第十五話「壁を自由に透過できるような存在」
『真実の大切さ、皆さんご理解いただけましたか?』
その時、急に新たな投稿がなされた。
幹人と真琴は足を止め、廊下の端でその様子を凝視する。
『私の能力を信じられないという人はもういないと思います。しかし、往生際が悪い人って昔からいるんですよね』
『実は特別棟に鍵のかかった部屋をご用意しています。そこに、私からのメッセージを残してあります』
『それが意味することを、どうぞご理解ください』
「こいつ、いったいどういうつもりなんだ」
幹人はスマホ越しの相手に憤っている。
SNSの投稿には先ほどと同様に『おみとおし』を崇め奉るようなコメントが増え始める。
「マジで……あの世から帰ってきた霊じゃねえよな……」
「戯言はともかく、鍵のかかった部屋……」
真琴は頭を抱える幹人の様子もまるで視界に入れずに、顎に指を添えて思考する。
先日、そのようなやり取りを見聞きした記憶があった。
「行きましょう。確かめに」
真琴は幹人の袖を引き、廊下をまた別な方向へ進む。
校舎内には、得体の知れない騒めきがそこら中に跋扈していた。
*
向かった先は、生徒会室だった。
既に慣れた様子で戸を開けると、中には笹島を除く四名が居り、池森は退屈そうに眺めていたスマホから視線を上げた。
「あれ、久田っちたち。まだ来るの?」
「おっす、まあ、約束もあるしな」
形式的に、幹人は後頭部をさすりながら挨拶を交わす。
「でもさー、おみとおしだか誰だか知んないけど早く止めさせてよ。会長不機嫌すぎて空気しんどすぎー」
池森が項垂れながら言う。
笹島不在の生徒会室は会話のネタも無いのか、気まずい空気が見て取れた。
そんな様子もお構いなく、真琴は一歩前に出る。
「池森水葉。依頼がある。黒澤華子に連絡をして美術準備室を確認してもらえる?」
「はぁ? なんで……あ、そういうこと?」
彼女も手に待つスマホと見比べ合点が行ったようで、興味深いような、あるいは厄介事を面倒がるような曖昧な表情をした。
*
「はいこれ。今日の十一時ぐらいかなー。業者さんから届いてたからキーボックスに入れておいたよ」
「もう、準備室が開いたのなら早く知らせてください」
職員室に移動した真琴と幹人、それに池森と呼び出した黒澤は美術部顧問の中年の女性教師から紛失していた美術準備室の鍵を受け取った。
真琴はそのやり取りを横目に、職員室内を歩き教職員のデスクを確認する。
ちょうど不在にしている沢口の机には、食べかけのスナック菓子が散乱しており、書類や課題のプリントなどが山積みになっていた。
「あ、そういえば黒澤。またアイロンかドライヤーを一緒に使ったでしょ。特別棟のブレーカーが落ちて警報が反応したって用務員の方が言ってたよ」
踵を返して、特別棟へ向かおうとしたところで、顧問が小言の様に指摘する。
「知りませんよ、部員に直接言ってください」
黒澤は以前言っていた通り、コンテスト用の作品を仕上げたいらしく、準備室の鍵を受け取ると急足で部室へ向かった。
「それで、久田っち達は美術準備室が『おみとおし』が言っている鍵のかかった部屋だって言いたいんだよね?」
「まあ、おそらくは」
池森の問いに、幹人は曖昧に答える。
元々の発案者は真琴なので、幹人も半信半疑である。
「でも、合鍵が届いてから今日は誰も鍵を持って行ってないって先生が言っていたけれど」
黒澤も訝しむように、新品の鍵を手に廊下を進む。
美術室は特別棟という、各クラスの教室がある校舎とは別の棟に存在する。
かつて校舎を増設した際の、古い方の建物であり、以前は教室だった場所を部室として利用している。
一部の部屋は、職員室や宿直室を改造して設けられた部屋もあり、部屋の中に水道があったり、逆に暖房設備が無かったりする。
「あれ? 何これ水漏れ?」
池森が大声を上げ、一同は視線を床に移す。
美術室の隣にある美術準備室の扉の、下側の隙間から水が染み出し、廊下に水溜りを作っていた。
「……こんなの、昼休みに来た時にはなかったけど」
黒澤は昼休みにも美術室に訪れ、作品の続きを行なっていた。
その際、すでに合鍵は完成し届けられていたが当の彼女は知らなかった様子だ。
「確認しよう。開けるぞ……」
幹人が鍵を受け取り、水溜まりで上履きが濡れるのも構わず、扉を開ける。
美術準備室は通常の教室の三分の一程度の大きさの、細長い部屋である。
そこには美術用の雑貨が押し込まれており、元宿直室のおかげで水道があり、水彩絵具の道具を洗う流しが備え付けてある。
幹人は視線を巡らせ、その流しにある蛇口から水滴が滴っているのを確認し、蛇口を捻ると水は止まった。
