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新しい恋

「どうぞ…」

 と、通されたところにカウンターがあり、受け付けの男性にご指名はございますか?とたずねられた。

 コンパニオンの顔写真の一覧を差し出されたが適当に指差し、待合室に通される。待合室にはだいぶ長くいたような気がする。しかしそれも仕方の無いことだった。江崎がたまたま選んだ娘はこの店の一番人気の娘だったのだから。

 通常であれば別の娘を選んでもらうところ、彼女目当てでこの店に来る客も多く、何時間待ちでもいいという客がほとんどであったから、受付でもまたか…と江崎もその口だと思われていたのだった。

 客の数が多いのか少ないのかは江崎には分からなかったが、正月も最中だというのに客は多く感じられた。そして…

 江崎は奥に通された。


「『ムラサキ』といいます。」

 店のユニホームなのだろうか?ピンク色の薄い生地の服を身につけて彼女は立っていた。ユニホームから伸びる足が妙に艶めかしい。

 一瞬帰ろうかという考えが頭をよぎった。


「…お客さん、もしかしてこういうところはじめて?」

「えっ?」


「いま帰ろうかと思ったでしょ?」

「…」

 ドキッとした。内心を見透かされたようで、江崎は思わず黙ってしまった。


「ウフフッ…大丈夫よ…」

 ムラサキという娘はきれいな人だった。江崎はなんでこんなきれいな人がこんなところで働いているのだろうかと思った。

 もちろん人それぞれの理由があり、だからこそ今自分はここにいるのだろうという事はわかっていたが…



「帰らなくてよかったでしょ?」

 事が済んだ後、シャワーを浴びながらムラサキが言った言葉になんと言って答えたのか…。頭の中が真っ白で、よく覚えていない。


 余った時間で二人はベットに座りながら話をした。

 どうでもいい事だが、彼女には弟がいるという事。そして弟は今の仕事をする自分の事を嫌っているという事…。

 江崎も自分の事を話す。昔の失恋の事、そして姉への想いを…。


「これといってやりたいことがあるわけでもないし、何か特技があるわけでもないし…。私にはこの仕事があってるのかなぁ…なんて思うしね…でも弟はよく思ってないみたい。」

「…」


「でも、弟と同い年か…フフッ。君も友達のお姉さんとしてるみたいで、ちょっとは興奮したんじゃない?…」

「い…いえ…」

 ちょっとどころではない。今こうして隣に座っているだけでもこんなにドキドキしている。

 こんな事は初めての経験ではないだろうか?と江崎は思う。

 ややもすると店員と客という関係を忘れてしまいそうになる。それはそれでムラサキの演技力が評価されるべきなのだろうが、江崎はこの娘に引き込まれてしまいそうになる自分を怖くも思っていた。


「彼氏…とか…は」

 いないの?と聞こうとして言葉はそこで途切れた。何を聞こうとしたんだろう…


「アハッ…いない、いない。あのね君…あっごめんねお客さんに…でもいいよね?弟と同い年だし…。この仕事している女性と付き合う男ってヒモかヤクザやさんだよ?普通の仕事してる人はきっとやめてほしいって言うし、君だって私が彼女だとしたら…」


