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9/21

告白

 佐賀が再びその部屋にやって来たのは、彼女が力尽き、禁断症状による脱水状態を起こしはじめてからだった。


「…くすり…」

 ドアの開いた音と彼の姿を見つけ彼女が口にできたのはそのことばだけ…。もはや考える力はほとんど残っておらず、倒れたまま起き上がることもできずに、ただドアのほうに目を向けていた。彼を見上げるその目は虚ろで、先のような抵抗はもう望むべくも無い。

 彼は彼女を見下ろしていた。その後ろには4人ほどの男が見える。美咲の、もうほとんど働かない頭でも、これから何が行なわれるのか想像する事ができた。でも、それもどうでもいいように思える…。

 入ってくるなり佐賀は彼女の髪の毛を引っ張り、顔を上げさせた。


「どうしたよ、ねぇちゃん。させる気になったか?ん?」

「く…くすり…」

「ちっ」

 佐賀は舌打ちし、髪の毛を放して彼女を放り出すと、ポケットからくすりを取り出して、彼女の口の中に入れると水の入ったペットポトルの口を押し込んだ。


「そら、飲みたきゃ飲めよ!!」

 その時、


『ダメッ!!』


――バシッ!


 突然、内からの声で美咲は抵抗した。ペットポトルを持った佐賀の手を叩き、押しのけて、咳き込むようにして口からくすりを吐き出す。その時一緒に彼女の口から噴き出された水が佐賀の顔を直撃した。驚いたのは佐賀と男達だった。一瞬何が起こったのか理解できなかったが次の瞬間、彼は大いに激怒した。


「こんのアマァ!」

「キャッ!!」

 平手が彼女の頬を打つ。佐賀は美咲に馬乗りになると、続けざまに何度か頬を打った。


「抑えろ!!」

 馬乗りになったまま、男達に命じ手足を抑えさせる。


「飲めよ!ほら、飲め!飲んで俺らと楽しむんだよ!!」

 ビンからくすりを一気に取り出しそれを彼女の口いれ、無理やり水で流し込んだ。彼女はくすりを吐き出そうとしたが、手足は男達に抑えられ、頭も佐賀に抑えられていてはどうすることもできなかった。くすりが喉を通り過ぎて行くのがわかる…。


「ガハッゴホッ…」

 仰向けで無理やり水を流し込まれた為に彼女は大きく咽た。


「い…いや…放して…」

「お~ら、おとなしくしろ!すぐ楽になるからよ…。お前等、このまま5分な…」

 ニヤッっと佐賀がいやらしい笑いを浮かべながら男達を見渡しながらそう言った。そのいやらしい笑い顔は手足を抑える男達にも伝染する。もうすぐ彼女は抵抗しなくなり、いよいよお楽しみの時間だ…。そう思っていた男達の顔は、その5分後にひきつる事となる。


「ヒッ…ヒィッ…」

 突然、彼女の体が痙攣をはじめ、男達は抑えつけるのに必死にならなくてはならなかった。最後の抵抗なのか?とも思ったがどうも様子がおかしい。彼女の顔からはどんどん血の気が引いてゆき青白く変わり、ついには白目をむいて、口から泡をふいた。


「うわぁ…」

 一人が飛び退くと、ついで全員が彼女から遠ざかった。ビクッ…ビクッ…と体はまだ痙攣を続けている。


「さ…佐賀さん…、もしかして、量が…」

 佐賀が彼女に飲ませたくすりの量は、6錠ほど…。怒りに任せて放り込んだのであるいはそれ以上かもしれない…。通常2錠のところをその3倍以上を一気に飲ませた事になる。


「し…死んじまった…のか?」

「違うと…お、思いますけど…でも…」

 佐賀は青ざめていた。そして何かを思いついたように言った。


「よ…よし、計画とちょっとちがうが…は…はやいとこ、かたづけちまおう。」


 彼女を車に運び、男達は急いで行動を起こした。予定外の出来事に彼等は動揺し、余裕がなくなっていた。



「あ…あの部屋だ…」

 男達が駆けつけたのはあるアパートだった。平日の0時過ぎ。週末ともなれば話は別だろうが、通りにはほとんど人影はなく、あったとしても酔っ払いがポツリポツリだった。目当ての部屋の明かりはまだ点いている。まだ起きているのか…というよりも、部屋に彼がいることが判り、男達は安堵した。今夜中に片をつけなければ…。

 彼等はまだ、人殺しにはなりたくなかった。今夜中に全てが終われば、この女が死んだとしても『シュウ』のせいにできるだろう。であれば最悪、安西も納得してくれるのではないか?

