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物語

『お前にも話しておいたほうがいいだろう…。』

 そう言って義和は、息子に話し出した。

 それは、義和が大学の頃の話から始まった…


―― * ――


 彼女の名は『高橋奈菜』と言う。

 田神が上森の境遇を聞いても同情を持たなかったのは、彼女の事があったからかもしれない。


 彼女は孤児院で育った。仕事をしながら夜学の高校に通い、そして特待生として大学に入学した。

 誰とでも訳隔てなく接する事が出来るのは、その人の持って生まれた性格だろうか?


 彼女は誰からも好かれるタイプの女性だった。そんな彼女に裕太郎がアタックしたのは当然ともいえる。

 裕太郎がまだ自分が金持ちである事を鼻にかけている頃の事だ。


『どうだ、俺の女にならない?贅沢させてやるぜ?』

 誉められるような誘い文句ではないが、高校時代その言い回しで何人もの女性をものにしていた。それが当たり前のように思ってしまった責任は本人だけではなく、その誘いにのった女性達にもあるかも知れない。


『馬鹿にしないで!』

 当然の事ながら彼女はそんな誘いには乗らなかった。江崎は彼女に振られる事となる。


 彼女と親しくなったのは田神と丸山の方が先だった。

 選択した講座がものの見事に一致したからであったが、顔見知りになった3人が親しくなるまでにそう時間はかからなかった。

 一番には、彼女が自分の話をした時に彼らが『孤児院育ち』という言葉になんの興味も示さなかった事にある。

 その事実を伏せる事はしたくなかった。別に同情を引くつもりではないのだが、大抵の者はその話を聞くと彼女に同情の目を向ける。

 彼らとて同情しなかったわけではないが、あまりにもあっけらかんとしてその言葉を口にした彼女に対して同情する必要を感じなかった。

 なにより同情するのは失礼だと思ったから、その言葉は会話の中に埋もれるだけのものとなる。


 3人でよく庭で昼食を取った。

 その後、その場所に寝そべって昼寝をするのが、晴れの日の楽しみだった。


 江崎の周りには取り巻き連中が存在した。彼らは江崎に対して媚へつらい、ある者は荷物もちをし、ある者は行く手にある邪魔な者を蹴散らした。

 昼寝をしている場所に江崎等が現れたのが、田神等と江崎の交友のきっかけとなる。


『どきな!』

 ドスを聞かせた声で言う取り巻き連中の言葉に答えたのは田神だった。


『早い者勝ちだ。お前等がどけよ!』

『逆らおうってのか?』

 溜息をついて、田神は立ち上がった。移動するものと思ったその男は、後ろの江崎を振り返った途端に田神に押しのけられた。

 ツカツカと、江崎の前まで行って、田神はその頬を打つ。


『お山の大将のつもりかよ?そんな事してるとろくなことになんねぇぞ!』

『・・・』

 突然頬を襲った衝撃に、裕太郎は何が起こったのか理解できないでいた。

 脅されて、殴られた事は何度もある。しかし、目の前の男は脅しているわけではない。ましてや媚びてもいなかった。


『ばかじゃねぇかお前!江崎さんにそんなことして無事でいられると思ってんのかよ!』

『この大学にも江崎さんとこは多額の資金を寄付してるんだぞ!』

『退学だ、退学!!』

 呆れ顔で取り巻き連中を見る田神の事が、江崎の目に新鮮に映った。


 今まで、自分の周りには存在しなかった。いや、遠い昔…子供の頃には存在していた、懐かしい感じ…。

 何事も無かったように、田神はまた元の場所に戻って寝そべった。

 勝手にしろと言わんばかりに…。


 数日後・・・

 江崎の周りに取り巻き連中はいなくなっていた。

 そして、同じ場所に4人の姿があった。



『お前、凄く嫌な奴だったらしいぞ?』

『だって、「俺は金持ってんぞ!」って感じだったんだもん。』

 奈菜の言葉に江崎は顔を赤くした。情けなくて穴があったら入りたい心境だった。


『いけませんねぇ、江崎君。そんな事じゃ…、友達無くすよ!』

『わ…悪かったなぁ!』

『おぃおぃ、怒るなよ…』

『そうそう、本当の事なんだから!』

『・・・』

『奈菜…追い討ちをかけるなよ…』


 裕太郎は、変わっていった。本来の姿に戻ったと言うべきかもしれない。

 そして、裕太郎は本気で奈菜に惹かれていく・・・。

 1年後、再び…今度は振られる事を覚悟で交際を申し込むことになる。


『ほ…本気なんだ!お…俺と…付き合ってくれ!』

 田神と丸山の応援を受け、江崎は勇気を振り絞った。

 今までこんな気持ちで女性に告白をした事があっただろうか?