「やめてほしいです!!」

 突然江崎が大きな声を出したので、ムラサキは目を丸くした。

 真剣な眼差しで自分を見つめる目の前の江崎の事を、その時初めて男性として意識した。


「で…でしょ?だから今は彼氏はいません。…安心した?」

「…」

 江崎は下を向いて黙ってしまった。何と答えてよいか分からなかったが、安心し嬉しいと思う自分に気付き、なぜかそれが許せなかった。


「弟はやめろってうるさいけどね…もう独立したし、今は別々に住んでるんだけど…」

 ムラサキはなんとなく寂しそうな目をしていた。


《――あいつらのせいで姉貴は体を売って働かなきゃならなくなったんだ…》


 一瞬…。江崎の脳裏に昔聞いた言葉が浮かんだ…。まさかね…。


 ――トゥルルル…

 話に割り込むようにインターフォンが鳴る。


「はい。」

 ムラサキがそれを取る。


「『延長しますか?』って」

 どうやら次の客は今はいないらしい。フロントの言葉をムラサキが江崎に伝える。


「どうする?」

「延長…します。」

 …もっと…一緒にいたい。江崎はいい、ムラサキはフロントに延長を伝えインターフォンを戻す。


「じぁ…もう一回しようか…」

 二人は一度といわず、何度も抱き合った。ムラサキは江崎が少しでも姉の事を忘れられるようにと、彼をやさしく包み込んだ。

 仕事としてでなく、一人の女性として、やさしく…。


《――やめてほしいです!!》

 江崎の真剣な言葉が、その眼差しが、ムラサキの心に染み渡っていた。


 ―― * ――


 交換したメールアドレスが本当だとわかったのは、次の日の夜に入ったメールによってであった。

 たまに弟とメールのやり取りをする以外はあまり登場しないパソコン。これからは活躍する機会が増えそう…とメールには書いてある。

 本当だろうか?かなり疑わしいがそんな事はどうでもよかった。あんなところでのメールアドレスの交換だ。こちらが教えた物も本当で有るかどうかも分からないのに、彼女はメールを送ってくれた。

 もしかしてこれも営業活動か?と一瞬頭に浮かんだ考えを江崎は否定した。そしてムラサキに対して疑ったことに対して謝罪のメールを書いた。

 メールの交換は数週間続き、二人は店ではなく街で待ち合わせをし、再会する。



 なんだか江崎、明るくなったなぁ…。


 そう仲間達が感じるようになったのは年度末を迎える、ちょうど学生達が春休みを迎える時期だった。

 メールの中で江崎は『シュウ』を名乗った。店では名前を言っていなかったのだ。

 本名を書こうかとも思ったが、いろいろと考えたあげく『あだ名』という事で思いついた名を書いたのであって他意はない。

 ムラサキはあの伝説の?と聞いた。ちょっとでもワルをやっていた者にとってその名は憧れの男性像を意味した。一人の女性の為に数百人を相手にケンカをした男…。


 ――田神の事だ…そんなに有名なのか…


 江崎は思ったがそれはぜんぜん違う人だとムラサキに話した。

 今日は2度目のデートだ。ムラサキはデートだとは思っていないかも知れなかったが…。

 自分にもっと力があればと思わないでもない。そうしたら、彼女に仕事を辞めてもらって、恋人になってもらって…。

 自分の理想というか願望を言えば切りが無いのは分かっている。しかし今はこれで十分江崎は満足していた。

 彼女とのメールのやり取りや、こうして会うことで、江崎は姉への思いから少しずつ開放されつつあった。


 一方…。

 最近、一美の様子がおかしい。夜に突然喚き散らす事が度々あった。坂田とケンカしているようだ。

 しかし、江崎が一度部屋を覗いたとき、姉が喚いているのは電話を切った後だということが分かった。

 坂田さんは知らないのだろうな…。なんだかノイローゼのように見える姉のことを…。

 坂田と会っている時の姉はいつもの姉だった。最近坂田の会社の業績が好調で仕事が忙しくなかなか合うことが出来ないでいる。

 きっと、それでちょっとヒスを起こしているのだろう。そこまで思われている坂田が羨ましく思える。少しだけ嫉妬する自分があった。そして、純粋に弟として姉を心配する江崎の姿がそこにいた。


「広太!」

「えっ?」

 一美が突然、江崎の部屋に入ってきた。


「な…なんだよ、ノックぐらい…」

「今日…、一緒に歩いてた女の人…誰?」

 激しい口調で一美が詰め寄る。


「だ…誰って…え?…」

 一瞬、何がどうなっているのか訳がわからず、江崎は姉を当惑した様子で見つめる。しばしの沈黙の後、一美はためらうように口を開く。


「陽次は…陽次は一緒じゃなかったの?」

「は?」

 江崎は一美が何を言っているのか分からず、ただ目をパチクリさせるだけだった。ただ、自分が『ムラサキ』と一緒にいるところを姉に見られた事だけは分かった。


「…なんで、坂田さんがそこで出てくんのさ…」

「…そ…そう…なら…いいんだ」

 一美はそういって、部屋から出ていった。江崎は首を傾げるだけだった。


《あっ…》

 一美姉に自分が女性と一緒にいるところを見られたというのに、不思議と平気だ…。江崎は姉に対する思いが薄れている事にその時はじめて気づいた。


『失恋の特効薬は新しい恋である』

 とは誰の言葉だったか?…。


 ―― * ――


 ――これは…デートなのだろうか?


