第42話 シンと海神様の言い争い
マリーとシンは海神様がいるであろう大波に向かって、走りながら叫んだ。
「海神様、私の名はマリー・アーネットです。ほんの少し前、人間の国からこの街にやって来たものです。人間の女性は珍しいかもしれませんが、あなた様の奥様とは別人なのです」
「海神様、どうか冷静になって、話を聞いてくれ! 勘違いなんだ」
マリーとシンは必死になって海神様に訴えた。
しかし、押し寄せてくる大津波。その波の上から海神様が顔を出した。
『お前が、我妻マリーでないならば、我妻はどこにいるというのだ!』
「そ、それは……」
もう亡くなっていると、言っていいのか悩み、マリーは言い淀んだ。海神様の行動は、愛する妻が亡くなっていることが受け入れられずに起こっている。それをストレートに言っても、素直に受け入れられないだろう。では、どう説得すればわかってもらえるだろうか、マリーは言葉に詰まった。
『言えないということは、やはりお前たちは嘘を付いているのだな。さあ、もう弁解の余地もない』
「もう、亡くなっている。あなたの奥様はとっくに亡くなっているんだ!」
何も言えずにいるマリーに変わって、シンははっきりと言った。海神様と女性の伝説は百年以上昔の話である。ただの人間である女性はとっくの昔にその寿命を全うしている。シンは、はっきりとそう言った。
シンの話を黙って聞いていた海神様は、話を聞き終えた後、口を開いた。
『……そうか』
「分かってくれましたか」
海神様の言葉に、マリーもシンもホッとした。これで、海神様もこの津波を収めてくれるはずだ。
しかし、そんな願いは次の一言で吹き飛んだ。
『やはり、お前たちは嘘つきだ。そのような者たちに、生きる資格はない。この波で全てを蹂躙してやろう』
海神様がそう言うと、波はますます高く、大きく、禍々しい物となった。
街どころではない、波が来ればどんな高台に居ても無駄である。
『まずは、手始めにお前たちを飲み込んでやる』
その波は、ほんのちっぽけな人間の女性と獣人の男性を飲み込もうと迫ってきた。
マリーはあきらめた。元々、この地に捨てられて来た時点で、命は無いものと覚悟をしていた。それが今日まで、楽しい日々が過ごせた。それだけで十分だった。
心残りなのは、愛するシンを巻き添えにしてしまったことだけだった。
ほんの少しでもいい。シンには長く生きていて欲しい。
そんな思いでマリーはシンに口づけをした。
それは、先ほどシンがマリーに空気を送り込んでくれたように、あの波に飲まれた後、ほんの少しでもシンの呼吸が持つようにするためだった。
(ごめん、シン。愛してる)
「こ~の~~~~~~~馬鹿亭主!!!!!!!!」
ゴーーーーーーーーン!!!
ものすごい音とともに、街中に聞こえるほどの大声が響き渡った。
その声に驚いたマリーは音の方を見た。
波の上から頭を出している海神様。
その頭にまーるく大きなたんこぶが出来ており、海神様の角をつかんで立ている女性がいた。
『マ、マリー。まさにこの鉄拳はマリーだ。え!? そうすると、そこにいるマリーは誰だ?』
「誰だ! じゃないでしょう。私が留守の間に勝手に出歩いて、駄目じゃないの、ワタさん。さっさとこの波押えて。あっ、その前にそこの子たちを保護してあげて」
『そんな急に、あれこれ言われても、困るんだが』
「いいから、私の言うことを聞いて!」
『はい……』
こうして、マリーとシンは龍神の頭の上に乗せられると、海は先ほど前の状況が嘘のように平穏に戻った。
万事うまくいった。と言うことはわかったのだが、何がどうなったのかマリーにもシンにもさっぱりわからなかった。
マリーは思い切って、海神様にげんこつを喰らわせた女性に話しかける。
「あの~、あなたはどなたですか?」
「私はマリアよ。ワタさん……あなたたちが海神様って呼んでいるワタツミさんの妻よ」
「え、でもマリア様は百年以上も前の人では? 今、おいくつなんですか?」
「あー、そうね。昔は私も人間だったけど、何十年も神様と一緒に暮らしていれば、人間じゃいられなくなったのよ。なんでそうなったのかはよくわからないけどね」
そう言って、いたずらっ子のように微笑んだ笑顔は、若い女性のように美しかった。
海神様の神気に当てられて、不老不死になったのだろうか? それとも、ただの愛の力なのか、マリーには分からなかった。
しかし、そんなことは些細なことだった。
「なんで、マリア様は海神様の元を去ったのですか? おかげで、街が海に沈むところでした」
海神様の行動の根本は、マリアが海神様の元を去ったため、彼女を探しに街にやって来たのだ。
『そうだぞ、我に何の断りもなく』
「何を言ってるのよ、ワタさん。ワタさんの目の薬を探しに、しばらく家を空けるって言ったじゃない。また、ご飯食べながら、うわの空で聞いていたでしょう」
『え、そんなこと言っていたか?』
「ええ、言いました。最近、目がかすんでよく見えないからって、見てあげたら、瞳が曇ってたでしょう。だからその曇りを取る海藻を探して来てあげるって言ったじゃない」
『あ、そういえば、そんなことを言ってような……道理で最近マリーの顔をあまりよく見えないなと思っていたんだ』
「やっと思い出した? はい、これがその海藻だから、大きく目を開いておいてね」
そう言うと、マリアはその身体ほどある海神様の瞳に海藻をこすりつけた。
海神様は目を何度か瞬きすると、驚きの声を上げた。
『おー、良く見える。あれ? マリーだと思ってた、そなた。全然似てないな。マリーの方が十倍美人だ』
「おっと、それは海神様で聞き捨てならないな。確かにマリア様は美人だ。しかし、ウチのマリーはそれ以上に美人で、優しくて、気遣いが出来て、できる女で、良い匂いがする、超美人だ」
こともあろうにシンは海神様に意見したのだった。
『何を、我のマリーの方が、強くてしっかり者だ、それにそなたのマリーよりも百倍美人だ』
「いーや、こっちの方が千倍綺麗だ」
そうして、シンと海神様の子供のような言い争いは延々と続いて行った。




