第35話 三大歌姫
その日は絶好のお祭り日和だった。
雲一つない青空。風は微風でぽかぽか陽気。
レトリー家の屋敷でも、日の出前から慌ただしい空気に包まれていた。その空気がひと段落したのは、家長であるトニーの乗った馬車が出発してからだった。
そして、太陽が水平線から完全に姿を現したころ、クロエがマリーの部屋にやってきた。
「おはようございます、マリー様」
「おはよう、クロエ。今日は早いわね」
昨日はゆっくりとしたマリーは、大きく伸びをしながら答えた。
クロエがカーテンを開け、朝日を部屋に呼び込みながら窓を開けると、朝からお祭りを待ちきれない子供たちの声が、街から聞こえてきた。
「本日は海神祭です。私たち使用人のほとんどが、お昼前よりお休みを取らせていただきますので、みんな朝から大忙しです。お風呂が沸いていますので、入られてはいかがですか?」
「お風呂? そうね。入ってこようかしら」
マリーはそう言うと、すでに用意された着替えとタオルを持って、お風呂へと向かった。
朝からお風呂など、ここに来てから初めてだった。
おそらくトニーが出かける前に入ったのだろう。そうであれば、その残り湯をもらうのであれば気が楽である。
すでに勝手知ったるレトリー家のお風呂。
体を洗い、湯船に浸かった。
昨日はゆっくりと休み、眠り、眠りすぎて、ぼーっとしていた頭のまま温かな湯に包まれる。
「おー、今日は特別だな。こういう時は親父に感謝だな」
そう言いながら、入ってきたのはシンだった。若さにゆえに引き締まった、筋肉質な身体を何一つ隠すことなく、広い浴室に入ってきた。
「きゃー! なんで、入ってくるのよ!!」
「え! マリー!? ごめん! クロエが今ならだれも入っていないって……」
そう言って、シンは慌ててマリーに背を向けて出て行った。
クロエのイタズラで間違いないだろう。しかし、マリーは一発で目が覚めた。
そして、シンの身体を思い浮かべて、ぽーっとしてしまった。
~*~*~
そこは、普段港として使われている海岸に、桟橋が設置されている。その海側には大きな踊り場が作られていた。
海には踊り場を囲むように船が多く出ており、人々がお祭りが始まるのを待っていた。
正装に身を包んだトニーが踊り場に現れた。
「本日は天気も良く、海神様も我々三民の平穏な日々を喜んでくれていると思う。また一年、海と民の平和を海神様に祈ろう」
そう言うと、トニーは両手を胸の所で組み、片膝を付いて瞳を閉じた頭を下げた。
それに呼応するように、みんな頭を下げた。すると、どこからか銅鑼の音が、大きく、長く三つ鳴った。
これが海神祭の始まりの合図となった。
トニーが下がった後、背の高い男性が現れた。
青い長い髪を後ろで三つ編みにし、肩幅の広い筋肉質な身体にぴっちりとした服を張り付けている。生命に満ち溢れているようだった。
レトリー家で用意された船の上で、マリーはシンに尋ねた。
「誰?」
「ああ、カイエン兄さんだな」
「兄さん? シンってレベッカさん以外にも兄弟がいたの?」
「ああ、兄さんって言っても、本当の兄さんじゃなくて、小さい頃からの呼び名みたいなものだよ」
そう言って、シンは船の上からカイエンに向かって手を振った。すると、カイエンがこちらに向かってほほ笑んだように見えた。
そんなカイエンが口を開いた。
「今日は年に一度の海神祭だ。三つの民の友好を祝して、三大ディーバの歌を海神様へ送ろう」
その言葉を合図に三人の歌姫が現れた。
三人の内、赤い衣装に身を包んだローラがいた。
彩られたローラは、マリーが見惚れてしまうほど美しかった。
三人の美しい歌声はのびやかに、気高く、神々しく響き渡る。
その声にますますマリーの心は、ローラに奪われてしまう。
そんなマリーの頬を両手で包み、シンは強引に自分の方にマリーの顔を向けた。
「マリー、見すぎ」
シンは頬を膨らませていた。
そんなシンを見て、マリーはふっと笑った。
「どうしたの? シン」
「いや~、マリーがあんな表情で他の人を見てたから、つい」
「何よ、あんな表情って」
マリーが不思議そうな顔をしていると、上から叫び声が聞こえてきた。
「なに、あたしの目の前でイチャイチャしてるのよ~」
海神様への捧げる歌を歌い終えたローラが、シンを見つめて飛んできた。
ローラの飛行にも慣れてきたマリーだったが、まさかこんな場所で飛んでくるとは思わなかった。
しかし、シンは慣れたようにローラを受け止めた。
「おいおい、良いのか? あとで親父とカイエン兄さんから怒られるぞ」
「その時は、シンも一緒に怒られてよ」
「いいえ、怒られるはローラ、あなた一人よ」
船から船へ、しなやかに飛び移ってきた女性がローラの首根っこを捕まえて言った。
ローラが所属している劇団の団長であるパーサである。
三大歌姫に選ばれたローラを上手く使い、劇団の宣伝をしようと待ち構えていた。その看板娘が歌い終えたあと、踊り場から飛ぶとは思ってもいなかったようで、あせって船に飛び乗ってきた。
「何、馬鹿なことをしてるのよ! ほら、皆に謝りに行くわよ」
「え! 嫌よ。あたしの仕事は終わったはずよ。これから、シンとお祭りに行くんだから」
「そんなことできないわよ。これから、私と一緒にお偉いさんにあいさつ回りよ!」
普段きりっとしているパーサは、眉間にしわを寄せて、ローラに噛みつかんばかリに言った。
そうして、ローラは可哀想に連れていかれてしまったのだった。