 かねてから見たいと思っていた映画である事は間違いない。その映画の先行試写会を見終えた帰りの車の中で美智子は考えていた。

 映画の趣味は二人とも同じ、恋愛ものとアクションものが好きだった。

 たまたまチケットを手に入れた田神は、美智子を誘った。


『××って映画、見たいって云ってたよね?試写会のチケットもらったんだけど…』

 平日の昼休みに入った田神からの誘いの電話に美智子は二つ返事で答えたかった。


『いつ?』

『2/3 20:30からだけど、行く?』


『ちょっと待って…』

 田神は受話器の向こうに手帳のページをめくる音を聞く。

 美智子はわざとスケジュール帳を確認するふりをしてからもったいぶって答えた。予定が入っていたとしてもこっちを優先するに決まっているのに…。


『うん、いまのところ予定入って無いから、行けるよ。』

『あ…うん。じゃあOKね。それじゃ、詳しい事はまた後で…』


 平日に会社に電話がかかり、約束をすればその後で詳しいことを話すために電話が掛かってくる。

 その電話の約束もまた美智子にとっては嬉しいものだった。妹の真由美に言わせればそんなに好きなら告白しなよ。という事になるのだろうが…。


《そういえば最近、真由美うるさいなぁ…》

 何かというと、どうだったとか楽しかったとか…。小姑のようにしつこく田神との事を聞いてくる。

 さすがに『そんなに気になるんなら田神に聞けば?』とは怖くて言えない。真由美の事だからそういえば本当に田神に聞くに違いないのだから。


 見に行ったのは恋愛ものの映画だった。周りにはカップルが多数。もしかすると周りからは私達も恋人同士に見えるのかな…。

 駐車場から映画館の入り口までの短い距離の間、美智子は田神の横を歩きながら一人思っていた。腕を組み歩く前のカップルをちょっと羨ましげに眺めながら…。


 映画を見ての帰り道。映画館を出てすぐのところにミニストップがあり、ソフトクリームを買って、車内で食べながら走っていた。

 今日で何度目だろう。こうして二人で映画を見に行くのは…。

 流れる景色を見ながらそう考えた。

 窓にうつる運転する田神の横顔を、外を見ているふりをしながら覗き込んだりしてみる。

 何も進展してはいない。今の状態に不満がないといえばうそになるが、それなりに気に入ってもいる。

 なにより自分ではどうしてよいのか分からなかった。最近では女性から告白するという事もそう珍しい話ではないらしいが…。

 そうは思ってみるもののいまひとつ勇気を持つことができない。


《純情すぎるの?もしかして自分は物凄い奥手なのかしら?》


 ――俺等もさぁ、上森等みたいに付き合っちゃおうゼ――


 あの時、OKしていればよかったのだろうか?そしたら何か変っていたのだろうか?

 田神はどう思っているのだろう?いろいろな想いが頭のなかを巡ってゆく…。

 そして、車は美智子の家に到着する。


「それじゃぁ、おやすみ」

「…うん。おやすみなさい。…またね!」


 走り去る田神の車のテールランプを見送りながら…

 ルームミラーに移る美智子をチラッと見ながら…

 2階の窓のカーテンの隙間から美智子が車を降りてからずっと様子をうかがいながら…


「「「ハァ………」」」


 その時、深いため息をついたのは、実は、美智子だけではなかったのだった。


 ―― * ――


 いつもと同じ時間、いつもと同じ車両に今日も乗り込む。

 通勤ラッシュを逃れるのと朝の20分の惰眠…。どちらかと言われれば朝の惰眠を選びがちになるが、朝食を取ってすぐの通勤ラッシュは気分が悪くなる。

 只でさえギュウギュウ詰で苦しいのに、日によっては脂ぎったオヤジの頭が丁度目の前に来る事もある。そんな時などはたまったものではない。

 会社のある駅の駅前の喫茶店で、朝食を取るようにしてからもう1年近くなる。

 パンとコーヒーだけだったが、そこで食べるようにしてからは、午前中の仕事の効率が違うように思う。

 気分的な問題かも知れないが、それでもあの通勤ラッシュで無駄に体力を消耗するよりはマシだと思い、起きるのを少し早くしてそれまでより2本早い電車に乗るようにしている。