 前に奈菜に振られたときはビックリしたがショックは無かった。

 そう考えると、遊び半分の気持ちであったことが改めて思い知らされる。

 心臓がバクバクと音を立てる。断わられる覚悟をしていたはずなのに足がガクガクと震える。

 告白というものが、これほどまでに労力を必要とするものだとは思わなかった。呂律もうまく回らない。

 言い切った後の沈黙が、ほんの十数秒の時間がどれほど長く感じたことだろう?

 なにも聞かされていなかった奈菜は、ただ目をパチクリさせていた。

 江崎は奈菜の顔を見る事が出来ずにいたが、丸山と田神はその表情を見て楽しんでいた。


『・・・いいよ』

 ガバッっと、江崎が顔を上げる。ビックリしたような嬉しそうな、なんとも複雑な表情を浮かべ…


『よし!!』

 奈菜の答えに声を上げたのは江崎ではなく丸山と田神だった。


『やったな!』

『よかったなぁ!』

 やいのやいのと江崎をもみくちゃにする。奈菜はそんな3人を微笑んで見つめていた。


 田神が、自分の気持ちに気が付いたのは、江崎等がデートをするようになってからだった。

 それまで4人で過ごした時間は、二人が付き合い始めた事で少なくなったのである。

 江崎がいない時に3人で集まる事はなかった。彼女なりのケジメなのだろう。

 だからこそ、余計にその気持ちに気づかずにいる事は難しかったのだ。


 田神の気持ちを彼女が知るのは、江崎の口からになる。

 江崎が彼女と別れなければならず…。彼女の部屋を訪れて別れ話を切り出した後…

 奈菜が、席を外した時に彼女の机の上に置かれていた日記を、悪いとは思いながらも覗き見て…

 江崎がまだ、仲間に加わる前の事だったが、奈菜が田神の事を好きだったという事を知った直後の事である。


―― * ――


『こ…ここに書かれてることって…』

『えっ?』

 江崎は震える手に開いた日記帳を持って呟いた。


『勝手に見るなんて酷い!!』

『田神の事が好きだったんなら、なんでOKしたんだ!』

 日記帳を突き出して江崎は叫んだ。


『違う!それはあなたが仲間に加わる前の話でしょ!私は・・・』

『田神がお前の事を好きだと知ってもそう言っていられるのか?』

『えっ?』

『・・・ほら・・・やっぱりな・・・お前は今でも田神が好きなんだろう!』

『だ…騙したの?』

『田神が・・・お前の事を好きなのは事実だ・・・俺と同じ・・・いや、俺以上に!』

『・・・』

 奈菜は考えていた。

 江崎の父に会って以来、なんとなく…、そのうち別れ話をされるのではないか?そんな気がしていた。

 きっと、ショックを受けないようにと、いろいろなアンテナが働いていたのだろう。

 奈菜には誰にも言っていない事があった。誰にも言えずにいた事が・・・


《私が悪者になれば・・・》

 もしかしたら、この人の苦しみはいくらか楽になるかもしれない・・・


『田神なら・・・きっと幸せにしてくれるだろうよ!』

 怒ったように言う裕太郎に、奈菜は驚いた。この人は…


《この人は、田神の事を悪者にしようとしている?》


『田神が…田神が悪者なの?』

『!?』

『悪者は私じゃないの?』

『そ・・・そうかよ!!そんなに田神の事が好きかよ!!』

 江崎は飛び出していた。全て自分が悪いのだと言う事が、その時の彼にはわからなかった。わかりたくなかった…。


 自分だけが不幸に思えた。愛する人と結ばれる事が出来ず失望して…。そして、彼女は自分ではなく、別の男を愛していた。


