第十三話「責任を取る前に」
9月10日。
翌朝の三沢高校の校舎内には異様な空気が流れていた。
特に何か具体的な事件があったわけではない。
しかし、生徒の、特に2年生の多くは互いに囁きあい、クスクスと忍び笑いや憤る声を漏らしていた。
「それで、笹島純一郎はどこ?」
「池森にメッセで確認した、校舎裏らしい……ったく、ベタなことするよな」
幹人と真琴は、早朝の朝練用に校門が開くなり学校にて待機し、行動パターンを予測しながら動きを伺っていた。
昨晩の暴露動画を受け、笹島のリアクションを確認するためである。
「まずは、想定したパターンの一つ目ね」
息を切らしながらも、真琴は冷静に考えをまとめる。
「トラブルがあった後輩女子に真相を詰め寄る……か。不登校になるパターンもあるかと思ったが」
不登校になってしまうと、その後の情報収集が進みにくい。笹島の性格的にも、引き下がるのではなく憤るタイプと読んでいた。
幹人は、池森と連絡を取り笹島の動向や昨晩の出来事の前後関係を情報収集していた。
相手の女子は『春田まつり』という一年生の女子で、今年の5月ごろに笹島と交際を始め、7月にはもう別れているという。
校舎裏につくと、壁際で心配そうに覗き込む池森が幹人を手招いた。
傍らには、同じく生徒会の一年、須田が棒立ちしている。
その奥では、笹島純一郎が後輩女子の肩を握り、壁際に追い詰めていた。
小柄な女子は制服の上から自前のパーカーを羽織っており、ふんわりとしたボブカットと丸い顔は年齢以上に幼く見えた。
「やばいよ、暴力とかマジ無理なんだけど」
「幸い、まだ手は出していませんね」
至極冷静に事態を見届ける須田に対し、幹人は嘆息する。
「お前は止めないのかよ」
幹人の言葉に、須田は澄ました顔でメガネを上げた。
「はい。どうせ僕が割り込んだところで、腕っぷしでは会長に勝てませんから。それに、これは彼らの個人的な問題ではないでしょうか」
彼はたまたま校舎内で池森と出会い、この場に引き連れられたようだった。
彼の言う通りだが、背の高い幹人なら割って入れるだろう。
しかし、他人の都合に首を突っ込むことも憚られるのは確かだった。
「おい、あの動画はなんだ」
「知らない!? ていうかマジ痛いんですけど」
「いい加減にしろ! あの状況で撮影できるのはお前だけだろうが……」
怒号が一同のところにも響き渡り、その様子を固唾を飲んで見守る。
「ちょっとまじうざい……そりゃそうでしょ。私以外に誰が撮影できるのよ」
「ふざけるなよ……おみとおしだかなんだか知らんが、俺の学生生活を滅茶苦茶にして、当てつけのつもりか」
「だからマジで知らないって! 私はおみとおしなんてやってないし」
ボルテージが上がっていく口論に、幹人は身を乗り出す。
真琴は終始腕を組んで静観していた。
「ふざけるな!」
拳を振り上げたところで、幹人が飛び出し笹島の腕を掴んだ。
「な、またお前か!」
振り向いた笹島は、一瞬たじろいだ様子を見せるも、その拳の矛先を幹人に変えようとする。
対する幹人も防御の姿勢を取りかけた瞬間。
「ねえ、あなたが春田まつり?」
凛と響く真琴の声に、一同は静まった。
「え。ええ」
急な闖入者の2人を訝しげに見つめながら、春田まつりは頷いた。
「あなたは笹島純一郎に対して、妊娠をしたことを報告したが、中絶を迫られたため慰謝料を請求している動画の人物ね」
淡々と事実確認を行う真琴に、春田は眉を顰める。
「はぁ? てかあんた何様? うざいんですけど」
「事実でしょう?」
「いや、まあそうだけど」
押し負けない真琴の態度に、徐々に春田も気味悪さが上回ったのか引き気味に応える。
「あなたが、SNSアカウント、おみとおしの本人?」
「ちがうわ。それだけは違う」
彼女はハッキリと首を横に振り、否定の意を示した。
「嘘をつくな!」
「いいから」
横槍を入れる笹島を幹人が宥めながら、真琴の尋問のような確認が続く。
「ではなぜ、あの動画が件のアカウントによって拡散されたのかしら」
「……私、少し前に……めっちゃ病んでて。それでSNSにヤミ投稿してたら、相談に乗るってヤツが出てきて」
余計な野次や煽り、説教をしてこない真琴の態度に、春田も気を許し始めたのか、あるいは溜め込んでいた事情を吐き出したかったのか、段々饒舌になっていく。
「でなんか、色々相談してて。それで、ヤバくなった時には動画を撮影して証拠を残した方がいいって教えてもらった」
入れ知恵の通りの行動をした結果が、あの動画であった。
「あの時に咄嗟にカメラつけて。で、慰謝料取れなかったってその動画送って……」
「そのSNSアカウントの名前は?」
「……アカウント名は、おみとおしじゃなかった。けど、IDは覚えてない。ブロックされたから」
春田の言葉に、嘘はない。
真琴は確認を終え、満足げに頷いた。