 気が付かなかったが、彼女は同じ時間の電車に乗っていた。しかもドア一つ違いの別の車両に…。

 彼女の乗る車両のほうが若干空いているが、こちらの方が降りる駅での階段は近い。

 別に同じドアであったとしても、声をかけるわけでもないし声をかけるにしたって何と話かけて良いのやら…。

 それに自分の事を覚えているはずも無い。第一あんなかわいい娘に彼氏がいないわけが無い…。

 いろいろ考えた挙句、結局声をかけられずにいる。


《丸山が聞いたら『意気地ねぇなぁ…』とでも言うだろうな…。》


 もっとも彼の場合はちょっと気になれば声をかける割には本気で好きになった娘には奥手になるのだったが…。

 そんなある日…


 ――…ドアが閉まります。ご注意ください。

 ピィーッ…車掌が吹く笛が聞こえ、ドアが閉まる寸前に、彼女が飛び込んで来た。勢いのあまり田神にぶつかる。


「す…すいません…」

「い…いえ…」

「あっ…ど、どうも…」

 ともえは田神の顔を見て年末の事を思い出した。


《あの時の人だ…》

 またぶつかってしまった。ともえは知らず、下を向いてしまっていた。

 走ってきて息をはずまぜている上にこの状況である。

 次の駅で別の車両に行こうかとも思うが、避けるようにするのもあまりに失礼ではないか?向こうは気付いたろうか?それとも年末の事など忘れているだろうか?


《素敵な人だな…。でも男なんて見かけじゃ分からないし…》


 あの日、ともえは田神と別れてからそう思っていた。

 近くに勤めているのだからまた会う事もあるかも知れないと思ってはいたが、まさか寝坊して髪が跳ねている日に会うなんて…。


 ――危険ですので駆け込み乗車はご遠慮ください。

 車内放送が流れ、何人かが彼女に視線を送る。


「…」

《どうか覚えてませんように…》


「2度目…か…」

 ふっと田神が漏らした独り言にともえは硬直する。


《…覚えて…る?》

 ともえの頭の中で複雑な思いが交錯する。恥ずかしいという思いと覚えていてくれたという嬉しさとである。でも…


《男なんて、誰にでもちょっかい出すんだから…。この人だってちゃんと彼女がいるに違いないんだ…》

 そう心の中で声が囁き、胸の高鳴りを押さえ込んだ。もうあんな思いをするのはたくさんだ。しかし、ともえは顔を上げることは出来なかった。彼女が乗ってから会社のある駅まで3つの駅がある。向き合った状態で二人とも黙ったまま電車は○○に到着する。

 さっと会釈をして彼女は急いで降りていった。田神はホームに降りて少し間を置いてから歩き出した。


《なんか、悪い事しちゃったかなぁ…》

 別に自分のせいではないのだろうが、彼女がうつむいたままだったのを、田神はなんとなくすまなそうに思っていた。

 多分寝坊したのだろう。髪の毛がところどころはねているように見えた。

 ぶつかったのはこれで2度目。あの様子だとどうやら彼女もその事を覚えていたらしい。

 なんでもないことなのだがなんとなく嬉しく思う。

 少し明るい気分になり、田神はいつものように駅前の喫茶店に寄り、いつもよりもちょっと値段の高いコーヒーとサンドイッチで朝食をとった。


 ―― * ――


 ――トゥルルルル…


 美智子の部屋にある電話が音を立てる。携帯が主になった最近ではこの電話にかけてくる相手は一人しかいない。


「はい」

『もしもし美智子!ともえだけど…』

 ともえこと、志田ともえは、美智子の中学の頃からの親友だった。

 家は近所だったのだが道を挟んでの地区の違いから小学校は別だった。

 中学はその地区に1つだった為、彼女とは中学時代からの交友を持つ事となる。

 どちらかというと二人とも友達付き合いは多いほうではなく、もしどちらかが小学校時代に多くの友達を持ちそちらを大事にするタイプであったなら、二人の交友は一生なかったかもしれない。