 彼女の顔色は相変わらず青白く、呼吸こそしてはいたが胸が上下していなければ死んでいるように見えた。触ってみてもほとんど体温が感じられない。もはや時間の問題かも知れない。安西の怒りはともかくとして、彼等は急がなくてはならなかった。

 彼等にとって、そのアパートの鍵を開けるのは簡単な事だった。ものの2分で鍵を開けると部屋に忍び込む。あの、『シュウ』と対峙するのは勘弁願いたかった彼等は、とにかく彼に気づかれないように、最悪気づかれたとしてもすぐに眠らせることができるようにいろいろな準備をしていた。クロロフォルムにサイレンサーをつけた麻酔銃である。まるで猛獣とでも対峙するかのような緊張感が彼等を襲った。しかし…。


「い…以外と、簡単だったな…」

 まだ心臓がバクバクといっているが、とりあえず4人は無事ワゴン車に戻る事が出来た。寝ている上にこれだけ濃いクロロフォルムをかがされては、2時間は起きないだろう。もっとも油断は禁物ではあるが…。


「くすりは?」

「はい…本棚の中と押し入れの奥に隠して来ました。」

「よし、じゃあ次ぎ行くぞ。」

 ぐずぐずしてはいられなかった。この男がなかなか寝なかった為に時計は既に3時をまわっている。とうの昔に彼女は虫の息だ。毛布をかけて、車の暖房を強くして彼女を温めてはいるが、一向に回復の兆しを見る事はできない。医者に見せる事も考えたが、それには安西の許可を取らなければならなかった。安西の息の掛かった医者(といっても一人しかいないが…)以外に彼女を見せれば彼女が中毒である事が知れ、自分達が逮捕されるのは間違いなく、そうなれば当然安西にも捜査の手は伸びるだろう。

 どのみち医者に見せるという事になれば安西にこのヘマが知られる事になり、そうなれば処罰を受ける事は確実だった。安西が下す処罰を佐賀は考えたくも無かった。


「急げよ…」

 蒸すような車内の暑さに汗を流しながら、運転する男に佐賀は指示した。


 警察が彼女のアパートに入った形跡は無い。立ち入り禁止にもなっていなければ、この前来た時となにも変わっていない。佐賀は『村崎良美』と書かれた表札を確認して、カギを開け中に入った。


 そして、彼と彼女ををそこに放り込んだ。くすりのビンを左手に、錠剤を少し右手に握らせ、くすりをばらまき、彼の上着のポケットの中に彼女の部屋のカギを入れて…。後は彼が慌てて逃げ出してくれればいい…。


 彼等は一旦戻り車を変え、アパートの脇の道を少し進んだ所に車を止めて、そこで2時間ほど待った。


――ガタン!

 当然の如く、彼は驚きそして玄関から逃げ出した。無理も無い。自分が何処にいるのか判らず、訳の分からないくすりを持たされ、すぐ隣には冷たくなった彼女が横たわっているのだ。もう彼女は死んでしまったろうか?

 だが、佐賀達にとって、もはやそれはどうでもいい事だった。彼等は彼が自分のアパートの方に慌てて走っていくのを見届け、そしてゆっくりと、彼とは反対方向へ車を出した。


 まだ太陽が昇る前の、午前6時前の事だった。


―― * ――


 吉村は、姉の情報を出来る限り消し去る為に奔走していた。まずアパートに行って表札を元に戻した。いずれ使う事になるかも知れないが今は必要ないだろうと、新しい表札は自分のポケットにしまった。次に姉の勤めていた店に行って、写真類はネガも含め全て回収した。

 姉が仕事以外にあまり外に出なかった事が…、つまり彼氏をつくらないでいた事がこの時幸いする。言ってみれば、店にあったコンパニオンを選ぶ時に使う写真以外に、彼女の写真は存在しなかったのである。風俗雑誌を出している出版社も周ってみたが、その店の事も、『ムラサキ』の事も知る人が多い割に、出回った写真は一枚として存在しなかった。どちらかと言うとあの店の評判は雑誌よりも口コミのほうが大きかったらしい。また、店主が写真や取材を嫌う事も大きく影響した。


『この娘達が仕事を辞めた時とか、後々哀しい目に会わないようにね…』

 店主は男性ではあったが女性の心を理解し、彼女達の事をよく考えてくれている…。おかげで、吉村はその作業を順調に終えることが出来た。


 そして、その日の明け方…


 ほとんど寝ないまま動き回り、さすがに疲れきった吉村は、とりあえず少し眠ろうと姉のアパートへと向かった。ただ単にこちらのほうが近かったからという理由だった。足元が極度の寝不足のためにふらついていたからである。


――ドン!


