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影山真琴の嘘の無い未来  作者: やしろ久真
第一章 影山真琴の嘘の無い未来

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第二十話「取引をしましょう」

 オレンジ色に吹き上がる火炎が、瞬く間に一同を包み込んだ。

 その中で、黒澤華子だけが恍惚とした表情で、満足そうに揺らめく炎を眺めていた。


「馬鹿野郎!? なんてことしやがった!」

 笹島の怒号が響き、池森、盛山も正気を取り戻す。

「早く逃げなきゃ!」

「ダメだ! 入り口の方は火が強すぎる」

 盛山は図書室の入り口に触れようとするも、燃え盛る炎に遮られる。


 黒澤は、始めからこうするつもりでいたようだ。

 彼女は特別棟の灯油ストーブに使うための燃料を拝借し、持参していた。

 コミュニティーセンターの図書室に残された蔵書と木製の書棚に引火し、火柱は瞬く間に天井に達していた。


「うふふふ、うふふふふ……これで何も無くなる。もう逃げられるんだよね……あいつの呪いから……」

 黒澤が譫言のように呟くと、笹島は胸ぐらを掴んで怒鳴り散らす。

「貴様! どうしてくれる! 俺はこんなことで死ぬつもりはない!」

 女子相手にも容赦せず、笹島は締め上げる。

 しかし、黒澤の目は焦点がすでに怪しく、不気味な笑いをこぼれ流すのみだった。

「危ない!」

 池森が叫ぶと、頭上から本棚が倒壊してきた。

 黒煙が図書室を覆い尽くし、視界は黒く塗りつぶされる。


 配信を行っていた小型カメラは焼失し、画面は真っ黒なまま固まっていた。


 吹き上がる熱気と硝煙により息が苦しくなり始め、一同はパニック状態に陥る。

 出入り口はすでに倒壊した本棚に覆われ、脱出はできない。

 笹島が憤りの咆哮をした時だった。


「窓だ! 窓から外へ逃げろ!」

 炎の壁の向こう側。

 図書室の外の廊下から男子の声で指示が飛ぶ。


「誰だ!」

 笹島は、急に聞こえた声の主に向かって鬼のように叫ぶ。

 彼にとって、この状況で、この場にいる別な人間とは『おみとおし』としか思えない。

「今はいい! とにかく外に逃げてくれ!」

 声の主も炎の影響からか、咳き込みながら叫び返す。

 その必死な様子から、にわかに声の主が『おみとおし』とは思えなくなる。


「窓って無理! ここは4階だよ!?」

 池森が泣きながら叫ぶが、窓際に走った盛山が歓声を上げる。

「おい見ろ! マットが敷いてある! 体育館から出してくれたんだ!」

 盛山の声に、一同は窓際に駆け寄る。

 笹島は黒澤の肩を乱暴に抱き、無理やり連れてくる。

「……やむを得ん、飛ぶぞ!」

 笹島の声に、否定をする者は居なかった。

 ガラスを突き破ると、夜の風が室内に吹き込み、背後の炎は猛りを増す。

 四人は意を決して外の世界へ飛び出した。



 夜の窓には、轟々と燃え盛る炎が映る。

 その傍らには、炎の揺らめきをジッと見つめる人影があった。


 その背後から、一定の間隔で刻む足音が響いてくる。

 徐々に近づくその音はやがて止まり、一拍の間を置いて扉を開いた。


「今すぐ配信を止めるのよ……須田郁弥」

 影山真琴は、凛と澄んだ声で部屋の中の人物へ告げた。

 パソコンのディスプレイが放つ青白い光だけが明滅する暗い部屋に、凛とした声はよく響いた。

 部屋は空き家のように一切の家具が無く、ポツンと置かれた事務用のデスクにむき出しの配線とノートパソコンが鎮座していた。

 

「……へぇ、貴方でしたか」

 その部屋の中でただ1人佇み、パソコンに映し出された荒れ狂う配信と現実の惨状を見比べる特等席で見物をしていた人物。

 須田郁弥は真琴を一瞥し、別に意外でもないというように鼻で笑って応えた。


「君は『おみとおし』として活動し、彼らが秘密にしたい事実を、大衆を蠱惑的に煽情しながら暴露し、彼らを疑心暗鬼にからせ悲劇的な結末を迎えるように誘導した人物」

 真琴はあえて切り込むように攻撃的な言葉を突きつけ、一歩ずつ歩み寄る。

 一方の須田は両手を広げ、意味がわからないとアピールし受け流す。


「ははっ、何を言い出すかと思えば。一体貴方は何を言っているんです? 僕はただこの場で配信を見ているに過ぎない。そうしたら偶然目の前で火事が起こり呆然としていたんです。いったい僕が『おみとおし』だなんて、どこにそんな確証があるんですか?」