 家が近所という事もあり、中学時代はよく一緒に登校したものだ。

 部活も一緒にテニスをやった。

 だれそれが好きだのやれのかれのといろんな秘密を共有したし悩みも話し合った。高校は別々になったもののその交友は続いた。

 ともえには高校2年の頃から付き合いだした彼がいて、美智子はその彼が嫌いだった。

 決定的だったのは何人かで出かけた時にたまたまその彼と二人になった時にその彼が自分にモーションをかけてきた事だった。

 信じられないという思いでその男を睨みつけ美智子はこう言った。


『今のは聞かなかった事にするから…いいわね?』

 彼の存在は、美智子自信を男性不審にさせるに足る存在であった。もちろん男性だけでなく、女性にも同じ人種が存在する事は知っている。でも自分のまわりにそんな人がいるなんて…。しかもよりによってそれがともえの彼氏だなんて…。美智子は信じられない思いでいっぱいであった。

 ともえに『彼と別れな』と何度言おうと思ったことか…。それでもともえとその彼の交際は4年に及んだ。もっともその間にもいろいろと話を聞いたものだが…。

 ともえとその彼は同じ専門学校に行ったが、別々の会社に就職した。結局はそれが別れるきっかけとなってしまう。彼が会社で彼女をつくったのだ。


『学生時代とはちがうんだよとかって言うんだよ…』

 泣きながら電話をするともえを慰めながら、彼と別れたという話を聞いたのが2年ほど前の事である。

 美智子はともえにとって結果的に良かったと思ってはいたが、当の本人であるともえはひどく落ち込み何ヶ月も泣き通した。

 美智子は毎日のように話を聞いてやりなんとか立ち直おったものの、


『もう男なんて好きにならない。一生男なんて信用しない…。』

 と美智子に云っていたのだった。


《相手が悪かったんだよ…。》

 美智子は言葉を飲み込んだ。いまさら言ったところでどうにかなる問題でもなかったからである。


「ところでともえさぁ…この電話って最近あんた用のホットライン化してるんだけど…」

「いいじゃない。もともと私用にって引いて貰ったんでしょ?」

「そりゃそうだけどねぇ…」

 高校時分に自分の部屋に電話がほしくてともえをダシにして電話を引いて貰った事は確かに事実だった。

 ちょっと前まで電話回線でしインターネットをしていたが、使い放題にしてからは本当にともえ専用になっている。基本料しかかからないものの、節約できるにはこしたことは無いのだが…。


《まぁ、もうしばらくはよしとするか…》

「で、今日は変わったことは?」

 だいたいいつもこんな調子で始まる二人の会話。本当になんでもない他愛もない話がほとんどだ。

 ともえが一人暮らしをはじめた4年前からのすでに習慣ともいってよい電話でのやり取りである。今では短い時などはものの5分で終わる時もある。もっとも長い時は0時を回るのだが…。


「ほら、前にちょっと素敵な人に合ったっていったじゃない。」

 それは年末の事だった。確か、忘年会の翌日の電話だったか…

 

『会ったっていうより、ぶつかっただけなんだけどね…』

 気になる男性が現れたという。もしかしてやっと本当に立ち直るかもしれないと美智子は思っていた。今日その男性と電車で偶然会ったという。


「へえ…」

 あまり冷やかしてもいけない。まだそんな段階でもないだろうし、第一どんな男かも分からない。出来うるならばその男を見つけて、本当にともえに相応しい人物なのか?美智子は自分でも見極めてやろうと思うほどだ。


「…それでどんな人なの」

 どんな人なのか、まだともえもよくは知らないらしい。それはそうだろう。話を聞く限り2度ぶつかったというだけの人なのだから。

 優しそうな感じの人だと言っているが…。


《前に付き合ってた男も最初そう言ってなかったっけ?》

 まぁともかく、男性に興味を持つこと自体が回復の兆しということだろう。その男性はともえと年末ぶつかった事を覚えていたらしい。

 これから幾晩かはその男性の話が話題の中心となるのだろうな…。ふとそんな事を考えながら、その日の電話は終わった。


《そういえば…》

 田神もともえと同じ駅の会社だったっけ…。


「ハァ…」

 今ごろあの鈍感男は何をしていることやら…。

 進展が無い自分達の事を考えながら、美智子は電気を消して床に着くのだった。





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