だった。
彼はただ無罪を証明したいわけではない、そうなった経緯を知ることも道中の一つだ。
その先に、何か真実があることを、八十川は確信していた。
「分かった。約束する。約束は必ず―――」
「守るよ。俺が約束する」
幹人は言いかけた真琴の言葉に割って入った。
なぜか、幹人は真琴が誰か他の男子と約束と口にしてほしくなかったのだった。
しかし、そんなやり取りも気にせず、八十川は納得したように頷いた。
「僕は、置手紙を見つけたのです。焼け落ちた、図書室で」
「それって……」
急に出てきた単語に、幹人は思わず息を飲む。
焼けた図書室に、いい思い出は無い。
「はい。皆さんも知ってますよね。噂では、三沢高校の人が犯人だとか言いますけど」
けれど八十川は他愛のない学生同士の噂話程度に、話を続ける。
「僕は旧コミュニティーセンターで置手紙を見つけました。それに従って行動したのです」
その日、三沢市の夜空に黒煙が昇った。
寝息を立てていた街中に、赤いサイレンが切り裂くように響く。
周囲にいた人は窓から顔を出し、やがて鎮火したその場には、翌日も野次馬が詰めかけた。
「僕は昔、よくコミュセンに通っていたんです。だから、事件の後で少し気になりまして……いけない事とは知りつつも、見納めしておこうと」
焼け落ちた施設は正式に取り壊しが決まった。
現場には規制線が張られ、工事の段取りが組まれる。
その完全な別れの日を前に、とある日の夜、彼は現場に忍び込んだ。
かつて過ごした図書室を、最後にその眼で見ておこうと。
「蔵書の多くは焼け落ちていて、当時の面影もありませんでした。ただ、何気なく手に取ったその本は災火を免れたのか、まだ綺麗でした」
適当に開いたページから、一枚の紙がひらりと舞った。
床に落ちたそれを拾うと、彼は深い好奇心に駆られたという。
「その紙は、よく本屋さんで本を買うと挟まっている注文カードでした。それだけなら特に不思議ではないのですが、紙はまだ真新しく、印刷された日付を見ても今月の物だったのです」
火災の後に置かれたであろう真新しい本。
自分以外にも誰かがこの場に入り込んだ痕跡を見つけ、八十川は驚いた。
「そのカードの裏に、メッセージが書かれていました。ただの数字の羅列だったのですが……」
「待って。君はその実物か、写真を所持している?」
話を遮り、真琴は確認する。
「……ええ、そうですね」
八十川は少し固まり、しばし逡巡したのちスマホの写真を見せた。
『42.828,141.652。No.32。4298。GBFY』
そこに映し出されたのは、機械で印刷されたような文字の羅列だった。
画質の良い最近のスマホの写真は、正面に印刷された注文カードの本来の文字が薄っすら透けているのが分かる。
「なんじゃこりゃ。暗号か?」
幹人は頭を掻くが、真琴は静かに画面を見据えると顔を上げた。
「前段は特別難しい話ではないでしょう」
真琴はそのまま、自身スマートフォンを取り出しいくつか操作した。
その様子に、幹人は思わず唸る。
考えても答えは出ず、真琴の顔を見つめた。
彼女はギブアップした幹人にため息をつきながら、スマホの画面を差し出した。
「これは座標。マップアプリで検索すれば世界のどの位置を差しているのか、数字の羅列だけで伝えられる」
真琴が操作したその場所は、三沢駅の表示がされていた。
その北口、少し逸れた位置である。
「さすがですね。心強いです」
八十川は白々しい態度で言う。
そもそも、ここまでは彼自身も辿った道筋である。
「僕はとにかく検索をかけて気が付いたのですが、地元の駅だったので実際に行ってみました。その後の数字もありましたから」
気を取り直し、八十川はここまでの経緯の説明を再開する。
「そこにはコインロッカーがありました。駅にある、不特定多数人が利用できるものです」
三沢駅のそれは、近年改装されており電子マネーにも対応したものだった。
一日分の利用料金が決まっており、先に清算を済ませておくと取り出す際はパスワードの入力だけで荷が取り出せるものだ。
「32番のロッカーは使用中になっており、僕はダメ元で荷の取り出し操作を行いました」
パスワードは、四桁の数字を打ち込むことによる。
4298。
すると、無機質な電子音と共に、いとも簡単に扉が開いた。
「中には、やっぱりメモがありました。そのメモに、『旅立ちの広間に鞄を置いて。次の冒険は、そこから始まる』と書かれていたんです」
そして、それは佐々木ゼミナールの無料講座の宣伝のチラシの裏に書かれたものだった。
彼は指示に従い、無料講座に応募し、ロビーにカバンを置いたのだった。
「その後、誰かがカバンに触るか確認しなかった?」
真琴の質問に、八十川は頭を横に振る。
「もちろん、それも考えました。少しの間、様子は見ていました。でも、カバンを置きっぱなしで居ると親切な誰かが僕に届ける可能性もあったし、ずっとその場で監視しているわけにもいかなかったので」
講座が始まるギリギリを待って、彼はカバンを置き去った。
そして、消えたカバンに興奮し、まるでゲームを楽しむような喜びを覚えながら指令の続きを待った。
けれど、待っていたのは無様な冤罪の結末だった。
「つまり、お前はその指示に従った結果、盗人の冤罪を受けたってわけか」
幹人はある程度納得したようにうなずく。
八十川がカバンを置き、そこに物を入れるというのは仕組まれた台本の一幕だったのだ。
しかし、依然として出題者の目的は不明であり、八十川がメモを拾ったのも偶然と思える。
「君が推理に失敗し、コインロッカーの中身を手に入れなければ、話は続かない」
「それに、『次の冒険は、そこから始まる』というのもよく分からんな。女子になじられるのが冒険なんか」
真琴と幹人はそれぞれ疑問を口にし、八十川は重ねて締めくくる。
「次の指示が入っているものだと思って、カバンを開けたのです。僕は、結局次の指示を手に入れていない」
*
結局、その日は三人で電車に揺られ三沢市駅に着くと、解散した。
真琴と幹人は自転車で駆けてゆく八十川の背中を見送り、歩き始めた。
「どう思う? あいつの言っていること」
幹人は混乱の様相を呈し始めた事態に、頭を抱えながら問うた。
「そうね。基本的に嘘はない……けれど、全てを話しているわけではない」
真琴は腕を組み、いつも以上に鋭い視線を巡らせて、幹人を見上げた。
「というと?」
「彼が謎の置手紙に執着する理由が、何かある気がする」
まだ、事実を解き明かす情報は揃っていない。
八十川もすべての情報を話しているわけではないだろうが、謎解きに直接関係する話でもないのかもしれない。
疑念だけが渦巻き、答えは出ないまま二人は暗い夜道を並び歩いた。
月はどんよりとした厚い雲に覆われ、薄明りしか見えなかった。




