第二十六話 「また、協力してくれるか?」
*
「それで、君は女子学生のリップクリームを窃盗していないのね?」
冷酷無比な真琴の声にも、男子生徒は臆せず否定した。
「はい。僕は何も盗んでいません」
その回答に、幹人は思わず生唾を飲み込む。
けれど、真琴は涼しい顔で、「そう」とだけ頷いた。
それはまさしく、彼の言葉に嘘はないという証明だった。
「なんだってまた、こんなことになったんだ」
「それは僕が知りたいです」
幹人のボヤキに、律儀に男子が返事をした。
三沢駅前のサイゼリヤには、真琴と幹人、それから姫野がボックス席を囲っている。
そして、その三人組の一角に、件の男子生徒、佐々木ゼミで大騒ぎを引き起こした渦中の人物、名を八十川拓志と言った。
彼は予備校内で女子学生の私物を窃盗した疑いを掛けられ、職員室に連行されたが、本人の強い否定と状況証拠のみという極めて判断に難しい状況を理由に釈放された。
被害者の女子生徒はなおも抗議したが、トラブルを大きくしたくない予備校側がなあなあで流すことを決め込み、終電時間を理由に一同は帰された。
そのタイミングを見計らい、幹人は容疑者の男子に突撃すると、偶然にも彼の地元は同じく三沢市であり、隣町の高校である岩岸高校に通っていることが判明した。
「それはそれは……災難だね」
「はい。というか、むしろなぜあなた方は僕の言葉を信用してくれるんですかね」
同情する姫野をよそに、八十川は無表情のまま聞き返した。
虚ろな黒丸の様な瞳の男子は、両目の下に泣きぼくろがあり、ざんばらに切られた黒髪がいかにも無頓着な男子学生然としていた。
飾り気も無く、気力もない。
”今どきの男子生徒の、およそ過半数”と言った具合の風情の彼は、幹人達に疑いの目を向ける。
「まあ、本当に盗難しているなら是が非でもその事実を隠すだろ?」
幹人は口から出まかせ半分でペラペラ喋り出す。
八十川はもちろん、姫野にも真琴の体質を知られるわけにはいかない。
「あんなに大漁の盗難品をカバンに入れっぱなしにはしないはず……それか、一日で盗んだにしては、あんだけ盗み取るのはかなり大変だ。むしろ罪を擦り付けられた側に見えたように思えたから、かな」
存外的外れでもないような推理を披露すると、姫野はうんうん首を振った。
「久田君に言われて、ハッとしたからね。確かにって」
「それだけなんですか」
釈然としない八十川は、けれど盗んでいないのは事実なので経緯を話す。
午後十一時を回ったファミレスには、他に学生の姿は無かった。
「僕は実際に、人の物を盗んだりはしていません」
「では何故。君のカバンにあのような物が入っていたのかしら」
真琴の尋問にも、彼は飄々と答える。
「さあ、分かりません」
「では質問を変えましょう。君のカバンにあのような物が入れられるチャンスはあったのかしら?」
「それは……」
一瞬言葉に詰まり、けれど彼は口を開く。
「それはあったと思います。僕は、その日はカバンを一階のロビーに置き忘れたので」
「置き忘れた?」
「はい」
八十川は白々しい態度で頷く。
真琴の眉間には強い皴が生じる。
幹人は思わず、そのやり取りを凝視する。
「予備校について、講義が始まるまで僕はロビーで缶コーヒーを飲みました。その時、カバンをベンチに置き忘れて講義室に行きました」
黒い瞳をまっすぐに真琴へ向け、彼はその日の行動を説明する。
「講義室で席に着き、十五分ほどしてカバンを置き忘れた事に気が付き、ロビーに戻りましたが、僕が座っていた付近にはカバンが無かったんです。時間もないので、とりあえずコンビニに走ってペンとルーズリーフだけ買い、講義室に戻りました」
その後、休憩時間に職員室に行くと、カバンは届けられていたという。
「それじゃあ、その間にカバンが盗まれて、中に盗品を詰め込まれていたってわけか」
幹人は一応証言を飲み込むが、真琴の顔から疑念は消えない。
彼は嘘を言っている。
しかし、それがどこに該当するか、どの行動が嘘なのかまでは分からない。
「盗まれていたリップクリームはあの怒っていた女の子の物だったんだよね……あの子たちとは知り合いみたいだったけど」
姫野も事件を回顧しながら尋ねると、八十川は壊れた人形のように首を縦に振った。
「はい。同じ学校の人です。でも、あまり喋ったことは無いです」
