第二十五話 「鋭利に輝く白刃」
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雪の降りしきる街には、煌々とイルミネーションが輝いていた。
人々は身を寄せ合い、ありふれた特別な一日を満喫していた。
絢爛豪華に輝く街のシンボルタワーの下で、人々は大陸を移動する群れのように行きかう。
その真ん中に、一組の男女が居た。
肩を組む姿は恋人のようにも見えるが、目を凝らすとその様相は一変する。
鋭利に輝く白刃は、その少女の首元に突きつけられる。
漆黒のポニーテール、作り物めいた白い肌。
見慣れた制服には防寒着は無く、頬は寒さからか、あるいは危機的状況に紅潮している。
何事か、叫ぶ声がする。
あと一歩、もう一歩と踏み出す足がやけに重い。
手を伸ばした先で、その手は虚空を切り、視界は赤に染まる。
耳を切り裂くような絶叫が、断末魔のように鳴り響いた。
その反響音は、幹人の耳にずっと残り続けた。
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12月2日。
「それで、何?」
「ああ、いや、最近、お前、放課後どうしてるのかなって」
「……何?」
真琴は要領の得ない幹人に対し、露骨に苛立ちの態度を取る。
三沢高校の昼休み。
喧噪に包まれる食堂を避け、わざわざ事前に約束を取り付けて中庭に真琴を呼び出したのはいいものの、幹人はしどろもどろに言葉を紡ぐ。
「……君、もしかして。予知夢を見たのね?」
「え、あ、まあな。時々見るからな」
「……その内容は?」
「まあ、別に大した事ではないはずだが……」
「君、何を隠している? ……それは、あたしに関係する内容なのね?」
「……はぁ、まあ。そうだ。お前に隠し事は出来ないのは知っているし、無駄な抵抗だって分かっていたけどさ、俺にも心の準備ってものが」
「教えなさい」
鋭い一言に気おされ、幹人は夢の内容を告げた。
それを受けて真琴が取り乱すかと思えば、彼女は至極冷静に指先を顎に添え思考を巡らせていた。
「そう。まあ、そういう事態が起こり得るということね」
「怖くないのか?」
「……全く、と言えば嘘になる。けれど、それはあくまで起こり得る未来の一端としか言えないのであれば、あたしにとっては必ずしも事実とは言えないから」
幹人にとっては、三沢高校の女子生徒で、風貌は真琴に酷似している人物が、賑わう街中で刃物を持つ男に襲われる状況に思えた。
それがどういう経緯なのかは分からない。
あの九月の一件以降、二人は特に共同で活動する理由もなく何となく疎遠がちだった。
元々は一人で行動する真琴にとっては特におかしなことではなかったが。
「放課後は基本的に予備校だから」
真琴の一言に、幹人は一瞬思考を巡らせ理解する。
当初の質問に律儀に回答する真琴に、幹人は制服のポケットをまさぐり一枚のプリントを取り出した。
「ああ、やっぱそうだったのか。実は俺もこれを受けようとおもっててな」
幹人が差し出した紙は、学校から紹介する予備校の無料体験講座の申込書だった。
内容を一瞥し、真琴は頷く。
「そうね。あたしが通っている場所と一緒」
通常はそれなりに高額な月謝を支払うことになるが、申込者は三日分だけお試しで講義を受けることが出来る。
学校側は、その後はさておき無料で講義を受けられる機会なので積極的な参加を促していた。
「今度一緒に……」
「でも、あたしは個別クラスだから、フロアも出席時間も異なるけれど」
真琴は冷淡に言い切ると、幹人は露骨に肩を落とした。
その様子を認め、真琴は言葉を添える。
「……まあ、帰宅時間は同じだと思うけれど」
「……だな。まあ、どうせ同じ方向の電車だからな」
幹人は照れ臭そうに頭をかきながら言った。
*
12月5日。