 全ては勝手な思い込みだった。完全なる一人相撲…。しかし、それが誤解の大きな原因となっていた。


 もしもこの時、江崎が日記を見ていなかったら…


 もしもこの時、奈菜がその事を告げていたら…


 未来は違っていたのかもしれない…。


―― * ――


「・・・」

 なんと言ったらいいのか…。丸山は絶句し、そして神妙に話を聞いていた。

 田神の父と父が親友だという事を、丸山は高校の時に知った。

 大学時代、江崎の父とも親友である事を知り、こんな偶然があるものだろうか?と驚いた事を今でも覚えている。

 別に二人に隠していたという訳ではない。当然、二人もそれぞれの父から話を聞いていると思っていたのだから。


 しかし…


 話すことでもないのかもしれない。いや、もしかしたら本当に田神は知らないという事も考えられる。

 自分達が出会ったのは、『運命』なのかもしれない…。そんな気がした。


 ・

 ・

 ・


「これが…、丸山に聞いた話だ…」

 裕太郎は、自分の子を身篭った女性と田神の父が一緒になったという事を話した。

 それを自分は誤解していたという事も・・・。


 江崎は、父の話を黙って聞いていた。

 祖父は嫌いだった。理由はわからなかったが、何故か好きになれなかった。

 今にして思えば子供ながらにどんな人物なのかを感じ取っていたのかもしれない。


「母さんは、風間財閥の一人娘でな…。親父が頼み込まれて一緒になったんだ。その時彼女が連れてきた子が一美だ。もっとも風間財閥の資産と一緒という事でなければ親父は首を縦には振らなかったろうが…」

「せ…政略…結婚?」

「そうだ…」


沈黙が流れた。


《親父は悪くない…悪いのは全部…でも…。》


「…そして、田神が…生まれて…」

 江崎の頭で思いが巡っていた。

 父の事、母の事…。そして祖父の事…

 田神の両親は、その事を息子に告げたのだろうか?

 田神は…知っているのだろうか?


 過ぎ去った過去とはいえ、今も存在する者もいる。


「彼女に子供が生まれたのを知ったのは、お前が産まれて暫くたってからだった。それが、まさか・・・」

「どうすんだよ・・・親父・・・」

「・・・」

 その問いに裕太郎は無言のまま、答えることが出来ないでいた。


―― * ――


 広い応接間だった…。

 この部屋に両親が訪れていた事を田神は知らない。この部屋の今の主も知らなかった事である。

 江崎の家には毎年訪れているが、江崎の勤める会社にくるのは初めてだった。

 しかも大会社の社長室である。会社の社員でもほとんどの者が入った事もないところだろう。

 居心地の悪さを感じてはいたが、訳もわからずに呼び出されたのだから仕方がない。


《社長みずからヘッドハンティングでもあるまい…》

 江崎コーポレートにも田神の勤める会社と同じ業種が存在する。中小企業だが江崎コーポレートのような多目的企業ではないからその業界では肩を並べる事も稀ではない。

 自分の能力を過大に評価するつもりなど無いが、しかし時として自分では何とも思っていない事が魅力だという場合もある。

 そう思ってみるものの、田神には何も思い浮かぶものが無かった。

 江崎の事だろうか?それとも?…


「お待たせしました。」

 秘書らしき女性がドアを開ける。江崎の父がなんだか難しそうな顔をして入ってきた。


「すまんが、呼ぶまで下がっていてくれ」

 秘書にそう言うとドアを閉めさせ、裕太郎は田神の座る対面の応接用の椅子に腰掛けた。

 反射的に立ってしまったのは、サラリーマンの性であろうか?