この様子では、八十川の学校での扱いも容易に想像ができる。
ドブ川、というのは彼に着けられた蔑称にほかならないだろう。
「なぜリップクリームが彼女の私物と判ったのかしら。大量に所持しているのは不自然でも、同一メーカー品である可能性はある」
真琴はその状況を見ていないため、三人に向かって問いかける。
「それは、彼女のリップクリームにはキャラクターのシールが貼られていたのです」
八十川は淡々と答える。
女子生徒の私物であった物には、名札のように特徴的なキャラクターのシールがいくつも貼られていた。
「騒ぎの中で、他の奴等も盗られたみたいなことは言っていたけど……まあ、全部が盗品かどうかはもう分からないな」
幹人は、騒動の後で職員室前で他の生徒達も詰めかけ返却を求めていたが、八十川のカバンに入っていたリップクリームはすべて予備校側で破棄するとのやり取りを聞いていた。
相変わらず無料の水だけで済ます幹人は、コップの中身をあおり、しばし考える。
八十川は犯人ではないが、何かを隠していることは間違いない。
真犯人が居るとするなら、その目的は女子生徒の私物の欲情したわけではなく、八十川に不名誉な罪を負う状況に陥らせるためだろう。
けれど、八十川は正直そんなことをしなくても周囲から妬まれるほど羨望の眼差しを向けられているわけではない気がする。
「……君は、実は誰が犯人か知っている? 心当たりがあったりする?」
「いいえ。分かりません」
八十川は横に首を振った。
*
この日は、それきり解散することになった。
八十川は佐々木ゼミナールに普段は通っておらず、無料講義を機に初めて佐々木ゼミに行ったそうだ。
無料講義がある次回も、予備校に行けば会えるだろう。
駅前で解散し、八十川は自転車にまたがり夜の街に消えた。
姫野は母親が軽自動車で迎えに来ており、二人も送ろうか打診され、ありがたい話だが断ることにした。
真琴の家は三沢駅からほど近く、幹人は歩いて送ることにした。
「なあ、あいつの話なんだが……」
「ええ。君には事実を伝える。彼は犯人ではなく、またその犯人を知っているわけではない。けれど、カバンを置き忘れたくだりで、何か嘘をついている」
姫野の前では、さすがにこの話は出来ない。
考えをまとめる意味でも、この徒歩の時間は必要だった。
「あいつの名誉を挽回してやる義理もないが……」
幹人は迷っていた。
八十川は確かに可哀そうな目に遭っている気がするが、知り合いでもない他校のヤツをを助けてやるほど幹人もお人よしではない。
だが、脳裏にはあの予知夢の事が浮かぶ。
刃物の人物が八十川であるとは想像しにくいが、真琴が通う予備校で何か妙な気配があるのは気がかりだった。
「この手の事件でよくあるのは……やっぱりイジメかと思ったんだよな。だけどその割に、あいつのあの状況を見て嘲笑う連中も見当たらなかったし、あいつ自身も心当たりがなさそうなんだよな」
苦々しい経験も踏まえ、幹人は言う。
その言葉に真琴も頷く。
「そうね。彼は学校でもあまり良い扱いではない様子。加害者はそれを見物して楽しむものだけど、その気配もない。地位を失脚させるための工作にしても、彼にはそんな必要性もなさそう」
真琴は状況を整理し、一つの推理に行きつく。
「つまり、この一件はとにかく注目を集めるため。八十川君は都合のいい客寄せパンダ」
「そんなパンダほどかわいくはないけどな……あの泣きぼくろはパンダっぽいかもしれんが」
幹人はぼやきながらも、頷く。
以前の事件も、そうやって注目を集めることでその後に大きな厄災を引き起こしていた。
今後起きるであろう出来事への伏線として引き起こされた騒動。
そこでしばし考え、幹人は口を開く。
「また、協力してくれるか?」
かつての約束。
予知夢における事象に対し、相談して解決策を模索すること。
「……ええ、まあ。けれど、今回は君の予知夢と直接の関係性はなさそうだけれど」
真琴はそう言うが、幹人は不安をぬぐい切れていない。
「まあ、そうだが。でも、無実の人を放っておくのも、なんか気まずいしな」
幹人は密かに、再びこうして真琴と事件を追う事への高揚感もあった。
それに、こうして二人で行動を共にしていれば、何かあった時にも対応できるかもしれない。
そう決め込み、作戦会議は明日に持ち越しこの日は分かれた。