「うわっ!!」

 慌てて角を曲がって来た男と吉村はぶつかり、尻餅をついた。男は足が引っかかったのかもんどりうって転がった。


「いってぇ…。何処見てんだ!気をつけろ!!」

 立ち上がってその男に向い、吉村が声を張り上げる。軽いめまいが彼を襲った。


「す…すみません…」

 男は口篭もりながら言い、体を起こしてこちらを向いた。よく見ると裸足だった。怯えたような顔を見せたその男の顔を見て、吉村は驚いた。


「えっ!?さ…坂田…さん?」

 男も驚く。


「えっ…あ…き…君は…広太君の…」

 坂田は、彼等全員の顔を覚えてはいたが名前までは覚えていない。彼が名前を覚えているのは、彼女の弟の広太を別にすれば、最近ホームページの作成を手伝ってもらっている田神くらいのものだ。


「どうしたんです?こんな時間にこんな場所で?しかも裸足じゃないですか…」

「ち…違うんだ、俺がやったんじゃない!」

 いきなり掴みかかってきた坂田に吉村は驚き、しかしふらつく足を支えきれずにそのまま壁に押し付けられてしまった。


「違うんだ…、信じてくれ頼む!!」

「ちょ…ちょっと…」

 なおも坂田は吉村の体を掴み前後に振るようにして訴えていた。何を言っているのかも理解できないまま、こんな事をされて我慢できる吉村ではない。しかも寝不足でフラフラだというのにこんなに揺さぶられてはたまったものではない。


「あ~!もう、いい加減にしろ!!」

 両手を肘を中心に内側から弧を描くように振り上げ、坂田の手を弾くと、そのまま両手を突き出して坂田をドンと押した。坂田はたまらず尻餅をつく。


「何言ってんのか全然わかりませんよ…。一体なにがどうしたって言うのか、わかるように説明してください…」


――ピロロロロ…


 午前6時…。居間に置かれた携帯の音に気づいたのは一美だった。


「はい、もしもし?」

 携帯の画面に表示された吉村の名で、それが弟の携帯でだとわかる。起こしに行こうかとも思ったが、それまでに切れてしまうかもしれない。そう思って一美は出たのだが…。


「…あ…かず…あ…あの江崎…広太君は?」

 吉村のその慌てぶりが何故だか一美は気になった。弟の部屋に行き、広太を起こして携帯を渡す。普段であればそこで部屋を出て行くところだったが、何故だか気になった彼女はそのまま広太の部屋に残っていた。


『あんまり大声出すなよ』

 吉村は一美が江崎の近くにいるだろう事を気遣って言ったつもりだったのだが、江崎にそれが伝わったかどうかまでは頭がまわらなかった。広太も部屋のドアに背を向けてしまい、そこに一美が残っているという事に気付いていなかった。


「え?彼女が見つかった?坂田さんも一緒?」

「!?」


『とにかく早く来てくれ!』

「わかった。」

 電話を切り、すぐに出かけようとした江崎は振り向いた途端に目の前に立ちはだかる一美を見て驚いた。


「何?…何なの?広太、何があったの?」

「…」

 一美に詰め寄られ、江崎は回答に窮した。しかし、すぐ行かなくては…。


「ご…ゴメン、姉貴、急がなきゃ…。後で全部説明するから!」

 江崎は一美を押しのけ、逃げるようにして吉村の元へ急いだ。


《…陽次が?…彼女って…あの人の事?…彼女と一緒?》

 取り残された一美はその場に立ち尽くし、悶々として自分をさらに追い詰めていった。


―― * ――


 田神が駆けつけた時、既にアパートには警察と野次馬とが押し寄せ騒然としていた。吉村は騒ぎが大きくなる前に、二人を部屋から連れ出していた。美咲には江崎が付き添い既に警察病院へと運ばれ、吉村が守山と共に田神の事を出迎えた。守山を見て田神は一瞬驚いたものの、あの時言っていた別の事件とは吉村の姉の事だったのかと、妙に納得した。


「とにかく乗れ。」


 パトカーではないワゴン車に3人は乗り込んだ。そこには坂田が青ざめた顔で座っている。吉村から坂田がいる事は聞いてはいたが、田神には何故彼がここにいるのか判らなかった。もっとも当の本人も何がなんだかわかっていないのだから、当たり前ではあったが…。

