第12話 シンとのデート
マリーは一人の朝食を終えると、クロエから『楽しんできてください』と言う謎の言葉をもらって、玄関の門へと向かった。
簡素で動きやすい真っ黒な服を身に着けていたマリーは、なぜか、クロエ率いるメイドたちに有無を言わさず、中東風のきらびやかな薄ピンクの衣装に着替えさせられ、その結い上げられた金髪にベールをつけられた。
ただ、街を見て回るだけでこのような格好をしなければならないというのは、レトリー家の面目を汚さないためだろう。お世話になっている手前、マリーは黙って従うしかなかった。
マリーは玄関まで、歩いていくと、馬車を背にしてシンが待っていた。
「シン、お待たせ」
「おー、マリー、良く似合うじゃないか。まるで、女神アルテミスみたいだ」
「ありがとう、シン。あなたもよく似合っているわよ」
シンもいつものラフな格好ではなく、白ベースに白と黒の豪華な刺繍を施され、まるで王子のような雰囲気だった。
マリーはその姿に、なんとなくシンに気合が入っている気がする。やはり、自分の家が統治しているこの街を紹介するのは気合が入るのだろう。シンがこれだけ気合が入っているなら、自分が着替えさせられたのも、マリーは納得した。
「ところで。女神アルテミスって?」
「なんだ、マリーはアルテミスを知らないのか。二つある月の小さく美しい方の月を司るのが女神アルテミスだ。ちなみに大きく強い月は女神セレネだよ」
「そう、美しい女神なのね」
「ああ。女神の中で一番美しいのがアルテミスだ」
シンの説明によると、シンはマリーのことを女神のように美しいと褒めてくれたのだとマリーは気づいて、胸が勝手にどきどきし始めた。
マリーとして、社交界で褒められ慣れている。それは、あくまで文字道理社交辞令である。しかし、なぜかシンの言葉に裏は無いように感じてしまったのかもしれない。
なんだか恥ずかしくなって、マリーはシンに尋ねた。
「ねえ、シン。どこに連れていてくれるの?」
「まずは、買い物でも行かないか? 服とかほしくないか?」
シンはマリーの手を取り、馬車に乗せながら、そう言った。
買い物と言えば、今マリーが着ている服はすべて、シンの家からの借りものである。自分の衣服は少しトランクに詰めて持ってきたが、そんなに多くはない上に、この街では浮いてしまう。それに、これから保育士として働くのにも、仕事用の服も欲しかった。
幸いなことに、追放されたときに持ってきた金貨は、シンのおかげで全く手を付けていない。
シンのお誘いはマリーにとってもありがたがった。
「うれしい! ちょうど、服が欲しかったのよ。シン、気が利くわね」
「そうか。よかった。ところで、マリーは、いつもどんなところで買い物したんだ?」
「私?」
マリーはシンの質問に困ってしまった。というのも、真理としては普段からTシャツにジーパンというラフな格好のため、カジュアル衣料量販店を愛用していた。そして、伯爵令嬢マリーは真反対に、買い物はこちらから行くものではない。仕立て屋が布を持って屋敷にやってきて、採寸、デザインの確認を行っていた。つまり、買い物は行くのではなく、来るものだった。
だから、マリーは買い物に行くということは、カジュアル衣料店へ行くものと思っていた。
私がいま求めているのはここじゃない。
マリーが馬車から降りて、まずそう思った。
そこは、真理の記憶にある、ブランドショップそのものだった。
入り口にはドアボーイが立っており、シンは手慣れた様子で声をかけると、店の中に入ろうとする。
マリーは慌ててシンの腕を引っ張って、店外に出て、シンにささやいた。
「ちょっと、この店、ブランドショップじゃないの? こんなところの服、私買えないわよ」
「大丈夫、俺が出すから。ほら行くよ」