 普段の様子から打って変わり、饒舌に語る後輩を真琴は一瞥し、部屋の中心に腕を組んで立ち塞がった。

「ええ。ある」

 真琴は勝ち誇るでもなく、ハッタリをかますでもなく、ただ事実を論ずる様に言う。

 しかし、真琴が次の言葉を紡ごうと息を吸い込んだ瞬間、須田は割り込んだ。


「それは、貴方が人の心が読めるからですか」


「……どういう意味かしら」

 一瞬、真琴は言葉を失い、吐き出す息と共に掠れたセリフを絞り出した。

 一方の須田は、目に怪しい光を宿しながら唇を舐める。

「いやあ、たまたまそうなんじゃないかなって思っただけですよ。当てずっぽうというやつです。例えば、貴方は誰かに質問をして、その答えの真偽がわかってしまう能力を持っている、とかね」

 須田は口の端が曲がってしまうのを必死に押さえつけるように、口早に言葉を並べる。


「実は聞いてしまったんですよね、とある日の屋上で。貴方ともう1人の先輩が会話をしているのを。その後生活指導の教師に捕まるところまで」

 あの日、幹人は放置されたペットボトルを破棄すべく学校の屋上に向かった。

 そして真琴は彼の監視のために後に続き、幾つかのやり取りの後で二人は協力関係を結ぶことになった。


 その発端となったペットボトルを配置した人物は誰か。

 その人物は何を目論んでペットボトルを配置したのか。

 過去に彼らが行った凶行を再現し、すべてお見通しであるということを示唆しようとした人物は、まだ屋上に隠れていたのだった。

 屋上の塔屋の傍らに身を潜めれば、姿を隠すことは可能だった。


「『予知夢』だとか、お二人の間で何かの秘密を共有していることが伺えました。非常に興味深いと思いましてね。同時に危機感も抱きました」

 須田からしてみれば、笹島たちに行おうとしていた『おみとおし』の行為が、あたかも先回りされ阻止されたように感じただろう。

「そこから、貴方達が生徒会室に現れ、笹島純一郎の身辺を調べ始めた。どう考えても、何か知っているとしか思えませんでした」

 須田は思い返すように目を細める。 


「どうも貴方は物分かりが早すぎる。笹島たちが自演をしている可能性や、春田まつりが嘘を言っている可能性を完全に排除するのは難しいはずです。それなのに、貴方は早々にその解を排除した」

 須田は独り言を続ける。


「偶然? 推理の産物? だったら、どうして僕が『おみとおし』だって決めつけたのですか? どうしてここに来られたんですか? どうして『おみとおし』は危険な存在だとみなしたのですか? それは、“この火事のことを未来予知していたから”ですよね。正体を見破ったのは“貴方が僕に質問したから”ですよね。そのあとで僕の後を付けてきたんですよね」


 コミュニティーセンターと道路を挟んだ向かい。

 かつてカフェが入居していた雑居ビルの四階に、二人は居る。

 須田が一人、このビルに入り込んでいく様子は、確かに現場付近に先回りしていた真琴が目撃していた。


 真琴と幹人は常盤中学から戻り、コミュニティセンター付近で待機し、須田の姿を認めると二手に分かれて行動を開始したのだった。


「……君のお喋りはそこまで? もうこの先一ヶ月分の言葉を放ったんじゃないかしら」

 真琴は須田の熱弁を受け流すように、けれど視線を鋭くして返事をした。 

 その確固たる態度を見て、それでも須田はくっくと肩を震わせている。

「僕の言葉を無視するのはまあ別にいいです。こんなに一生懸命喋っているのに悲しいですけどね。怖い先輩で泣きそうですよ。でもいいんです。僕はね」

 須田はそう言い、事務机の引き出しを開け、中から何かを掴みあげた。


「でも“みんな”がどう感じるか、どう受け取るかは、わかりませんよ?」


 彼が掲げたのは、ボイスレコーダー。

 赤いランプが点灯したそれは、これまでの会話を全て記録していると、暗に語りかけていた。


「貴方の足音が聞こえた時点で、スイッチをオンにしました。僕たちの声はよく響いていたので、一言一句録音されています」

 須田は愛おしそうに、ボイスレコーダーを指先で弄ぶ。

「このノートではなく僕の自室にあるパソコンへ、インターネットを介して保存しています。そして、指先の指示一つでこの音声を投稿することができます。いまや、全校生徒が燃え盛る配信に熱中し、次の宣告を待ち侘びている、あのアカウントへね」

 『おみとおし』のアカウントでは、今まさに背後の火事の様子が真っ只中より配信され、学生たちは狂乱に魅了されている。

 映像は途絶えた今も、コメントは溢れかえっていた。


 遠くから、パトカーと消防車のサイレンが聞こえ始めた。


「冒頭から僕の名前を呼ばれてしまったのは仕方ありません。でも同時に、影山真琴は人の言葉の真偽がわかる体質であり、久田幹人は未来の出来事の夢を見る体質を持つことを、衆目に晒すことになります」

 須田は、意味が無いと今まさに自分で説明したのに、ボイスレコーダーを真琴に向けて差し出した。

 真琴と幹人にとって、何よりも知られてはいけない事実。

 かつて幹人に対し、その交換条件を交わした真琴であるからこそ、その事実が晒される恐ろしさを知っている。


「さあ、取引をしましょうよ。先輩」


 朗々と歌い上げるように言う須田は、今まさに自分が想定していた盤面が完成し、勝利を告げるかのように笑みを浮かべる。

 

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