そのまま視線を落とす。
美術準備室の中に、何かが倒れていた。
「うわっ!?」
「どうしたの!?」
幹人が驚く声をあげ、池森と黒澤も続いて中を覗く。
両者が甲高い悲鳴を上げた直後、真琴も先頭三名を潜り抜けて部屋の中を覗いた。
床上に、水たまりの中に倒れる人のようなものがある。
しかし、真琴はすぐにその正体を看過した。
「驚く必要はない。これはマネキン。デッサン用のものでしょう?」
真琴が指摘すると、幹人は照れくさそうに笑って誤魔化しながらそれに近づく。
「た、確かに。布が被さってあるから一瞬わからなかったぜ」
テーブルクロスのような大きな布に覆われ、人型の四肢が浮かび上がって見えていたが、頭部の無機質な造形が覗いており、落ち着いてみればなんてことないただのマネキンだった。
「あーあ、水浸しになっちまってる……他に何か変なものはなさそうか?」
幹人はマネキンの横にしゃがみ込み、水没したその様を調べながら、黒澤に問いかける。
しかし、彼女からの返事はない。
ふと視線をあげ、黒澤の方を見上げると、普段から白色の肌をより一層白くさせ、眼球が飛び出る程の剣幕で目を見開いていた。
わずかに唇が震え、自身の肩を押さえつけるように抱いている。
「なあ、どうかしたか……?」
その誰が見ても尋常じゃない様子に、幹人も薄ら寒い思いを抱く。
「た、ただマネキンが倒れてただけだよね。水漏れしてたのも偶然だから……」
池森も声をひっくり返しながら、大袈裟に明るい声を出す。
その二人の奇妙な様子に幹人が戸惑っていると、真琴は気にせず美術準備室の中へ踏み出し、ある物を指差した。
「ねえ、このイーゼルに乗っている黒い封筒。見覚えがある?」
美術準備室の中心部に、デッサンをするときに絵を載せるイーゼルと、あからさまに設置された黒いB5サイズのレターケースがあった。
黒澤は虫を追い払うように首を振り、幹人は封筒に手を伸ばす。
上から手で触り、どうやら中身は危険なものは無く普通の紙が入っている様子だった。
「あ、開けてみるぞ……」
中を広げる。
一枚の便せんが二つ折で入っており、広げてみると、そこには赤いインクでメッセージが残されていた。
幹人はその場に居る三人に向けて音読する。
『不届き者の皆さんへ。
夜の学校訪問おつかれさまでした。
だけど、『図書室』に真実は無かったようですね。
残念ですが、ゲームはあなたたちの負けでしたので、罰ゲームもやむを得ないですよね。
だけど、笹島純一郎の真実は、これだけではないです。
彼を中心とする彼ら、彼女らの隠された真実はまだあります。
それを白日の下にさらさなければなりません。
来たる宿命の日に、過去から送られた手紙が、すべてを教えてくれるでしょう。
運命の場所は、我らの秘密の書庫の中。
どうか、悪しき者に正義の鉄槌がくだることを。』
「なんだこれは……」
読み上げ、その文章を一同に見せる。
真琴は無表情のまま、その手紙を受け取る。
「あの夜の出来事……笹島純一郎が『図書室』を答えとした事は、あの場にいた人間しか知らないはず」
「……じゃあ、あの中の誰かがこれを仕込んだのか?」
幹人の声に、その場の全員が息を呑む。
あの場に居たのは、生徒会の4人と幹人と真琴、それに途中まで同行した沢口である。
「けれど、この部屋には誰も入っていない。少なくとも、今日の十一時までは」
「……それからだって、ウチらは誰も入れないよ、みんな授業あったし、昼休みは生徒会室に集まってたんだからこんなもの仕込む時間なんてないし、先生だって誰も鍵を持っていってないって……」
生徒会は昼休みも業務をしており、授業が終わってから集合するまでの数分間しか、空白の時間は存在しない。
美術室でも黒澤をはじめとした美術部員が作品製作を行なっており、誰にも気づかれずに美術準備室に出入りするのは不可能である。
「じゃあ、ここの部屋が閉じ込められる前にこれを仕込んでたっていうのか? でもあのゲームが始まった時にはもう……」
美術準備室が開かずの間になったと生徒会に黒澤が訪れたのは、夜の学校でのゲームよりも前だ。
まるで、壁を自由に透過できるような存在か、あるいは全てを見透す特異能力でもなければ不可能な芸当。
「……嫌」
「華子……」
一方の黒澤は、頭を抱えその場に蹲った。
池森もその肩を抱きしめ、宥めようとするが彼女自身の唇も蒼白である。
「お、おい。大丈夫か? 保健室に……」
「久田君。君が二人を保健室へ連れて行って。あたしは少しこの部屋を調べる」
真琴の指示に従い、幹人は女子2人を従えてその場を後にした。




