第二十三話「嘘の無い未来」
二人の視界は闇に揉まれ暗転し、世界は急速に回転する。
ほんの刹那の出来事が永遠に感じれるほどの衝動を残し、やがて現実が押し寄せてくる。
「……何してるんですか」
郁弥は事態を理解し、零れ出すように呟いた。
真琴は身を投げた郁弥の右腕を片手でつかみ、もう片方の手で手すりを掴んでテラスから身を乗り出している。
「行かせない……あたしは、君に身を投げて欲しくて、真実を見つけにきたわけじゃないから……!」
苦悶の表情の真琴は、男子の体重を支えることもやっとで、当然引き上げるほどの腕力はない。
それでも、唯一動く口だけを使って、自分の思いを告げる。
「あたしは、知りたかった……。君にそれほどまでの執着を抱かせる出会いというのは、なんだったのか……」
真琴がここまで来て、見つけたかった真実は、ただの犯人捜しではない。
嘘ばかり並べる人間という生き物において、どんなに親しい相手であっても完全に理解することなんて、一生掛かっても不可能だと考えている。
だけど自分の気持ちにだけは、嘘はつけない。
誰かに理解してもらう必要はない正真正銘、自分だけの真実。
それを隠して抑えて、無理矢理捻じ曲げるから、反発が生まれる。力が生じる。
それを暴力にして誰かにぶつけないと、納まらなくなる。
世界はそんな軋轢に満ちている。
解放されるには、孤独しかない。
「結局は、人の自由は孤独と同一だから。あたしにとっての真実は孤独にしかないと思っていた。いつだって自分の中にしか存在しない。それが、あたしにとって嘘のない世界……でも……君にとっての真実は……」
真琴は次第に、息も絶え絶えになる。
震える腕に、もう力はない。
「……離してください。貴方まで、落下してしまう」
郁弥は下を見据える。
夜の下界は闇に包まれ地面まで見通せず、どれほどの距離があるのかすらわからない。
そこにあるはずの物言わぬコンクリートの地面に、叩きつけられれば無事でいられる保証はない。
「ええ、でも、もう無理……」
手すりから、真琴の手が外れる。
それでも郁弥の腕から、真琴は手を離さなかった。
二人の身体は、夜の空を舞い、瞬く間に地面が近づく。
人生が凝縮されたような時間の中、視界は暗い地面に接近した。
その瞬間、体全体を何かにつかみ取られるような感覚が包み込んだ。
落下の反動で、体が宙に浮かび、何度かの衝撃を繰り返して落ち着いた。
体はバラバラに飛散することも、四肢がへし折れることもなく、無事だった。
「これは……?」
真琴は呆然と自身の周囲を見回す。
体の周りには網状の繊維が張り巡らされており、郁弥も同じようにその上に横たわっていた。
「ふう、何とか間に合ったみたいだな」
そこに、懐かしいとすら思える声が頭上から降り注いだ。
見上げれば、幹人が悪戯が成功したような笑顔で、二階部分のテラスから顔をのぞかせている。
真琴の体は、バドミントン用のネットに受け止められていた。
ネットは二階部分の手すりと、道路を挟んだ先の電柱に結ばれており、ハンモック状になっていた。
真琴と郁弥の体はその中にすっぽりと収まっていた。
「どうして……君はコミュニティセンターの人達を助けにいったのでは」
真琴は乱れた髪を払いのけ、呆然としたまま幹人に尋ねる。
「実は、ずっと前に夢を見たんだよ。あのテラスみたいな高い所から、学生が転落する様子をな」
そう言って、彼は自身のスマホの画面を差し出す。
いつだかも、彼は見た夢の内容をメモしていると真琴に見せたことがある。
その時のメモ。
確かに、今日この瞬間の様子を告げていたものだった。
「コミュセンの体育館からマットを出した後で、笹島たちに叫んだ。そんで今度はバドのネットを抱えてこっちまで走ってきたんだ」
マジで疲れたよ、と言う幹人は確かに額に汗が滲んでいる。
「本当に縛り終えた直後だったから危なかったぜ……お前が、少しの間持ち堪えてくれたおかげだな。まあでも、のんびりしているとあっちの騒動に巻き込まれるから、早く退散しよう」
幹人はそう言いながら、真琴に手を差し出した。
そこでようやく、自身の両腕が痺れて感覚がなくなっている事に気がついた。
「無理。抱えて」