「ちょっと待って。嬉しいけど、ここの一着より、普段着を何着か欲しいわ。ほら、保育園でこんな服を着るわけにいかないし、この服だって借りものじゃない」
マリーは自分の服をシンに見せて、切実に訴える。
伯爵令嬢であったマリーであれば、この店で服を作ったかもしれない。しかし、今は真理としての生活感が前面に出て、真剣な瞳でシンを見た。
そんなマリーに迫られると、シンは断るという選択肢が頭から飛んで行った。
「わかった。マリーがそういうなら、別の店に行こうか」
「ちょっと待って」
「まだ何かあるのか?」
馬車に乗ろうとするシンをマリーが呼び止めた。
「その店は、ここから遠いの?」
「そんなことないけど、歩いて行ける距離だけど」
「だったら、歩いていきましょう。天気もいいし、おしゃべりしながら街を案内してよ」
「おしゃべりしながら……いいな、それ」
シンはそう言うと、馬車を帰らせて、歩き始める。
その隣で、マリーはシンの腕を取り、街を見回した。
太陽に照らされた町並みは、山からの涼しい風に包まれ、レンガ造りの家の間に干された洗濯物をたなびかせている。
目的地に行く途中には市場があり、焼きたてのパンや、とれたての野菜、果物、そして新鮮な魚などが色鮮やかに並んでいた。
マリーはもちろん、真理もこのような市場は初めてで、シンにいろいろと質問をしながら、のんびりと街を散策しながら、目的の店へ目指す。
そんな市場の一角から、肉の油が高熱の炭の上焼けた香ばしい匂いが漂ってきた。
それは、朝食をすませたはずのマリーの心をくすぐる。
マリーはシンの腕を引っ張った。
「シン、美味しそうな匂いがするわ。行ってみましょう」
「ああ、この匂いは、串焼きだな。ここのは旨いぞ」
「おはよう、シン坊。今日はえらくおめかしだな」
そこには額にタオルを巻いた羊の獣人が、串に刺された肉を慣れた手つきで焼きながら、シンに話しかけてきた。
彼は手を止めることなく、シンの姿を見てほほ笑んだ。
「そんなことないぞ。いつもと一緒だよ」
「またまた、シン坊は、いつもはもっとラフだろう。隣に嬢ちゃんがいるからか?」
「おいおい、おっちゃん。それじゃあ、まるで俺がマリーとのデートに気合入れてるみたいじゃないか」
シンは何言ってるんだ、おっちゃん、と言う顔をして、串焼きを二本注文した。
「そうじゃないのか?」
「まあ、そうなんだけど」
「ははは、シン坊は素直だな。そんな素直なシン坊にサービスだ。この串はおっちゃんのおごりだ。二人ともそのきれいな服にタレをつけるなよ」
そう言って、串焼き屋のおじさんは軽く焦げ目がついたタレ串焼きを二本渡してくれた。
美味しそうな湯気を上げる串を受け取りながら、マリーはシンの言葉を反芻していた。
『マリーとのデートに気合を入れている』
これってデートだったの? 服を着替えさせられて、家を出る時にクロエから、頑張ってと声をかけられたのは、そういう意味だったと、今更ながら気が付いた。
「どうした、温かいうちに食べた方が旨いぞ」
マリーの動揺に気が付かないシンは、自分の串にかぶりつきながら、イケメンスマイルでマリーに声をかける。
そんな、無垢な笑顔にいろいろと考えるのがばかばかしくなったマリーは、串焼きにかぶりつく。
「美味しい」
「そうだろう。マリーの鼻は正しかったのさ」
「ん、マリー? もしかして、子供たちを集めてなんかしようとしているマリーってあんたのことか?」
串焼き屋のおじさんは、マリーの名前を聞くと真剣な顔で尋ねた。
美味しい串焼きに夢中で、おじさんの顔に気が付かずにマリーは答える。
「なんかって保育園のこと? それなら私のことですね」
「あんたか!」
そう言って、おじさんは屋台の向こうから飛び出してきた。




