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第一話「あたし……死ぬのか」

『私はすべて、おみとおしなのです』

 

 とあるSNSアカウントによる投稿。

 しかしそれには、誰からもリアクションが一切無い。

 それでも、独り言のように続け様に言葉を残してゆく。


『これから、『社会』、『一般』、『世間』、『みんな』に対して、人間がいかに傲慢で嘘吐きで穢らわしい生き物であるのか、真実をお見せしましょう』


 フォロワー数ゼロのアカウントによる投稿は、インターネットという大海原にひとつの波風も立てない。

 炎上するには最低限の火種と、燃えるべき材料が必要であることは投稿者も承知のうえだ。


『私は、すべておみとおしなのです』


 8月2日。

 そのアカウントは静かに活動を開始した。


 

 9月1日。


 影山真琴(かげやままこと)は、住み慣れた街を見下ろした。


 北海道の中央部からやや北西にあるこの三沢市では、山肌に立ち並ぶ木々がまだ九月に入ったばかりなのに、徐々に葉の色を赤く染め始めている。

 その先には背の低い建造物が並ぶ住宅街があり、真琴が通う三沢高校の均整の取れた四角い形も見えた。

 街を一望できるこの『稲見山展望台』には今、真琴以外の人間は居なかった。


 国道を逸れて十五分ほど稲見山の舗装された坂道を登った先に、この展望広場はある。

 コイン式の双眼鏡やフェンス際に並んだベンチなどがあり、もともとは市民の憩いの場として設けられた施設だが、特別な意味があるわけでもない街の景色を平日の午後に観に来る人間は皆無だった。

 ただ一人を除いて。


 その静まり返った場所を真琴は気に入っており、時折こうして放課後にやってきては、日々の学校生活で疲弊した心を休ませている。

 特に、今日から夏休みが終わり新学期が始まったことで、自然とため息が零れる。


 真琴は、肌寒い秋風に身をよじりながら、今日はこれまでよりも厚い素材の黒タイツを履いてきたことは正解だったと実感した。


 青白い作り物めいた肌に、漆黒の髪を頭の高い位置で結んだ長いポニーテイル。

 感情の変化に乏しい表情だが、不釣り合いなほど大きい瞳は、あるいは獲物を狙う蛇のような鋭さを持っていた。

 彼女に自覚はないが、無意識のうちに周囲を緊張させるような鋭利で冷淡な空気を持っている。 


 真琴は崖っぷちにそびえるフェンスに背を預け、足元に置いた通学カバンから取り出した文庫本を広げる。

 放課後の日が暮れるまでの数十分、こうして読書に耽る。

 栞に手をかけ、読み進めたミステリ小説の解決編へと指を伸ばした時だった。


 突如、真琴の体がぐらりと傾き、全身を浮遊感が包んだ。

 直後轟音が鳴り響き、鉄の塊が斜面を転落して弾ける金属音が耳を貫いた。

 真琴の体は宙を舞う。

 視界には、赤く染まり始めた夕空と、手から零れ落ちた文庫本から離れた栞だけがスローモーションのように優雅な弧を描いて映し出されていた。

 

 咄嗟の反応で、何かを手がつかむ。

 体が宙吊りになり、腕にきしむような痛みが走った。

 

 真琴は、『背を預けていたフェンスが崩れ落ち、自身の体が展望台の崖から投げ出され、片腕一本だけで残されたフェンスの支柱につかまっている』という状況を理解するのに、およそ2秒を要した。 


「あ……えっ?」

 

 あまりの出来事を前にすると、人は本当に声が出なくなるのだと、真琴は状況に不釣り合いなほどの冷静な頭で考えた。

 しかし、脈は早鐘を打ち、喉はおびえた小動物のように荒い息をする。


 絶体絶命といえるこの状況で、どうすれば助かるのか真琴には見当もつかない。

 声を張り上げたところで、人の気配がまるでないこの場所で助けてくれる人などいない。

 腕が痛い。

 普段運動などしない真琴は懸垂もできず、自身の体を片腕一本で引っ張り上げることは不可能だった。


 視線を崖下に巡らせると、はるか十数メートル先の地面に叩きつけられ、ひしゃげたフェンスの残骸が見えた。

 落下すれば、ただでは済まないだろう。

 下手をすれば、人が死ぬ高さだ。


 真琴は目前に迫る死の恐怖に、天を見上げることしかできなかった。


「あたし……死ぬのか」

 

