第41話 神の怒り
『我は妻とともに帰る……ああ、そこに居たか。さあ、帰ろう』
海神様はその巨大な身体を滑らせるように水面を駆けると、一人の女性を捕まえた。
誰もがうらやむ歌声と七色に輝く翼の持ち主、ローラだった。
その美しすぎる歌声ゆえ、海神様の心に届いてしまったのだろうか。
しかし、空の民であるローラは、海神様がいる海の中では生きていけないはずだ。
マリーは思わず叫んだ。
「海神様! ローラを連れて行かないで~~~~~!!!」
『おお、我妻の声だ』
「え!?」
マリーの声を聞いた海神様はローラをぽいっと投げ出すと、マリーを捕まえた。
驚きのあまり、声ひとつあげられないでいるマリーを連れて、海神様は一気に海の中に潜った。
(息が……)
マリーは息を止めた。しかし、長くはもたないだろう。
(ここで死ぬの? でもこの地に捨てられた時点で、死んだようなもの。ローラを助けられた。前世でもなかった初恋もした。可愛い獣人たちの子供達の保育園もできた。思い残すことは……)
マリーはこれまでのことを思い出していた。これが走馬灯という物かもしれないと思いながら。そして、目を見開いた。
(思い残すことは山ほどある。故郷から船に乗せられた時とは違う! 実らないとはいえ、シンの側に居たい。子供たちをほったらかしにするわけにはいかない)
マリーは肺に残った空気をすべて吐き出す覚悟で、海神様に話しかけた。
「海神様」
マリーはまるで地上に居るのと同じように話せることに驚いた。息もできる。そのことに安心したマリーは再度、海神様に話しかけた。
「海神様、お待ちください」
『なんだ、いつものようにワタさんと呼ばないのか? マリー』
「ワタさん!? それになんで私の名前を」
『何を言っておる。我々は夫婦ではないか。さあ、家に戻るぞ』
「ちょっと待ってください」
マリーは深海に行こうとする海神様を止めようとする。なぜか、死ぬ危険性はないにしても、地上に戻れるか怖い。
地上に戻れないということは、もう二度とシンに会えないということだ。
「私は海神様の奥様ではありません」
「何を言っているんだマリー、そなたが我妻でなければ誰だというのだ」
マリーの言葉が届いたようで、海神様は潜るのを止めた。
これで、これ以上深海に行くことはないだろう。
おそらく、海神様は奥様を亡くしてから、ずっと奥様を探していたのだろう。本当に奥様を愛していたのだと思う。愛する人を失うということが、どれだけ悲しいことだろうか。亡くなったことを認められずに、恋人の面影を探してしまうのも仕方がない。
しかし、人間の女性など、この大陸では珍しい。
マリーを海神様の奥様と間違っても、仕方がない。
しかし、このまま勘違いされるのは、マリー自身にも海神様にも良い事は無い。
マリーは思い切って、海神様に本当のことを打ち分けようと口を開いた。
「私は……」
「マリーは俺の恋人だ!!」
マリーが見上げると、シンが必死な形相で潜ってきた。
その隣にはカイエンが一緒にいた。
「シン!」
「何者だ? まさか、海神である我妻を奪いに来たのか」
海神様はその長い尻尾を振ると、大きな渦が発生する。それは、シンとカイエンを飲み込んで、海面に押しやり、マリーと離そうとしていた。
マリーはシンに向かって手を伸ばし、海神様が逃れようともがいた。思いのほか海神様は優しくマリーをつかんでいたため、マリーは海神様の手から逃れられた。
すると、マリーの身体はシンたちと同じように渦に飲み込まれてしまった。海神様の庇護のない状態で。
マリーが自分の手から離れてしまったことに気が付いた海神様は、思わず叫んだ。
『しまった!』
渦に翻弄されながら、シンに向かってなんとか泳ごうとするマリー、それに気が付いてシンもマリーの手を取ろうともがき、手を伸ばす。
徐々に近づく二人の手。
あともう少しというところで、マリーの息が持たなかった。
肺に残った空気を吐き出しながらつぶやいた。
「シン、愛してる」
「あきらめるな、マリー」
シンは死力を振り絞りマリーの手をつかむと、力強く引き寄せた。そして、すでに息を吐き出したマリーのために、シンは空気を送り来んだ。口から口へと。
「シン……」
「しっかりしろ、このまま地上に戻るぞ」
『そうはさせるか、泥棒犬め。マリー、お前もだ。長年連れ添った我を裏切って、若い男の元に行くなど、許さん!』
マリーは水中から、憤怒の表情を浮かべた海神様の顔を見て、怯えて震えあがった。
神の怒り。それは太古の昔から、大災害を指し示すと決まっている。つまり、海神様の怒りは超巨大津波である。
海は一度大きく引き、マリーたちがいたところは一瞬にして水が無くなり、マリーとシンは砂浜に降り立った。
沖を見ると、遠くに巨大な波が見えた。
あんな波がそのまま、街にやってくれば、街は海に沈んでしまう。
「逃げるぞ、マリー」
そう言って、シンはマリーの手を引っ張った。少しでも高台へ。それがあの巨大津波対してどれだけの効果があるのか分からない。しかし、このままここにいては波に飲み込まれてしまうのは目に見えている。
しかし、マリーは動こうとしなかった。
「ダメよ。私たちが逃げたとして、街のみんなはどうするの。街には私の大事な園児たちがいる。大好きな人たちがいる」
「じゃあ、どうするんだ」
「私が、海神様の誤解を解く!」
「どうやって!?」
「そんなの分からないわ。でも、どうにかするから、シンはみんなと避難して!」
マリーはこちらにゆっくりと近づいてくる大波を見ながら、シンに言った。
「……わかった」
「……ありがとう、シン。愛してるわ」
「俺がわかったって言ったのは、マリーの覚悟だ。マリーがその気なら、俺も一緒に海神様に立ち向かう!」
そう言って、シンはマリーの手をしっかりと握った。
「ダメよ。シンはお父様と一緒に、街を守る義務があるのよ」
「わるいな、マリー。そんな役目はとっくの昔から姉貴に任せてある。俺は、愛する人を守れさえすればいい。その気高い心も含めて」
「シン……」
「じゃあ、行くぞ。マリー」




