第1話 断罪、追放そして出会い
松原真理は断罪されていた。
正確に言うと、伯爵令嬢マリーが断罪されているのだが。
マリーと第一王子ルイスの婚約が発表されるはずだった舞踏会。
金髪碧眼の見目麗しい王子が、ゆるふわピンク髪の守ってちゃん女子アイリスを背中にかばい、声高々とこれまでの罪を告発しはじめた。
マリーは並べ立てられた罪状に、ショックを受けて、真理としての前世の記憶がよみがえったのだった。
真理とマリーとしての記憶の記憶が混在し、混乱している間に数々の罪を連ねた後、王子は高々と叫んだ。
「マリー・アーネットを、私、ルイス・マドック殺害未遂の罪で、暗黒大陸への流刑とする」
「ちょっと、待って下さい!」
「なんだ、今更、言い訳か?」
「いいえ、言い訳するつもりはありませんが……ただ、本当によろしいのですね。私を追放ということで」
マリーの記憶をたどると、ルイス王子の後ろに隠れている一見、人畜無害に見える少女は、人知れずマリーとルイス王子を仲たがいさせ、マリーを悪役に仕立てて王子を自分の味方に引き入れようとしていた。つまり、真理としての知識の中では、彼女こそ影の悪役令嬢にて傾国の少女である。
しかし、あまりにも周りの人間がきれいに彼女の策略にはまるのを見て、マリーはあきれ果てていた。
これまでマリーは将来の伴侶である王子のため、王子の代わりに陰で各所の根回しや事務仕事など、俗に言うめんどくさい仕事を請け負っていたのだ。そのマリーの忙しさのスキをついて、平民上がりのアイリスはルイス王子を陥落したのである。
そして、状況はもう変わりようがなかった。
マリーは一つ小さくため息して言うしかなかった。
「それでは、みなさま。ごきげんよう」
~*~*~
断罪の舞踏会を終えたマリーは、二つの記憶と一つの罰に挟まれてぼーっとしていた。
そして、その間にマリーは、伯爵家からは絶縁されて、身の回りの荷物と幾ばくかの金品を渡されて、船の上にいた。
大陸オードリックから、船で三日行ったところに、暗黒大陸と呼ばれる土地がある。
人の支配下にあるオードリックとは違い、いまだ、モンスターや獣人が支配されると言われる未開で未知の大陸。
暗黒大陸に渡り、戻ってきた者はいないとも言われ、流刑地としてのみ、その名前が知られ、漁師でさえ、近づかない。
そんな土地に、伯爵令嬢として蝶よ花よと育てられたマリーは送られたのだった。
屈強な軍艦はマリーが砂浜に降りるのを確認すると、そそくさと去って行ってしまった。
悪役令嬢として咎人になったマリーとともに、悪名高い暗黒大陸へ付いてくる従者などいない。
真っ白な砂浜、打ち寄せる波の向こうに、まるでほっとしたかのような軍艦の船尾が水平線に消えていった。
振り返ると、人の手などは入っていないであろう青々しい草木が広がっていた。
燦々と照る太陽に波と風だけが語りかけてくる。
これが休暇であれば、ビーチパラソルとチェアを置いて、プライベートビーチを堪能するのだが、今は明日の命さえ危うい。
当面の水と食料だけは渡されたが、サバイバル能力など皆無なマリーにとって、それが尽きた時が命が尽きる時だろう。
「とりあえず、人里を探さないとどうにも出来ないわよね。でもこの荷物を持ってたどり着くのかしら?」
ぎゅうぎゅう詰めのトランクケースを持ってみると、両手でなんとか持ち上がる重さだった。
地面が砂浜なため、引っ張ることも出来ない。
マリーの体は日焼けひとつしたことがないような真っ白な肌、筋トレなどしたことがないであろう細い手足。寝るときまでコルセットで締め上げられていた細いウエスト。普段は細い金色の自慢の長い髪はいつも手入れをして、香油で潤いを出していた。
全てはルイス王子のため、最高の淑女になるために磨き上げたこの体は、ここではなんの役に立たない。
マリーは思わずひとり愚痴た。
「これまでの私の努力は、なんだったのでしょね」
小さい頃から、未来の婚約者、いや妃となると言われて、彼にふさわしい女性になるために、色々な物を犠牲にして作り上げた美ボディ。
教養もマナーも全て、彼のため。
そんなマリーが、愛するルイスを暗殺など天地がひっくり返っても計画しない。アイリスの、もしくはアイリスとルイス王子の共謀である。
そこまで、私のことが邪魔だったのかしら。まあ、素直に婚約破棄を言い渡されても、応じるつもりはありませんでしたが。
マリーはそんなことを考えながら、自分の背丈以上の高さの雑草の入口で立ち止まった。
大きく深呼吸をしてみる。
「まずは、人里を探さないと」
しかし、この荷物を持って、この藪を抜けることなどできるだろうか?