すり鉢状の講堂には、百人を超える高校生たちが詰め込まれていた。
それぞれの学校の制服や、時折私服の生徒が混じり、異文化が入り乱れるカオスな状況に座学を受けるだけでも肩が凝る思いだった。
幹人は羅列する英文から顔を上げ、こめかみを揉み解した。
この日の無料講義クラスでは、英語の文法の解説が続いていた。
上下にスライドするホワイトボードに走り続ける講師の筆に、幹人はもう追いつく気力も無くなっていた。
九十分の講義が終わると、熱された講義室から生徒達が散り散りになりそれぞれの帰路についてゆく。
幹人は背筋を伸ばすと、普段聞きなれないボキボキという音がした。
「お疲れ様だね。久田くん」
「おう、姫野はついて行けてたか?」
幹人と同じく、無料クラスを受講していた姫野千歳は、苦笑を浮かべながら首を振った。
「う~ん、中々難しいね。普段とちがう教室ってだけでも緊張しちゃうよね」
疲弊を滲ませるように低い声音をこぼした。
「ま、どうせ無料だしな……」
結果が伴わなくてもいいか、という言葉を飲み込み、幹人は立ち上がった。
廊下に出ると、いくつか並んだ教室から同じく気だるい空気を纏った学生たちが出て来ていた。
幹人は視線を巡らせるが、この中に彼女は居ないことを知っていた。
片手をスマホに伸ばしながら、傍らに並ぶ姫野の様子を伺いつつ、人並みをかき分けた。
エレベーターホールには人が入り乱れ、非常階段には行列ができている。
少し、時間をずらそうかと言葉を作りかけた時だった。
「お前が犯人だったのねッ! マジで死ねよッ!」
耳をつんざくような叫びに、その場にいる全員が何事かと足を止めた。
その後も立て続けに手前の教室内から、ヒステリックに叫ぶ女子の声がする。
幹人は躊躇いながらも自然と足が喧噪の方へと向いていた。
「てかさ、なんでお前ここにいんの? キモいんですけど。最初からこれが目的だったのね」
「……いえ、僕は何も知りません」
「はあぁ!? 何言ってんのコイツ。この状況でよくそんなこと言えるよね」
「そう言われても、知らないものはしりませんので」
講堂の教壇前に、その騒ぎの中心があった。
一方的に叫ぶ女子と、その傍らに寄り添う女子。
その二人と対峙する一人の男子が居る。
二組の間には、中身がぶちまけられた学生用の肩掛けカバンがある。
散らばったルーズリーフや筆記用具の中に、いくつかのプラスチック製の筒が転がっている。
色とりどりのパッケージ、メーカーが混じるそれはリップクリームだった。
ざっと見ただけでもニ十本近くある。
「もう、もう……きしょい……キモ過ぎんだよぅ……」
激昂していた女子は次第に嘆き崩れるように膝をついた。
慰め続ける寄り添った女子も、頬に涙が伝う。
それを、呆然というように立ち尽くす男子が見下ろしていた。
「なに……何の騒ぎ?」
「さあ……?」
「え、うそ……もしかして私のもある?」
「やっぱり盗られてたんだ」
「てか、目的ってそういう事しかないよね」
「うわー……マジで最悪だね」
口々に騒ぐ声に、幹人は我に返った。
見れば、男子はおずおずとしゃがみ込み、散らばった荷物をまとめ始める。
律儀に、自分の所有物ではない物だけを除けながら。
それがむしろ、被害者たちの感情を逆撫ですることも知らずに。
「カバンの中漁りながらさ、ニヤニヤニヤニヤしてるから怪しいって思ったのよっ、そもそもドブ川の癖にこんなところにいるから変だとおもってたんだけどさあっ」
訳が分からない言葉を捲し立てる女子の声に、さすがに予備校側も異変を察知したのか、年配の男性が生徒達をかき分け這入ってきた。
彼は雇われ講師ではなく、予備校を運営する人間であろう。
学生たちを相手にしている者らしく、堅固で強硬な叫びでその場に解散を命じると、騒ぎの学生たちをそれぞれ引き連れ事務室へ向かった。




