第二十二話「未来へ向かう物語」
「……ははっ、理屈を捏ねればそうと言えるかもしれませんね。でも、僕がそんなことをする理由なんてないでしょう?」
乾いた笑いを溢す須田の反論に、真琴は静かに頷く。
「そう。あたしが分からなかったのは、むしろそっちだった。君はなぜ、笹島純一郎を中心とした彼らを憎み、今まさにあそこで繰り広げられる悲劇の結末を目指したのか」
真琴は息を吸い、精神を整えるかのような間を取った後、告げた。
「その答えは、小説の中にあった」
その言葉を受け、須田は視線を落とした。
構わず、真琴は考察を続ける。
「オサカベグンジ。亡くなった刑部圭介君の中学時代に残した小説のペンネーム。それは、2人の人物からなる合同ペンネームだった」
「そうだよね、郡司郁弥君」
これから先、真琴が語る内容は、あくまで彼女の推測でしかない。
真琴と幹人が出合い、災禍の予知夢を見る前段階の、語られなかった物語だからだ。
「君は刑部君の後輩で、常盤中学で同じ文芸部に所属していた。だけど一昨年、苗字が変わり引っ越しをした」
尾美から聞いた事実を、そのまま眼前の後輩に当てはめる。
「君は寮生だと会話の中で言っていた。なのに君は指摘した。コミュミティセンターで行われていたのは紙芝居ではなく人形劇だと」
夜の学校でのゲームの中で交わされた、他愛のない雑談。
近隣の小、中学生でしか、知り得ない情報。
特に、寮に通うほど遠方から入学した生徒が、わざわざ隣接する市のコミュニティセンターを利用する可能性は低い。
彼はかつてこの地に居住していた可能性が高いと判断した。
「刑部圭介が小説を書くことが趣味であると、笹島は知っていた。だからあの夜のゲームの解答は『図書室』だと決めつけていた。彼は最初から『おみとおし』は刑部圭介にまつわる人物だと恐れてそう決めつけていたし、そうなることを君も推測し期待していた」
「だから、最も可能性が高い行動を予見した手紙を、黒い封筒に入れていた」
万が一他の行動をした場合には、封筒に熱を与え文字を消す。
しかしそれでは、無地の手紙が入った封筒だけが残り、違和感はぬぐえない。
次にインパクトが大きいのは、マネキンの側に置かれた手紙だが、こちらもできることなら水浸しにしておきたい。
パソコン上に残したテキストは、預言としてのインパクトが薄く、なるべくなら採用したくないような、いかようにも受け取れる予言が書かれていたと推測する。
美術準備室の予言は、不確定要素を含んだトリックだった。
しかし、笹島が『おみとおしの目的は刑部へのイジメの告発』と信じ込んでいれば、行動を言い当てる勝算は高い。
トリックの作者は刑部と関係性を持つ人物で、なおかつ三沢高校の一年生。
そして、物語から姿を消していたグンジという学生。
そのピースを当てはめた真琴の筋書きに、郁弥は反論しなかった。
「君は、大切な先輩を奪った彼らに復讐をしたかった。そうでしょう?」
真琴は、射抜くような視線を真っ直ぐに向けて、郁弥に向けて問いかけた。
彼は、失笑を噛み殺したような表情で、首を振った。
「ちがう」
その一言を、真琴は受け取る。
「それが、君の答えなんだね」
真琴は、堪らなく鼻を啜る。
そこに強く薫る匂いに、息が詰まりそうになる。
何度も呼吸を整えて、真琴はその匂いを振りほどく。
「君は、刑部先輩のことを大切に思っていたんだ。なんとかして、彼を冷たい川底へ追いやった連中に罰を与えたかった」
「違うってば。何1人で納得しているんだい。まるで……」
まるで人の言葉の嘘がわかるみたいに。
彼はそう言いかけて、飲み込んだ。
2人のやり取りは、息をしない耳が聞き取り、世界へ向けて公開する時を待っている。
いまコミュニティセンターで起きている事件との関連が示唆されれば、大衆の耳目を惹く事実として拡散されることだろう。
そうなるように、郁弥が手順を整え準備をしてきた。
だからこそ、郁弥は真琴の真偽を問う答えに窮する。
真琴には自身の言葉の真偽がわかっているはずだ。
彼女の、郁弥を見据える悲しみと優しさに満ちた視線こそが、自分の本心を見抜いていると証明している。
郁弥自身が、認めたくないほどに。
それを声高に叫んだところで、自分が望んだ結果に至るだろうか。
郁弥は刑部圭介を慕い、彼の復讐のためという稚拙で個人的な理由の為にこの騒動を企画したのだと認めることになる。
真琴は人の心理が読める、だからこの場所へ訪れたという説は、すでに彼女の解答により成り立たなくなっている。
彼女の特異体質を否定すれば、自分の本心は隠せる。
だけど、それでは自分が『おみとおし』だったという答えだけが残る。
彼女の特異体質を公言し道連れにしようとも、無様な郁弥の本心まで晒すことになり、それは望んだ結末とは程遠い。
「……僕は、ただ、小説を書きたいだけだった」
郁弥が絞り出したのは、そんな言葉だった。