「おい、こんな女の言うことを信じるのか?」
「ええ。彼女の言葉に嘘はない」
笹島は納得いかないとばかりに鼻息を荒げて真琴に詰め寄る。
一方の真琴は涼しい顔のまま、用は済んだとばかりに背中の髪束を払いのける。
「そもそも、彼女が妊娠したということ自体が嘘だから」
真琴の指摘に、一同は固まる。
「そうでしょう? あなたが謎のアカウントと相談した内容は、手っ取り早い小遣いの稼ぎ方。笹島と別れたい、お金も欲しい、そのアイデアを吹き込まれたのでしょう」
「あ……え、なんで。どこで聞いたの?」
呆けた表情で、春田は真琴を見上げる。
その答え合わせのような返答に、真琴は眉ひとつ動かさなかった。
「そもそも交際期間と妊娠までの時間が短すぎるでしょう。彼に後ろめたい事実があったからあなたの言葉を信じてしまい、あの動画の展開になったのでしょう」
真琴は目線を笹島に移し、「責任を取る前に正しい知識の教育が必要じゃないかしら」と冷たく言い放つと、笹島は顔を真っ赤にして拳を振り回す。
幹人が何とか間に入り、笹島を引きはがすと、そのまま校舎内の方へ連れて行った。
残された真琴と春田まつりは改めて向き直す。
「動画を送った相手か、または『おみとおし』の人物に心当たりはないのね?」
「……う、うん。全然知らない」
「そう。それじゃあもういい。今後交際する男の事はよく考えるべきね」
それだけ言い残すと、真琴は踵を返して幹人達の後を追おうとする。
そこに、春田はひっくり返った声で叫んだ。
「あ、あの……! また、何かあったら相談してもいいですか」
「……? まあ」
想定外の言葉に、真琴もあいまいに頷く。
「あと、姐御って呼んでもいいですか……!」
「……それは遠慮させて」
真琴を見つめる春田の視線は、妙な熱っぽさを帯びていて、思わず身震いをする真琴だった。
*
笹島を連れて校舎内に戻った幹人を探しながら、真琴は廊下を歩いた。
すれ違う生徒たちは皆一様に、普段通りの表情をしながらも、わずかに口の端がめくれ、どこか熱っぽく浮き足だった様相が感じられた。
足早に進む真琴に、正面から向かってきた男子生徒が片手をあげて挨拶をする。
「よっす、お嬢さん。今日は相棒は居ないの?」
軽薄な口調と、小洒落た四角い眼鏡が目立つ、生徒会会計の滝谷は馴れ馴れしく真琴に声をかける。
一瞬、真琴はスルーしようとしたが足を止め挨拶を返す。
「先程、校舎裏で笹島純一郎を止めていた。彼らは見てない?」
「そなの? 見てないねぇ」
今の会長やばそー、でもちょっと見てみたかったなと勝手に嘯く彼を見て、真琴は考えを改めた。
「貴方は見たところ、笹島とそれほど親しくはないようね」
「そう? 普通に仲良くやってると思うけど」
「オサカベケイスケという人と、笹島純一郎の関係について知っている?」
真琴は、オサカベと今回の件の関連性が掴みきれていなかった。
その情報を探るため、笹島に近しく、かつ親しすぎない人物として、彼が適当と判断した。
「ああ。ケーブ君だろ。一年の時みんな同じクラスだったぜ。びっくりしたよなぁ。急にだもんな」
滝谷は少し声のトーンを落とした。
故人の話題には少しは気を遣えるようだ。
声を顰めながらも、根っからのお喋りな男から沢山の情報を引き出す。
滝谷の話によれば、笹島をはじめ池森、盛山大勢、黒澤とオサカベは同じクラスだったという。
ちなみに、漢字で書くと刑部圭介という名前からケーブと周囲からは呼ばれていたらしい。
「刑部圭介はどういう人だった?」
「うーん。おもしろキャラ? なんかギャグとかやってウケてたよ。みんなからもよくイジられてたし」
最近似たような話を聞いた気がして、真琴は少し胸が痛くなった。
「会長たちとは仲良かったんじゃね? ずっと一緒に行動してたからな。あ、でも」
思い出したように、あるいはわざとらしく言葉を切って、トーンを落として続ける。
「ケーブ君、黒澤の事が好きっぽかったんだよね。たしか、ケーブ君が趣味で小説を書いてるって会長たちにバレてさ。それを結構ネタにされてたんだけど、ヒロインの特徴がどう見ても黒澤でさ。釣り合い取れないだろって言われてたね。その時は珍しくキレてたかな」
彼は心底面白そうに話を続ける。
「ケーブ君は普段ぜんぜん怒らないんだって。中庭で盛山がプロレスごっこして締め上げててさ、2階で池森たちが観客してた時に、あいつがふざけて上から水入のペットボトル投げつけたんだ。それが彼のこめかみにあたって流血したんだ。その時も怒らなかったんだとよ」
池森は当てるつもりは無かったと、何故か彼女が泣いて喚いたという。
真琴は頷きながら、何故か記憶に引っかかる様な思いがした。
「まあ、災難だよな。人生何があるかわからんもんね」
滝谷がそう言うと話は終わったようで、真琴は礼を言ってその場を後にした。