 裕太郎から『掛けたまえ』と言われるまで、田神は自分が立っていた事にすら気づかなかった。

 なにを緊張しているのだろうかと、苦笑いしてみせる。


「なるほど…奈菜に似ている…」

「えっ?」

 母の名を出されて、田神は驚いていた。


―― * ――


『今から、江崎に会ってくる!』

『おい、田神!』

 公衆電話から会社にかかって来た電話であったために、それほど詳しく話を聞く事が出来なかった。

 江崎の父に対する怒りなのだろうが、電話での田神の声には怒気がこもっていたように思える。

 奈菜の事を聞いたのはこの前の日曜の事だった。

 正直なところ、田神は奈菜にいつ告白したらよいものか悩んでいたようだ。タイミングが非常に難しい。

 彼女にしても気持ちの整理がつかないだろうし、江崎と田神の関係から言っても、前から好きだったというのもなんだか嘘っぽくとられてしまいかねない。

 江崎が彼女と別れて暫く…。田神は彼女と会うことが出来なかった。何故だか彼女が田神を避けているような…そんな感じだった。


 先週の金曜日、告白する事を決意した田神は、奈菜のアパートの前で彼女を待ちぶせた。

 いつもであれば、9時前に彼女は帰っていたのだが、その日は10時を過ぎても帰ってこない。


《避けられている…》

 そう思って何時までも待つつもりで、次の日は休みを取っていた。

 10時半…突然の大雨に、傘を持たない田神はびしょ濡れになった。

 そして11時…

 アパートの前に1台のタクシーが止まる。


「何で?何で帰らないのよ!!」

「・・・お帰り」

「こんな雨なのに…。もう帰ったと思ったのに…。何で…何でまだいるの?」

「・・・」

 タクシーが走り去り、傘を差した奈菜と、アパートの前にびしょ濡れになった田神とが向いあった。


「君に・・・俺の気持ちを伝えたくて・・・」

「・・・」

「それで、待ってた・・・」

 田神の視界から奈菜の目が傘に隠された。奈菜はアパートの方へと歩き出す。


「今が良いのかどうか・・・俺にはわからないけど・・・」

「聞きたくない!」「君が好きだ!!」

 奈菜の言葉と田神の言葉はほとんど同時だった。もしも奈菜の言葉が先だったなら、もしかしたら田神は一生告白できずにいたかもしれない。そして、彼女は姿を消していた事だろう…。