真琴は身をネットに委ねたまま、天を見上げて寝転んだ。
幹人は、おいおい……と苦笑しながらも二人の回収のためネットを手繰り始める。
その傍ら、須田郁弥も真琴と並び夜空を見上げた。
轟々と燃え盛る炎から立ち上る黒煙は夜空に吸い込まれていく。
その先は、真っ暗な黒で塗りつぶされた空が広がっていた。
そこに、一つの明るい星を見つける。
星の名前なんてわからない。
けれど、夜空にポツンと光る星は、孤独を気にもせず輝きを放っていた。
「やっぱり、未来が見えるんじゃないですか」
拗ねたように呟く郁弥の言葉は、サイレンと喧騒の中に消えた。
*
10月3日。
怪しげなオカルトグッズが立ち並ぶ新聞部の部室に、まばらなキータッチの音が鳴り響いている。
ノートパソコンに羅列された文字は、数行進んでは消され、しばらくの沈黙をしたのち、またノロノロと進み始める。
「はあ、この行為に一体何の意味があるんだ……」
「無駄口を叩く暇があれば、一行でも記事を作成しなさい」
幹人の泣き言に、真琴は冷たく一蹴する。
しかし、その真琴のパソコンにも、まだ十分と言えるほどの原稿は作成されていない。
二人は建前として言っていた、生徒会密着記事を書くため、放課後は新聞部に籠り、並んでパソコンを広げて執筆を行なっていた。
旧コミュニティーセンター火災事件から二週間ほどが経過した。
あんな騒動があった後で書く生徒会賛美の記事を、どれほどの人間が真面目に受け取るのだろうと思うと、まったく筆は進まなかった。
「まあ、あの火事がおみとおしだとか何だとか、一気にかき消してくれてよかったのかもな」
旧コミュニティセンターでの火事は、三沢高校の生徒会メンバーが秘密基地として悪用しており、灯油ストーブの燃料を蹴倒した際に引火したという噂が校内に流れている。
あれ以来、校内で笹島や黒澤を見かけなくなったが、その後の出来事は真琴も幹人も関係が無いので詳細は知ろうともしていなかった。
一応、怪我人も無く無事であることは分かっている。
「須田郁弥も学校には来てないみたいだな。寮生の奴に聞いたら寮でも見かけないそうだ。実家に帰ってるのかな」
幹人は一応気にかけているのか、聞き取った情報を喋るが、真琴の返事は無い。
『おみとおし』のアカウントは削除されており、真相は文字通り闇の中に消えた。
「あとさ」
幹人はキーを出鱈目に押し、意味不明なテキストを生成しながら切り出した。
「あの夜、お前の中の真実は孤独にしか無いって、言ってたよな」
幹人は、二人の会話のすべては聞いていない。
テラスから出た後の断片的な言葉だけは、下でネットを張っていた際に聞こえていた。
「人の言葉の嘘がわかるっていう人生を、俺は想像することも難しい、理解するなんて到底出来ないよ。だからお前がそういう結論に至ったのも別に否定するつもりはないぜ」
一方の真琴は、指を止め視線はパソコンの画面を凝視したまま、静止している。
「だけど、人が誰かのことを分かりたい、理解したいっていう気持ちもまた嘘じゃないと思う」
綺麗事かもしれないけどさ、と自嘲気味に付け足す。
「多くの人には理解してもらえなくてもさ、孤独なまんまでもいいんだけどさ。なんつうか、人々には傷つけ合わない組み合わせみたいなものがあると思うんだ」
真琴は視線を上げ、幹人の顔を見つめる。
彼か発せられる言葉の真偽は、確認するまでもない。
「俺の真実は常に未来にあるんだ。未来の出来事は変えられない、だけど、俺たちなら嘘の無い未来に辿り着けると思うんだ。……だからさ、これからも協力してくれるか?」
「……そう。改まってなにを言い出すのかと思えば。……約束したから。約束は守る、必ず」
真琴は再び指先を動かし、記事を締めくくる。
完成した生徒会を賛美する記事は、誰がどう見ても信用できない嘘に塗れている。
この記事を読んだとて、誰かの記憶に残る事はないのだろう。
しかし、いつか誰かが書いた小説のように。
小さな街の片隅でも、ひとひらの真実を見つけられるような文章をこの先の未来で書いてみるのも悪くないと思い、この日の執筆を終わりとしてノートパソコンを閉じた。
【影山真琴の嘘の無い未来 END】




