第25話 新しい保育士
「はーい、みなさん。おはようございます。新しい先生を紹介しますね。トレーシー・アンゴーラ先生です」
「おはようございます。みんな、仲良くしましょうね」
保育園の朝の会で、元モレナのベビーシッターのトレーシーは保育士として紹介された。
モレナにはレベッカを通して、トレーシーが保育士として働くことを話してもらい、マリーやシンと同様に保育園の中では先生として接するように話していた。
「はぁ~やっぱり、モレナ様は可愛いわ」
「トレーシーさん、ここではモレナちゃんも、他の園児と同じに接してくださいね。一人の園児を特別扱いすると、大変なことになりますよ」
「ふん、アノことを警察に言うなら、どうぞご勝手に」
「そうじゃないんです。子供って、かなり敏感に大人の行動を見てるんです。ですから、一人だけ特別扱いすると、いじめの対象になっちゃいますよ」
「いじめって?」
「誰からも一緒に遊んでもらえなかったり、無視されたり、暴力を振るわれることです」
「まあ、そんなんことをモレナ様にする子がいれば、ワタシが退治してみせます」
「そういうことじゃないんです。あなたがモレナちゃんをかわいがるように、全ての園児を可愛がってあげることが、保育士としての仕事なんです。そして、あなたがそうすることが、自分でお友達を作ることを覚えてきたモレナちゃんのためでもあるんですよ」
マリーの言葉に、トレーシーは少し考えこんだ。
元々、有能なベビーシッターであったトレーシーである。子供好きなのだろう。ただ、そのやり方、向け方をわかっていないだけだろう。
それをトレーシーがこれから、ちゃんと学んでいってほしい。そう、マリーは考えていた。
「わかりました。ワタシも頑張ります」
「じゃあ、お願いね。しばらくは、私とシンの指示に従ってね」
そうして、トレーシーと言う仲間を得て、保育園の運営は順調に進んでいた。
しばらくすると、トレーシーも仕事に慣れて、逆にシンを指導するほどになった。普通であれば、貴族で先輩で、この保育園がある家の持ち主であるシンがあとから来たトレーシーにそんなことをされれば、不満の一つも出るだろう。
それを心配したマリーは、屋敷に帰った後、シンに聞いてみた。
「ねえ、シン。トレーシーからあれこれ言われるのって嫌じゃない?」
「え? 何が?」
「だって、彼女、後から入ったじゃない。それなのに保育のことで、あれやこれやと指図されるのは嫌じゃないかなって」
「ああ、そのこと? 全然平気。だって、元々、俺は姪っ子ひとり面倒みられなかったんだぜ。子供たちのためにいろいろ学ばなきゃいけないがあって、そんなことを考えてる暇なんてないぜ」
「そう、それなら良かった」
マリーは、そういうシンの、一見、おおざっぱに見えて、ちゃんと大事なことはなにか見極める姿を好ましいと感じた。あの人間界の貴族の世界ではほんの少しの虚勢や見栄のために、どれだけ無駄な労力を払ってきたのだろうか。どれだけ正しい意見でも身分の低い者の意見など、一蹴してしまう。だからこそ、あの時、伯爵令嬢であった自分が第一王子に何を言っても無駄だと悟ってしまったのだ。
「そう言えば、私、シンに謝らなければいけない事があったの」
「何にを謝る事があるんだ? さては、俺に黙って夜な夜なクロエとお菓子を食べてるとかか?」
「そうじゃないわ。今回の件、トレーシーが犯人と分かった時、その原因がシンじゃないかって、私、疑ったのよ。実際には私が原因なのに……だから、ごめんなさい」
「何だそんなことか。でもモレナを保育園に入れるのを提案したのは俺だ。そう言う意味から、俺に原因があったのも事実だから、いいじゃないか」
「ありがとう、シン」
「そんな事より、あんな無茶はもうしてくれるなよ。心臓が止まるかと思ったぞ」
「分かったわ。もう、無茶はしないわ」
マリーは疑ってしまった自分の身を案じてくれるシンの優しさが嬉しく、思わず笑みがこぼれた。
シンはそんなマリーに対して話題を変えた。
「それより、こんなことなら、もっとまじめに勉強してればよかったな」
「どういうこと?」
「いや~音楽や国語なんて、将来なんの役に立つのかって思ってたけど、こんなところで役に立つなんてな」
「ふふふ、そうね。習っているときはなんの役に立つか分からないけど、大人になれば役に立つことなんて、山ほどあるわよ。でも、子供の時の勉強が将来役に立たないと思い込んでいる人は、おそらく死ぬまでそう思うのよ。今まで生きてきて学んだことが、自分の役に立つと思っている人は、小さなことでもその知識が将来の自分を助けてくれるから」
「そうだよね~」
「でも、それはただ書物に書かれていることだけでなく、シン、あなたのように多くの人と接して、そこで学んだことも入っているのよ」
「俺が、これまでやってきたこと?」
「そうよ、勉強と同じように人脈だって大事な資産よ。だから、反省するのは良いことだけど、決して後悔するべきものじゃないと思うの。だから、シン。あなたは自信をもっていいわよ。ちゃんとした大人だって」
そう言ってマリーは慈しみの笑顔をシンに向ける。
マリーは、着実にシンが自ら成長しようとしているのを見て嬉しくなった。
そして、それに応えるように、シンも元気な声で答える。
「そ、そうか? マリーがそういうなら、そうかもな。よし、また明日からかんばるぞ」
こうして、やる気を上げたシンは、自分が分からないことを積極的にマリーやトレーシーにも聞くようになった。人の名前や顔なんかをすぐ覚えるシンは元々記憶力が高い。その上、決して理解力が低いわけではなかった。そのため、大勢の園児を抱える保育園は、何とか三人で運営できるようになっていた。
そんなある日、保育園は思わぬ来訪者を迎えることになった。