 ともかくも、彼女と彼は警察に保護されたのだった。


 彼等と最初に合流した刑事は守山だった。彼は本庁からの命令で動いていたのである。

 警察は既に彼等が被害者だという事を知っていた。

 坂田の部屋から『くすり』が出たという話を守山は聞いていたが、それを坂田には告げていない。彼の部屋と彼の会社の事務所は、参考人として坂田の身柄を確保した時既に調査済みであったのだ。その時に部屋も調べられていたことを坂田は知らない。

 坂田が麻薬売買の件で参考人として警察に行った時、江崎の父は彼の部屋と彼の会社の事務所との捜査を依頼した。本当に彼は麻薬とは関係ないという事を証明する為に…。

 なにせ坂田は娘の彼氏で、結婚はもはや時間の問題であったのだから、せめてもの親心という訳だった。江崎の父の勝手な判断ではあったが、そのおかげで彼の無罪は既に証明されていたのである。逆に言えば、坂田の部屋が調べられていなかったなら、彼は間違いなく警察に疑われていただろうし、警察の捜査も犯人から遠いところからスタートとなっていたに違いない。

 今回押収されたくすりの存在は、坂田を『陥れる』ための物であり、彼女が自分でくすりを飲んだのでは無いということを物語っていた。つまり、彼女をくすり漬けにした真犯人が何処かにいるという事になる。


 本当の犯人を探す為にはここで騒がないわけにもいかなかった。犯人の思惑が彼を犯人に仕立て上げる事というのは間違いなかったからである。守山は、マスコミ連中に彼の顔と名を伏せ偽名で報道させた。彼女は被害者であったから、『村崎』という苗字のみが報じられた。もっとも吉村が事前準備をしていなければ、写真が出回り、事件よりも彼女の事が取り沙汰された可能性は否定できない。そういった意味で吉村が奔走した事は無駄にはならなかった。本人としては無駄になってくれたほうがどれほど良かったかと思っていたかも知れないのだが…。

 裏門から警察署の敷地内に入ると、守山は皆を下ろし、所内へと入った。同じ頃、身代わりとして私服の警官が顔を隠し、取材陣に揉まれながら正面玄関より警察署へと入っていた。その様子はテレビで放送され、真犯人が見る事になるだろう。


 警察署に向かうワゴンの中で、守山から自分の無実が既に証明されている旨を聞き、ホッとした坂田は別室で休んでいた。


「彼等からだいたいの話しは聞いた。」

 3人は取調室に入り、そこで話が行なわれた。まず守山が口を開く。彼女が吉村の姉である事、坂田は単に彼女のアパートに何度も荷物を届けていたという事。江崎が彼女の彼氏である事は先刻承知している。ただしその江崎が彼女に対し『シュウ』と名乗っていた事を守山は始めて知った。


「なんであの時言ってくれなかったんですか…」

 田神は守山を非難したが、すぐさま、お前もあの時話さなかっただろうと切り返され何も言えなくなった。その後吉村はこの前、守山と田神が会った時の話を聞いた。


「と言う事は、だ…。」

 守山は、田神達に顔を近づけて言った。


「お前を付けてた奴は…、奴等は、この件に無関係じゃなさそうだな…」



 麻薬が関ってきては、本庁からも応援が来るのはしかたのない事だ。その日の内に本庁から捜査官が大勢やって来て、捜査本部が設置された。押収された麻薬はすぐさま検査に回され、過去にあった麻薬事件の物と分子構造の照合が行なわれた。結果は2日後にもたらされた。ほぼ同じ構造をした物が過去にある事が判明した。安西組の事件である。その話を聞き、守山の同僚たちは顔を見合わせていた。


「安西組の事件って言ったら…」

「…また…『シュウ』か?」


「いいから黙ってろ。捜査が混乱するだけだ。それに…」

「それに?」


「知らんか?お前らが支持する守山は本庁で『シュウ』と呼ばれてるんだぞ。安西組の件は、あいつがやったと言われてたくらいだからな…」

 そういって、同僚達は本庁の連中となんやかやと話している守山に視線を送るのだった。


―― * ――


「なんで…なんで目を開けないんですか?」

 江崎は担当医に詰め寄った。彼女が入院してからもう1週間が過ぎる。こんな事をしても無駄なのは判っている。でもその感情を抑える事は出来そうになかった。


「…」

 彼女の肌からは日に日に水分が失われているかのように干からびていく…。唇はひび割れ、頬も削げ落ちてきているように見えた。点滴が打たれ、栄養は体内に流れているはずだったのだが、くすりの副作用なのか、彼女の体がそれを受け付けていないようだった。そんな事は無い。そう担当医は言っているのだが…。