ロングブーツにロングスカート、日焼け防止に長袖シャツ、ツバの大きな帽子姿のマリーは幸いなことに蚊には刺されにくく、草で肌を傷つけない格好となっている。しかし、マリーのここを抜けられるだろうか。
いや、頑張って抜けよう。
その先に何があるのか、さっぱり見えない。
人間、ゴールが見えない作業を行うことほど苦痛なことはない。
ましてや体力など皆無なお嬢様ボディである。
「それでも、行くしかないわよね」
マリーは意を決して、一歩踏み出した瞬間、草むらがざわざわと音を立てた。風などではない、明らかに何者かが動いた気配。
野生動物? モンスター? 獣人?
どちらにしても人生終わった。
マリーは反射的に皮打ちされたトランクケースの陰に隠れた。
「おお! ここが、穴場ビーチか~」
そう言いながら出てきたのは、上半身裸の男性だった。細マッチョに短パン水着、金髪にちょいチャラい感じのスポーツマンタイプの顔。そして、犬耳にもふもふ尻尾が揺れている。
犬耳に尻尾!? 獣人!
まずい、まずい。
野生動物やモンスターならばデッド・オア・アライブ。殺すなら一気に殺してくれるだろう。死にたくないけど。
でも、獣人に捕まった場合は、どうなるか分からない。一気に殺されず、猫がネズミをもて遊ぶように、生き地獄を味わうとか。ペットの様に飼われるとか。何にしても、ロクな目にあわないらしい。
たとえ、見た目がイケメンでも、捕まっては駄目だ。本来なら見つかっても駄目。しかし、突然、目の前に現れてはもう、ただの事故。
その獣人は、その場で固まるマリーの首筋に鼻を近づけてくると、クンクンと鼻を鳴らした。
「何だ、おまえは?」
男の言葉に硬直が解けたマリーは、トランクケースを置いて回れ右をする。
目の前にはだだっ広い海。
その先に逃げる所はない。
しかしパニックになったマリーには、そんなことは関係がなかった。
ロングブーツで踏む砂浜はあまりにも柔らかく、足を取られ、風に帽子は飛ばされる。ふらついた足は波に倒され、海水の中にダイブした。
身体を守るはずの長袖にロングスカートは海水を吸い、ただの重しになる。ロングブーツはただの足かせ。
打ち寄せる波は空気を阻むマスクとなり、マリーは恐怖と焦りと不安で自分が何をしているのか分からなくなり、どちらが上かさえ、分からなくなった。
あ! 溺れ死ぬ。
松原真理として、夢だった保育士になり、他の先生達からも頼られる程度には一人前になった。
しかし、マリーとして生きた17年はずっと伯爵令嬢として我慢ばかりしてきた。
それがこんな訳の分からないうちに、死んでしまうのだろうか?
そんなマリーをたくましい腕が一気に引き起こされた。
「何やってるんだ? そんな服のまま泳いでいたら、溺れるぞ。別に俺だけのビーチじゃないんだから、慌てる必要はないだろう」
先ほどの獣人がきょとんとした顔で、びしょ濡れになったマリーの顔をのぞき込んでいた。
捕まってしまった。
捕まってはいけないはずなのに、目の前の彼の笑顔に思わず見とれてしまう。
髪についた水滴は陽光に輝き、犬歯を見せて笑う笑顔はさわやかだ。
そのあまりのイケメンぶりにマリーは固まっていると、イケメン獣人は心配そうに声をかけてくる。
「大丈夫か?……ん!? お前、人間か?」
マリーは我に返り、思わず叫んだ。
「た、助けて!」
「なんだ? 捨て人か。その様子を見ると今日来たところか。俺に見つかって、運が良い。この辺は夜になると肉食獣が出るからな」
獣人の男は濡れて重くなったマリーを軽々と肩に抱え、置きっぱなしのトランクケースを持つと有無を言わせず、先ほど出てきた藪に入っていった。