 腕がもう限界を迎える。

 これが運命というのなら、甘んじて受け入れるほかないのだろう。

 赤く染まる空を目に焼き付けると、静かに目を閉じた。


 そして、指先から力が抜ける。

 スルリと、支えを失った体は落下を始める。


「大丈夫かッ!?」

 次の瞬間、真琴の腕を何者かがつかんだ。

 驚き目を開けると、そこには鬼気迫る表情の男子の顔があった。

「待ってろ、今引き上げるからな」

 そう言うと、額に汗がにじむ彼は真琴の体を引きずり上げる。

 額が見えるほどの短髪の彼は、スポーツでもやっているのか、強い力で真琴の腕を引き始めるとあっという間に彼女の体は崖の上まで持ち上がった。


 ほんの数秒ぶりに着いた地面は、これほど安心するものなのかと真琴は感動する。


「はぁ、はぁ……大丈夫か?」

 息を切らした男子は、真琴と同じ三沢高校の制服であるブレザーを着用していた。

「ええ、ありがとうございます」

 真琴は地面にへたり込んだまま、真琴と同じように地面に尻をつけ天を仰ぎながらも、安堵の表情を見せる彼に礼を言う。

 

 そして真琴は、まじまじと彼を観察する。

 彼の胴体にはハーネスのような繊維の器具がついており、腐り折れたフェンスではない側の、まだ頑丈そうな鉄の支柱に括られカラビナで結ばれていた。


 今度は視線を腐り折れたフェンスの断面に向ける。

 鉄製フェンスの断面は長い間点検がされていなかったのか、赤茶色に錆びており、折れる前の外観ではわからなくても内部は首の皮一枚で繋がっていた程度だったと推測できる。


「……じゃ、まあ無事だったと言うことで。俺はこの辺で……」

「待って。……君はどうしてこの場所に来たの?」

 

 真琴は、腰をあげそそくさと立ち去ろうとする男子に、鋭い視線を向ける。

 咄嗟に彼が動くと、ビインと間抜けな音をたててハーネスが張った。

 男子は思わずたじろぎながら、言葉を探すように後頭部をさする。


「え? ええっと、ほら。ランニングだよ。体を鍛えたくてな」

「ふうん。墜落防止用のハーネスを持ちながら?」

 ギクリと、男子は目を泳がせる。


「ああ、これはあれだ。たまたまだよ。たまたま今日の放課後に先生から植樹の手入れを頼まれてな、その帰りで……」

 おずおずと、男子は目線を真琴に合わせる。

 一切信用していない、と訴える目がそこにあった。


「あたしはよくこの場所に居る。けれど、ここで君がランニングをして通りかがるのを見たことは一度もない」

「え? いやー……今日はたまたま足を遠くまで伸ばそうかなっと」

「制服姿のままで?」

「……」

 

 男子はもはや黙ってしまった。

 そんな彼をよそに、真琴は立ち上がり改めて折れたフェンスに歩み寄り、その断面を観察する。


 外観には塗装がされており、いくら内部が腐食していると言えど、そこらの高校生が破断を予期できるとは考えられない。

 それに、真琴は頻繁にこの場所を訪れているが、今までこの男子を見かけたことは一度もなければ、真琴が今日この場所に訪れるのも、いわば気まぐれだった。

 まして、ちょうどこのフェンスにもたれることも、偶然でしかない。


 それなのに、この一見とぼけた男子は、用意周到にも命綱を持参して、真琴が転落する寸前にこの場に息を切らして駆けつけたことになる。


「まさか。もしかして……君。未来が視えるの?」

「はぁっ、いいや、違うぞ」

 男子はかぶりを振って否定する。

 だが、真琴の鼻には強く匂った。


「嘘……本当にそんな能力があなたにあるの?」

 驚きに目を見開く真琴の反応を見て、男子は困惑に眉を曲げる。

「いいや……話聞いてた? 俺は否定をしたんだけど……」

「あっ、そっか」

 真琴は思わず素で返事をした。

 そして、その反応を受けて今度は男子の方が視線を鋭くする。


「……っておい、もしかしてそう言うことか? お前、人の心が読めるのか!?」


 思わず叫んだ男子を前に、真琴はスッと表情を消す。


「はい? なんのことでしょう」

「いや、もう遅い。バレバレだぞ」


 こうして、人の言葉の嘘を見抜くことが出来る少女、影山真琴は、未来を知ることができる少年、久田幹人(くだみきひと)との邂逅を遂げたのだった。

 

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