「だから、文芸部に入るのはちょうどよかった。何かの部活動や委員会には必ず所属しなければならなかったから、無駄な時間を浪費するくらいならと文芸部に所属した。幸い、部員も少ない斜陽部活だった」
口にすれば、ほんの数年前の出来事でも現在との乖離は大きく、はるか昔の泡沫の夢物語のように感じた。
「あのバカな先輩は、小説を書くのが下手だった。キャラクターと設定とプロットと、妄想を書き並べるばかりでまるで文章になっていなかった。顧問の老人先生が言い出さなければ、合作なんてしなかった」
「彼がキャラクターや設定をたくさん出すせいで、僕はその点と点をつなぐばかりになっていったんだ。あのころの作品なんて、まるで納得いっていない」
「やがて彼が卒業して、僕は転校した」
「それでも、彼の作品は陰ながら読んでいた」
インターネットに投稿していることは聞いており、離れ離れになった後も彼の活動はこっそり追っていた。
「しかしある時から、彼の作品は死から始まるものばかりになっていた」
彼の身の回りに起きた変化。
中学生が高校生になり、所属する集団が変わったこと。
それまでの集団では夢物語を語る少年が受け入れられていたが、環境が変わり辛い思いをするようになったこと。
「とにかく死ぬ。冒頭で主人公が死ぬ。いじめられた末に死ぬ。そして蘇る。やり直す。復讐をする。いじめてきた連中にざまぁっていうためだけに、蘇る」
大人と変わらない体格になったとしても、所詮は一人で生きていけず、所属する集団も自由に選べない子供であること。
現実世界の逃げ場を見つけられなかった彼が選んだのは、小説の中だったこと。
「僕は、それが、……面白くなかった。ただただ、くだらないって感想しか出なかったんです」
やがて、彼は夏の夜。
冷たい水に飛び込んだ。
それが誰かに強いられたものなのか、はたまた自分自身で浮上することをやめた結果なのかはもう今となっては誰にもわからない。
彼はこの世を去った。
郁弥が告げたのは一方的な側面から見た彼の結末だが、郁弥にとっては、その後の黒い原動力となっていた。
郁弥自身、人生に対しどこか諦めた気持ちを常に抱いていた。
それが中学の時の出会いという、少しのきっかけで上向いていた。
だがその灯も、くだらない連中に消され、復讐心だけが募っていた。
いや、それも違うと、郁弥は首を振る。
「ただ、ちょうどいい理由が降ってきただけだったんです」
誰かに対して、暴力を与えることの、もっともらしい理由。
暴力とは、ただ物理的な攻撃だけじゃない。
言葉で、情報で、周囲の空気というやつで。
笹島のような人間は実は加害者なのに、人気者ぶってのうのうと生きている。そんな連中をほっとけない愚かな奴らを焚きつけて、ボコボコにリンチにする。
それを陰で操り、悦に浸る最低な娯楽に興じるに相応しい理由。
「所詮、刑部先輩の死なんて、僕にとって都合のいい口実が出来ただけなんですよ」
郁弥はそう吐き捨てた。
その彼を見つめる真琴の、瞳から一筋の雫がこぼれる。
そんなに匂うのかよ、と郁弥は心中で呟いた。
「……楽しかったのでしょう? 彼と共作して、未来へ向かう物語を作ることが」
真琴はそれでも、凛とした声で語り掛ける。
彼女はこれまでの人生で、人の感情の機微をより強く感じて生きてきた。
人は平気で嘘を吐く。
それは、人を騙そうとか、陥れようとか、それだけが理由ではない。
相手を傷つけないように、やり過ごすように、本心を隠すように。
人は社会で生きていくために嘘を吐く。
それら全てを、包み隠さず晒すことが正義では無い。
そう考える真琴でも、その作品の文章から感じとった。
彼らの合作した小説は、物語を考えた人も、文章を書いた人も楽しんでいた産物だったことを。
それは純粋で無垢な、創作することの喜びに他ならなかったことを。
それを失った人の心に負った傷が、見て見ぬふりをしているうちに腐敗し方向性を見失った愚行につながったのだと。
「はあ……。貴方は本当に、人の気持ちが分からない人なんですね」
そう言って、郁弥は1人笑った。
ふっと息を吐くように。
それまで溜め込んでいた怨念のようなもの、吐き出すために。
「そうです。僕が『おみとおし』でした。僕の負けです。……これで満足ですよね?」
そう言って、郁弥は真琴に背を向けた。
かつてカフェだったこのフロアは、窓の外にわずかばかりのテラスが備えついている。
彼は何気なく、そこへ続く窓を開ける。
夜の世界とつながったその部屋に、間近で響くサイレンの音が入り込んできた。
旧コミュニティセンターは炎に包まれ、消防車が駆け付け近隣住民も集まり始めている。
その建物の傍らでは、体操用マットに着地し脱出に成功した学生たちが保護されている。
郁弥は、その様子をテラスの手すりに掴まり、つまらなそうに一瞥した。
「……待ちなさい、」
真琴が咄嗟に動いた刹那。
郁弥はその手すりを乗り越え、その身を夜の闇に投げ出した。