 奈菜は田神を睨みつけた。その目には涙が溜まりはじめていた。


「ずっと…ずっと前から…」

 ブワっと、関を切るように涙が溢れ出す。

 笑いかけた田神に、奈菜は怒りながら、泣きながら抱きついた。


 そして、田神は奈菜の話を聞いた。だから奈菜は、田神の気持ちに答えられないと言った。


「それでも俺の気持ちが変わらないと言ったら?」

「だっ…だって、そんな…無理よ…」

「変わらないよ!俺は変わらない。」

「子供が生まれたら…わかんないよ…やっぱり無理よ…」

「変わらない!絶対に!!」

 二人の会話は平行線を辿った。それがわかっていたからだろう。どちらからとも無く、丸山に声を掛けていたのは…。


「口を挟んでいいかいお二人さん?」

 突然の横槍に二人は同時に丸山を見た。その息の合った行動に丸山は思わず笑いをこぼす。


「さっきから聞いてるとさぁ、お前等、互いに好きだって事は分かってるんだろ?」

 二人の頬が少しだけ赤く染まり、目が泳いでいるのがわかる。まったく何処まで息が合っているのやら…


「一番大事なのはそれじゃないのかな?俺はそう思うけど?」

 一番の障害になっているのは江崎であることは間違いない。

 江崎に振られたからといって、彼女が田神と一緒になるという事は簡単には出来ない事だった。



 自分も江崎の会社に向ったほうがいいかもしれない…

 一瞬、よぎったその思いを丸山は頭を振って否定した。

 田神が江崎に殴りかかったのは、大学時代のあれっきりだ。社会人ともなった今、あんな事が繰り返されるほずもない…。

 それに…。もしそうなったとしても、自分がいたところで何をどうできるわけでもないだろう…

 思い直して、丸山は仕事に戻った。


「帰りに、田神ん家に寄っていくか…」

 田神は、親戚の経営する玩具工場に勤めていた。会社は田神の家の斜め向いに立っている。

 大抵の場合丸山が帰りに寄れば、田神は家に居た。きっと、今日もいるだろう…

 もっとも、一人ではない可能性は高いが…


 その日の晩、丸山は田神と会って、彼女と一緒に暮らすとだけ聞いた。


『そうか・・・』

 他に言葉の掛けようも無く、丸山は短く言って酒を煽った。

 江崎と会って話しをしたものだと丸山は思っていたのだが…


―― * ――


 広い応接間だった…。

 アポ無しでは通されるはずのない大会社の社長室に二人は通された。

 裕太郎に会わなければ…。会って伝えなければ…

 ただその思いだけでここまで来たのだが、どうにも居心地が悪い。


 田神は苦渋の表情で話した裕太郎の言葉を思い出していた。この事実を伝えたとしても、奴が結婚を止める事はできないだろう。

 裕太郎は社長補佐として父親についてまわる日が続いている。次期社長となる為の勉強である事は言うまでも無い。

 江崎コーポレートと風間コンツェルンの合併は秒読み段階にはいっている。

 挙式は半年先の事とは言っても、合併する事が決定した時点で、彼らの婚儀は終了していたに等しい。

 いまさらキャンセルすることなど出来るはずは無いのだ。

 自分が責任を持つ。その事を伝えたかった。

 黙っている事も考えたが、逆に彼を傷つける事になると思った。

 ずっと知らぬまま過ごせるのであればいい。しかし田神はこれからも江崎と交友を続けていきたいと思っていた。

 だからこそ、伝えなければならないと思ったのである。

 しかし…


 現れたのは、江崎の父とボディーガードだけだった。


「ほう…、もう別の男を垂らし込んだか…」

「なっ…なんだと!!」

「まぁ、落ち着きなさい。君に話をしているわけではない。」

 江崎の父は田神を無視して奈菜にその視線を向けた。


「息子が風間のお嬢さんと結婚する事になったのは知っているね?それで君には手切れ金をと思っていたのだが…」

「・・・」

「行こう、こんな奴等の話を聞いたところで仕方がない!」

 奈菜の手を取り、田神は退室しようとした。


「せっかちだね君は…」

 田神は江崎の父を睨みつけた。しかし、彼は一向に怯むことなく言葉を続けた。


「いいかね…。君等がこれから生涯に稼ぐであろう金額と同等の額を支払おうと言っているのだよ?」

 奈菜の手がギュッと、田神の手を握る。彼女を見ると下唇を噛んで苦渋に耐えているのがわかった。


 ブチッ!! っと、田神の中で何かがキレた。


「…誰も彼もが金の力で思い通りになると思うな、ジジイ!!」

「き…きさま、なんて事を!!」

 ボディガードの言葉に田神は耳をかさなかった。


「金輪際彼女に付きまとうな!貴様の息子にもそう伝えろ!!」

「・・・」

「行こう!」



「…あいつが来ると思ってたのに…」

「・・・」

「…あいつは結婚させられるんだよ…。あのくそ親父に…。あいつが…君の事が一番大切に想ってる事は俺と変わらない筈だから…。それだけは間違いないから…」

「…田神…ありがと…。」

「…いや…」


「いいんだよ?ムリしなくても。私一人でも育てて…」

「バカな事言うなよ!俺の気持ちは変わらないよ…。あんなに話し合ったじゃないか、俺達の子だって…」

「田神…」


―― * ――


 話を聞き終えた時、田神は床を見つめていた。目頭が熱い…。


