第二十一話「非科学的にも程がある」
「僕のことを無視してください。今日この場で話した事を忘れてください。そうすればこの音声は投稿しません。元々、笹島純一郎をはじめとしたあの連中と貴方は何の関係もありませんよね? 貴方たちの秘密を衆目に晒される事と比べれば、どっちにメリットがあるか、考えるまでもないです」
須田の取引は、お互いのメリットを考慮した公平なものである。
互いの正体を黙る。
なんのコストも生じず、どちらかが不当に益を得ることもない。
そして、須田が真琴と幹人の『おみとおし』特定から身を防ぐ唯一の手段だった。
屋上の会話を聞き、生徒会室に2人が現れてから、真琴たちに対抗するべく練った策こそが、この取引だ。
「別にいい。投稿したいならすればいい」
しかし、真琴はそれを容易く破り捨てる。
「そもそも、あたしにそんな体質は無いし、久田幹人はただ運が悪くて行く先々で災難に遭うだけ。そんな超能力はこの世に無い、全ては君の妄言だから」
白々しく、真琴は否定の言葉を並べる。
「そんな冗談が通じるとでも?」
目を見開き、苛立ちから首筋を掻きむしるのは須田の方だ。
「冗談を言っているのはそちらでしょう? 非科学的にも程があるわ」
冷笑のお手本のような、蔑むような笑いを作る真琴は、須田に倣って演劇のセリフのように凛とした声で続ける。
「あたしは、天才的な洞察力と推理力で人の言葉や仕草、声の震えや緊張による発汗など、微細なサインで嘘か真か見極めているだけ」
それが100パーセント絶対とは限らない、と付け加えさらに言葉を続ける。
「久田幹人は、とにかく行動をしているだけ。あらかじめそれらしい予言を山ほど並べておいて、あとはとにかく試行数を増やせばいい。安っぽい預言者が使う常套手段じゃない」
真琴は自身らの体質を切り捨てた。
それは言外に、あくまでも取引には応じるつもりはないと意思表示していた。
「……ではなぜ、あなたはこの場所に来ることが出来たのでしょうか? なぜ僕が『おみとおし』であると特定できたのでしょうか」
須田は、真琴のハッタリに対し、その質問をした。
直後、真琴の眼はわずかに細められ、鋭利さを増す。
まさに、真琴がその問いを待っていたのだと、須田は言い切ってから気づいてしまった。
「あたしが君を『おみとおし』と断定したのは、いくつか根拠がある。順を追って説明した方がよさそうね」
真琴は、ボイスレコーダーを通した先の全世界へ向けて、解答を始める。
「まず、『おみとおし』が行った行為を振り返る。その人物は、2年生の英語のテスト問題を流出させ、校門前に大金の入った鞄を放置した」
夏休み明けの小テスト問題が流出し、主に二年生の注目を集め始めた。
そこが、事実上『おみとおし』が行った最初の行為である。
「そして、夜の学校を舞台にしたゲームを生徒会に持ち掛け、生徒会長の後輩とのスキャンダルを公表。さらに生徒会とのゲームの顛末を美術準備室に予言を残した。最後に、笹島純一郎を中心とするグループと去年事故死した生徒との関係を示唆し、遺書の存在を匂わせている」
「前半の行いは、正直いうと三沢高校に出入りする人間なら誰にでもできる行為だった。英語のテスト問題を盗むのは少し苦労がいるかもしれないが、どの生徒にも不可能ではない。まあ、君ならば容易だったことでしょう。英語の担当である沢口先生は生徒会に何かと雑用を依頼していた。それを逆手に取れば、沢口先生の行動パターンも把握しやすかったことでしょう」
実際、沢口のデスクは書類なども放置されており、杜撰なセキュリティ管理だった。頻繁に職員室で彼のデスク付近に行っていれば、それも知っていて当然だ。
現金入りのカバンも、出費はかなりかさむが高校生が用意するのに不可能な金額ではない。
そして、二十万という金額も、その後の会長のスキャンダルに関係する数字だった。
「でも、それだけではおみとおしの特定は不可能。話を次に進めましょう」
真琴は細く白い指を振って、解説を続ける。
須田の眼鏡はパソコンの光を反射し、その奥の眼は見通せない。
「生徒会長のスキャンダルも、当事者の春田まつりや笹島自身、あるいは彼と親しい人物であれば知っている可能性は高い。事実、池森はその経緯を知っていた。だけど、これも同様に特定までは至らない」
春田まつりに接触し、彼女からスキャンダルの証拠をつかみ取る。
それを実行するためにかなり早い段階から、『おみとおし』は準備を重ねていた。
「決定的だったのが、夜の校舎での対決ゲームと、その予言を残した美術準備室での大立ち回りだった」
「いやいや。一体何を言っているんですか?」
須田はたまらず、口を挟む。
彼の額には脂汗が滲んでいた。
「あのゲームの後は、美術準備室には誰も入れなかった。なのに、事実を正確に書き残してあった。もし美術室の鍵が届いてからメッセージを仕込みに行くなら、僕ら生徒会メンバーはアリバイがあり不可能だったんですよ」
「そう。現場に同行していた人物しか、当時の詳細な出来事はわからない。鍵のかかった部屋にメッセージを残すなら、密室を透過するような小細工が行われたのは明白」
「仮に本当に未来予知が可能だった可能性もありますけどね」
須田は言うが、真琴は無視する。
「そして、そこで特定することができた」
返す刀で、真琴は告げる。