 警察病院にはさまざまな医師が詰めている。ここでも江崎の父からの連絡で、彼女が運ばれてからの処置は迅速に行なわれた。まず、血液検査が行なわれ、次いで胃の洗浄、血液の交換が行なわれた。

 ただ、残念な事に、彼女が運ばれた時には既に飲み込んだくすりは体の隅々まで行き渡った後だったのだ。血液中の成分の量が、重度の中毒患者と同量の数値を示し、彼女がくすり漬けになっているか、極端に多量のくすりを与えられたか…。あるいはその両方か…。という事を推測させた。

 今なお、彼女が意識を取り戻さないところを見ると、多量のくすりを一度に与えられたという事は疑いない。だとすれば、このまま意識を取り戻さない可能性は大いにあったのである。弟の吉村だけが担当医からその事を伝えられていた。今、彼はここにはいない。



「あいつらがいなけりゃ…、姉貴はソープなんかで働かなくたって…そうすりゃこんな事に…」

「そんな…」

 吉村の部屋には、吉岡が来ていた。


「病院は…行かなくて、いいの?」

「行ったって…俺に何が出来んだよ…。何も出来ない…何も…」


「吉村…」

 吉村は部屋に篭り、一人、両親を呪っていた。最近吉村の様子が変だと聞いて、たまたまアパートに立ち寄った吉岡は、彼から一連の話を聞き、彼の現状を知った。誰かに話す事で楽になるのではという彼女の言葉ではあったが、しかし、彼女自身もその話を聞き、居た堪れない気持ちになっていた。でも、だからといって両親を呪う事は…


「俺は今でも憎んでるよ…あいつらがいなけりゃってな…」

「で…でも…でも私は感謝してるよ…」

 吉村の言葉に彼女は異議を唱えた。


「なに!?何でだよ!なんでお前があいつらに感謝なんかすんだよ!!」

「だ…だって、その人達がいなかったら、あんたは…いないわけでしょう?」

 吉村は吉岡が何を言っているのか分からなかった。だからどうだっていうんだ…


「…その方が…良かった…俺がいなきゃ…もっと金はかからなかったんだ…」

「バカな事言わないでよ、あんたがいなかったら、私はあんたと出会えないじゃない!!」

 ハッとして、吉岡はうつむき口を噤んだ。頬が熱い…。でも、ここまで言ってしまったのだから…。開き直って吉岡は顔をあげ、耳まで真っ赤にしながら言葉を続けた。


「そしたら…、そしたら私はどうすりゃいいのさ?あんたがどう思おうと、私はあんたの両親に感謝してるよ。あんたをこの世に送り出してくれてありがとうってね…」

 怒ったようにいう吉岡の迫力に押され、吉村は言葉に詰まった。と同時に彼女の目が潤んでいる事にも気づく。


「…」

「好きだよ…ケン…」

 しばらくの沈黙の後、吉岡が声のトーンを落として言った。


「…お、お前…よくもこんな時に…」

「タイミングが最悪だっていうのは分かってるよ。でも、でも私は吉村が自分で自分を傷つける姿なんて見たくないもの…。ずっと…ずっと想ってた。あんたは覚えてないかもしれないけど、卒業式の後、江崎ん家で飲んだ帰りに私を送ってくれて、その時はみんな酔っ払ってて…」


 ― 『こんなに幸せでいいんだろうか…。俺は姉貴を不幸にしたっていうのに…』


「私に言ったのか、独り言なのか分からなかったけど、あぁ…この人も十字架を背負ってるんだなって思った。その時は田神が『シュウ』だなんて知らなかったけど、『シュウ』と同じでこの人も心に傷を持って生きてるんだなって…」

「…」


「誰だって心に傷はあるよ。貧乏だって裕福だって…。もちろん大きさは違うかもしれないけど…。私だって…」

 吉岡の話は以前聞いた覚えがあった。彼女にも辛い過去があったのだ。


「でも…でもみんながんばって生きてんじゃん…。聞きたくないかも知れないけどあんたの親だって…」

「もういい!!」


「吉村…」


「…帰ってくれ…今は…もう少し…一人にしてくれ…」

「私じゃ…ダメ…なの?」


「…いいから、帰ってくれよ!」


 目の前で扉が閉まり、吉岡は涙を溜め、堪えきれずに嗚咽を漏らした。扉の内側で、吉村は扉に背を向け彼女の低い泣き声を聞いていた。




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