第32話 マリーの休養
入り口のドアには心配顔のクロエが立っていた。クロエが持っているトレイの上には水差しがあった。
「お体は大丈夫ですか? マリー様が急に倒れたとシン様が大慌てでお戻りになり、医者を呼んだのです。医者はただの疲労だと言っていましたが、マリー様は人族ですので……」
「そうなの……ありがとう。心配をかけてみたいだけど、今は何ともないわ。それよりも、なんでシンが私のベッドに?」
「それは、マリー様がシン様をベッドに引きずり込んだのですよ。もふもふ~って言いながら」
「うそ!」
マリーはクロエの悪だくみではないかと、クロエの表情を読み取ろうとしたが、どうやら本当のことを言ってるようだった。
そしてマリーは先ほどの夢を思い返していた。
おそらく真理としての最後の記憶だろう。あのまま、眠りに落ち、そしてそのまま……
マリーは伯爵令嬢時代にも困った人を見れば、手伝っていた。あのルイス王子が、自分の仕事もせず舞踏会などばかりに力を入れて、おつきの人間たちが困っているのを見て、マリーが王子の代わりに働いていたのだった。その功績は王子の物として。
そんなマリーに水を渡しながら、クロエはシンの寝顔を見ながらいった。
「それで、シン様は栄養になりましたか? 心の」
「心のって」
「どうですか?」
マリーは暖かでもふもふの尻尾の感覚を思い出していた。
まるで極上の抱き枕のような感触。何よりシンの香りが心地よかった。
「おかげさまで、身体が楽になりました」
「ところで、お腹は空きませんか?」
「そう言えば……」
「では、お昼ご飯をお持ちしますね」
そう言ってクロエは部屋を出ようとした。
「ちょっと待って! 今、何時?」
「お昼過ぎですね。カーテンを開けましょうか?」
「え! もうお昼すぎ!?」
マリーは慌ててカーテンを開けると、青い空には日が高々と上っていた。
てっきり夜明け前だと思っていたマリーは慌てた。
「保育園が遅刻だ!!!!!」
「え! なんだ?」
マリーの叫び声にシンが飛び起きた。
「シン! 遅刻よ、遅刻!」
「まあ、マリー落ち着け」
「落ち着けないわよ。園児たちが待ってるのよ!」
「大丈夫だから」
「落ち着いてなんて、いられないわよ。トレーシーひとりじゃ、対応できないわよ!」
「だから落ち着けって」
そう言って、シンはマリーの手を取ってマリーを落ち着かせようとする。
しかし、マリーはアワアワするだけだった。
せっかくトニーにも認められ、園児の数も増えてきた。それが三人のうち二人が遅刻するなんて前代未聞である。
お昼すぎとはいえ、今からでも保育園に行かなければいけない。
そんな慌てるマリーに比べて、シンは大きくあくびをした後、言った。
「今日は休みだぞ」
「へぇ!?」
マリーは冷静になって、今日が何曜日か思い出して、ほっとした。
たまたま、倒れたのが休みの前日だった。いや、おそらく無意識に翌日が休みだと思い、気が緩んだせいで倒れたのだろう。
大丈夫だと分かったマリーは一気に気が抜けた。
膝から崩れそうになったマリーをシンがやさしく抱きしめると、お姫様抱っこをしてベッドまで運ぶとにっこり笑った。
「と言うわけで、今日は一日ゆっくり休むこと。クロエ、ご飯をお願い」
「はい、シン様。すぐにお持ちしますね」
「私も行くわ、あっ」
クロエはそう言うと、部屋から出て行こうとした。
その背中を追って、マリーはベッドから降りようとしてよろける。
それをシンが素早く支えた。
「今日、マリーはベッドでのんびりごろごろだ。ちなみに、これは決定で拒否不可だ」
シンは満面の笑みを浮かべて、マリーをベッドに寝かせた。
マリーが無理に起き上がろうとしても、笑顔のシンに押さえつけられて、ベッドから出られないでいた。
「もう、シン。ふざけないでよ」
「マリー……俺はふざけてなんていないぞ。マリーは自分が思っている以上に疲労が溜まっているんだよ。だから、今日はのんびりするぞ」
「のんびり、ね」
あのルイス王子の断罪事件から今日まで、休みなく走ってきた気がする。
たまには何もせず、のんびりするのも悪くない。
「わかったわ。今日は完全休養日にするわ。どちらにしろもう、昼過ぎなら大したこともできないわよね」
「よし、それならば、まず腹ごしらえだな」
「お待たせしました」
マリーが腹を決めた時、腹を満たす食事をクロエが運んできた。
温かなコンソメスープに白身魚のクリームソース掛け、軟らかく煮た野菜。焼きたてで柔らかなパンにははちみつが添えられている。
弱った体に染み入るメニュー。
その料理が並んだカートをシンが受け取ると、マリーが横たわるベッドのそばまで運んだ。
「スープからでいいか?」
「ええ」
マリーがそう言うと、シンはスープをひと掬いしてマリーの唇に運んだ。
「はい、あーん」
「何してるの?」
「何って、人間の世界にはあーんってしないのか?」
「しなくはないけど。スプーンを渡して、自分で食べるわよ」
「だめだ、今日はマリーを甘やかすって言っただろう。ほら、冷めるだろう」
「休むって言っただけよ。甘やかすって何よ」
そう言ってマリーは口を明けようとしなかった。
そんなマリーにクロエは悲しそうに言った。
「ああ、せっかくの料理が……早く食べていただきたいのに」
「ほら、口を開けて」
クロエとシンの二方向からの攻撃にマリーはあきらめた。
「あー、もう! 分かったわよ。はい、あーん」