「知らなかったでは済まされんのは十分承知している…。しかし、済まなかった…」

 裕太郎は応接用のテーブルに額を押し付けるようにして誤った。


「江崎さん。お手を上げてください。」

 『江崎さん』という言葉にビクッとして裕太郎が顔を上げる。


「…ありがとうございます。話してくれて…。でも…」

 田神は顔を上げた。これ以上うつむいていたらきっと泣いてしまうかも知れない。


「僕は…『田神秀雄』です。田神和秀の息子です。」

 田神は裕太郎を直視してそう云った。その瞳は微笑んですらいた。


「そうか…」

「父も母もあなたを恨んでいませんよ。それに・・・、私達は幸せでしたよ。」

 そう言って田神は裕太郎に向かって微笑んだ。父の事を本当に誇りに思う。

 そして祖父の事も…。


《そういうことだったか…。》


『心を鍛えろ、どんな事があっても挫けない心を養え』

 武道に精通していた祖父は、やたらと自分の事を気にかけ、いろいろと教えてくれた。

 中でも一番印象に残っている言葉がそれだった。


―― * ――


 大学時代、仲間でよく訪れた場所に田神は美智子と二人で来ていた。

 駐車場と呼べるものも無く、途中まではきちんとした道があるのだが、その道は近くの海岸へと続いている。

 獣道とも呼べる道も無く、ここに至る入り口は、仲間だけが知るある一本の木が目印だった。この場所は仲間うちしか知らない秘密の場所なのだ。

 発見したのは上森と沙希だ。学生時代に海に来たとき彼らは仲間から離れ、二人だけになれる場所を探した。

 そして丁度夕日が沈もうとする頃に此処を見つけたのだ。二人ともあまりの綺麗さに、ただ黙って夕日が沈むのを眺めていたという…。


 当初二人だけの秘密にしておこうという事だったらしいが、結局二人とも黙っている事が出来なかった。

 とりあえず仲間に話したことで満足したのか、今のところこの場所は仲間うちだけの秘密の場所ということで落ち着いている。

 それほど高くはないが、そこは崖になっていた。といっても波しぶきが押し寄せてくる事はほとんど無い。天気のいい日はまさに最高の場所だった。

 何か嬉しい事や悲しい事があると、この場所に来る…。そういう話が仲間うちで聞かれた。

 事実、二人もそれぞれこの場所を訪れた事がある。

 二人で夕日を見つめているところに、背後から人の気配が近づいてきた。

 美智子が振り返る。


「…あ…兄貴…」

「バカかお前は!止めろよ、気持ち悪りぃ」

 田神は江崎に背を向けたまま、首を掻きながら云った。

 崖の下で波がしぶきを上げる音が聞こえる。


「ご…ごめん…」

「でも、まぁ、俺が女じゃなくて良かったよな…。そんでもってお前と恋に落ちた…なんて云ったら、B級映画にもなんねぇもんなぁ…」

「・・・」


「云っとくがな…」

 そういって田神は振り返り江崎を睨んだ。江崎のそのすまなそうな表情に向けられた田神の目には、一層怒りが込められたようだった。


「血の繋がりがあるかどうか知らんが、俺はお前の事を兄弟だなんて思ってねぇからな!」

「あ…あぁ…そ…そりゃ…そう…だよな…」

 江崎がうつむきながら答える。

 はぁ… っと溜息をついて再び田神は背を向けた。


 どのくらいだろうか…。そのまま二人は黙って海を見つめていた。


「お前のオヤジさんにも云ったよ…」

「えっ?」


「俺は…田神秀雄、だってな…」

「あ…う…うん…」

 田神はまた溜息をつく。


「あのなぁ…」

 まだ沈んだ声を出す江崎に対し、田神は食いしばった歯の隙間から言葉を搾り出した。


「なんでお前が卑屈になってんだよ!バッカじゃねぇのか?」

「・・・」

「なぁ?俺等は親友じゃなかったのかよ!」

 向き直り、声を張り上げた後で口を尖らせている田神を見て、その時初めて彼が怒っていた理由を、美智子は理解した。

 彼は江崎が気にしている事、それ自体が気に入らなかったのだ。


「じゃぁ、許して…」

「許すも許さねぇもないだろう?それとも何か?これはお前が画策した事なのか?」

 生まれてもいないのにそんな事が出来るはずも無い。十分承知した上で田神は言った。

 ぶるぶると、江崎は首を横に振る。『じゃぁいいじゃねぇかよ』という言葉を聞きながら…。


「いた、いた!」

 丸山達の声が聞こえる…

 みんなが集まった。話を聞いて奇声を上げる者、田神や、江崎の肩を抱く者がいた。

 吉村が耳元で、『なんだよ、俺等も兄弟か?』と言ったのにはさすがに田神も驚いて、そんな訳ねぇだろ!と吉村の頭を小突いた。

 みんなの笑い声が、夕日に溶け込んでいた。


 その年の忘年会、仲間達はそれぞれの将来について語り明かした。

 次の年の忘年会、女性陣は皆、苗字が変わっていた。


 そして・・・


 忘年会は、今も続いている。

 どんなに忙しくとも、どんなに離れていようとも、年に一度は必ず全員が集まった。



 物語は終わらない・・・



 物語は今も続いている・・・


 彼等の・・・そして彼等の子供達の・・・


 物語は続いていく・・・。



 いつまでも・・・



 いつまでも・・・





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