「まず、あの密室に残されたメッセージは、いわば下手な鉄砲とバーナム効果の合わせ技。予言にも満たない、退屈な余興だった」
真琴は淡々と、そのタネを明かしてゆく。
「仕掛け人は、あらかじめ複数のパターンの予言書をあの部屋に仕込んでおいた。そして、事実を現場に同行し確認したのちに、最も近しい内容の予言だけを残し、他の選択肢を消滅させた」
「でも、美術準備室には入れませんよ。まさか、僕が鍵を盗んでいてそれを複製したものを隠し持ち、自由に出入りできたと?」
「いいえ。合鍵の存在は無いでしょう。制作期間も必要だし、美術部員が部活動で盛んに出入りするのだから、極力あの部屋には近づきたくもない。だからここからが小細工。予言書を、あの部屋に入らなくても消滅できる手段で仕込んでいた」
真琴は説明すら億劫と言いたげなほど、緩やかに口を動かす。
「あの部屋で発見した預言の手紙は黒い封筒に入っていた。あの美術準備室には、いくつものデッサン用の小道具が置かれており、逆にいえば何を置いてあっても違和感はない。窓際に置かれたガラス瓶もまた、デッサン用の小道具だった」
窓際のガラス瓶、黒い封筒、そして手紙。
そこから導きだす小細工の正体を、しらばっくれる気はないだろうという意味を込めて真琴は見つめる。
単純な理科の実験。
日光をレンズで集中させれば、黒い紙などが焼けこげる。
「……光の集中で、封筒を焼き払えたと? そんなことをすれば最悪火事になりますよ。それに、あの部屋が閉じ込められてからどれほどの時間が経過したとお思いで?」
渋々口を開いた須田の反論に、真琴は緩やかに首を振る。
「いいえ。別に焼き払う必要はない。少し熱くなれば、中の紙に書かれた文字が消えるのであればね。学生でも容易に手に入り、持っていてもまるで不自然でない、熱で消えるインクのペンなんか」
摩擦熱でインクを消すことのできるペンは、すでに学校でも多用されている。
ほんの60度ほどの熱で、文字はたやすく姿を消す。
「あの美術準備室の窓の外には植樹があった、普段は枝によって日光が遮られ、光の集中は起こらない。もしも、あの封筒の中身がハズレなんだとしたら、枝を切ってしまえばいいい」
鍵のかかった部屋を透過する日光。
それが一つ目の小細工の正体。
「そして現場は水浸しにされていた。まるでマネキンが水死体を連想させるようにね。でもそれは、彼らの秘密を刺激することが目的ではなく、あくまでカモフラージュだった。本当の目的は、水に溶かしてしまいたいものがあったから。床には水に溶けるパルプ紙でできた手紙を配置すればいい」
今度は須田の反論を待たずに、真琴は先を進める。
「水道の蛇口を開いておき、水道の元栓を閉めれば水は出てこない。長期休みの際は、生徒が特別棟の水落としを行っていたそうね」
水落としは雪国特有の習慣であり、特に三沢高校の美術準備室は特殊で、旧校舎の宿直室を改修した経緯からそこだけの水道があり、部活動の生徒が頻繁に水落しを行っていた。
秋口のこの時期であれば、誰も触る必要がない。
水栓を開くだけなら、授業の合間でも走れば間に合う時間だ。
「他にも、現場にはデスクトップパソコンがついたままだった。何も表示されていなかったけれど、一瞬でも電源が途絶えれば保存されていない内容は消えてしまう。外部からブレーカーを落とせば、電源を遮断することも可能だった」
その日、美術部の顧問が言っていた言葉から、ブレーカーが落ちた事実が確認されている。
水道と電気。その二つが、残りの密室を透過する仕掛けだったと、真琴は解答した。
「他にも小ネタはあるかもしれないけれど、問題はそこじゃない。ポイントは、”鍵が再製作されて届いた日”の後じゃなくて、“あの部屋が開かずの間になる直前”だということよ」
「その日は美術部は活動を行っている。昼休みに黒澤華子が美術室で制作を行なっており、放課後には鍵を紛失したと生徒会室に訪れている。つまり、小細工を仕込めるのは昼休みから放課後までの間ということになる」
「だけど、2年生には無理。少なくとも、先生方に確認をすれば実行していないことの確認ができる。なぜなら、その日は全国模試があったから。容易に抜け出したり出来ないし、休み時間の合間を縫ってもあれほどの仕込みは行えない。通常授業であった一年生であり、なおかつゲームの日に現場に同行していたのは、須田郁弥君。君しかいない」
真琴は、証明終了とばかりに、組んでいた腕を解きポニーテイルの毛束を手櫛で撫でた。
おみとおしが最初に投稿した、『復讐の業火、その身を貫き苦悶のまま葬るだろう。身に覚えのある方はご用心を』という文章。
業火でありながら、その身を貫く。
そのうえで、苦悶のまま、葬る。
例えば、誰かが火を放つか、ナイフで貫くか。
毒物を撒き中毒に犯されるか。または、残酷な死を埋め葬ってしまうのか。
一連の悲劇を予見しているようでいて、どういう結果が訪れても解釈できるような言葉の羅列だった。
幹人が見た予知夢の火災。
その実行犯が、『おみとおし』であるとは限らない。
須田はせいぜい、疑心暗鬼に駆られた笹島たちが仲間内で揉め事を始め、自爆してしまえばいいと考えていた。
本当に火災が起きると言うことは、むしろ真琴と幹人しか知らなかったのだった。
須田から見れば、幹人が未来予知をしており必死になって笹島たちを守ろうとしているのであれば、何か大きな事件が起きるのだと、逆に確信したのだった。




