8.簡単おやつ、ハナイチゴジャムとスコーン②
ウルリケから木の実の話を聞きながら店に戻ると、アンネさんが我が物顔でカウンターに座っていて「なんだ、ウルリケと一緒だったのか」なんて眉を吊り上げた。
「ただいまー。デニスのおじいちゃんのところで会ったの」
いや俺の店なんだが。いつからここが姉妹の家になったんだ――と思ったけど、ここは出資者アンネさんの持ちものなのかもしれない。
「ああ、包丁を作ってもらったのか?」
「いや、それが今回はなかったことにしてもらいまして。あ、大丈夫ですよ、今のままでも飯は作れますし、いまから作るのはスコーンだし」
「すこん?」
「ちょっと時間がかかるんですけど、多分アンネさんも好きなんじゃないかと思って」
まずはオーブンの予熱をしなければならない。オーブンといっても、この世界のオーブンは「ラバックス」と呼ばれる。外側を特殊な鉱石に覆われた巨大な鉄の箱で、その中にサラマンダーの棲み処でとれる溶岩を叩き割って突っ込むという仕様になっている。温度調整は溶岩のサイズで調整するので、慣れるまではちょいと難しい。
その後、厨房に入ってスコーン作りに必要なものを並べる間、二人は「すこんって知ってる?」「ううん、初めて聞いた」と顔を見合わせていた。
「でもお砂糖とバターをたくさん使った甘いものなんだって。おいしそうだよね!」
「ふーん……。しかし、そのすこんは随分複雑な料理なんだな」
天秤やらボウルやらを見たアンネさんが顔をしかめた。
「そんなに色んなものを準備しているのは初めてだろう」
「うーん、複雑っていうか、多分繊細なんですよね」
きっとみんな辿る道だと思うのだが、大学生になって一人暮らしをして食事を作るとき、最初はレシピを見て、せっせと指示された分量どおりに調味料を入れていた。それが段々と目分量になってきて、味見で適当に整えるようになり、俺もだいぶ料理に慣れてきた――となるが、お菓子はそうはいかない。もちろん「今回は甘さ控えめにしようかな」とか「ビターチョコに変えよう」とかはあるし、正直目分量で入れるものもある。しかし、生地を味見するわけにはいかないので、「味見で適当に!」ができないのだ。だから基本的には分量を覚えるようになっていた。
つまり何が言いたいかというと、お菓子作りには天秤が必要なのだ。ちまちまと重りをのせて小麦粉と砂糖、そして牛乳を量ってボウルに入れた。バターは目分量だけど、10グラム単位なら誤差1グラムの範囲内で切れる。どうせこの天秤は安物で最小単位は1グラム、他の材料だって1グラム前後は誤差の範囲内だ。
「へーえ、そんなに砂糖を使うのか」
「固くて甘いパンみたいな感じ?」
「固くはないよ、むしろふわっふわ」
そう、お菓子にはこの粉が不可欠なのだ……! 小瓶に入れておいた白い粉を少し入れた。
そうして、小麦粉と卵と大量の砂糖、さらに白い粉を混ぜた生地をせっせと混ぜる。そこに大量のバターの欠片をいれてもう一度混ぜ、最後に牛乳を入れる。液体の量が少ないと生地が重たくて仕方ない。
できあがった生地をこねて畳んで、ブリザードホースの蹄と同じ箱にいれて休ませて……そしてこの間にジャムも作らなければ! こうしてみるとお菓子作りってやっぱ面倒くさいな。
ウルリケからもらったハナイチゴを切り、これまたしこたま砂糖をぶっかけて火にかける。祖母ちゃんは水分をとって云々と言っていたが、ご丁寧な作業はまた今度だ。煮詰めている間にスコーンの生地を取り出し、丸く切ってオーブンに突っ込んだ。
「あとはしばらく待っていれば完成です」
「なんだか色々と大変そうだったな。しかし、ラバックスを使うと暑いな」
アンネさんはマントを脱ぎ、ついでになにやら見たことのない瓶を取り出した。大事そうに取り出したから、高級品か?
「ちょうどイエロービスを買ってきたんだ、飲むか?」
「いただきますけど、そんな高そうなものをもらっていいんですか?」
そういえばイエロービスってこの間も聞いたような……と記憶を探っていると「イエロービスを飲んだことがないのか?」と唖然とされた。
「というか……夏に飲むイエロービスを飲む楽しみを知らないなんて……リュー、アンタは人生の半分を損してる」
「そんな言います?」
まるでサイダーだな。受け取った瓶はよく冷えていたのもあって、余計にサイダーを思い出した。いま作ってるのがスコーンでよかった、ピザでも扱っていようものなら「ピザとコーラで背徳感のある食事をしたかった」と泣いていたかもしれない。
……が。瓶の蓋を取った瞬間に俺は硬直した。しっかりと密封された栓、ポンッと軽快な音と共に外れてただよってくるこの独特の香りは――夏の冷蔵庫を開けた瞬間の高揚感に襲われた。これはまさか。
「サイダーだ!」
「イエロービスだって言ってるだろう、話を聞け」
いやいやいや、これはサイダーだ! 慌ててグラスに注ぐと、懐かしいシュワアアという音と共に気泡が立ち上る。口に含んで確信した、舌の上で弾けるこの刺激、そしてのど越し、間違いない。いや訂正すべき点はある、これはレモンサイダーだ。
「一体どこでこれを!?」
「イエロービスなんてどこにでも売ってるだろう。特にドゥーエ平原が一大産地だが……」
「あ、僕はノーリ地方から来たんで、ドゥーエ平原は通ってないんです」
「ああ、そのせいか。そちら側はイエロービスを飲まないものな」
そういうのもあるのか……! 一年ぶりに飲んだサイダーを手に愕然とした。もしかしたらあのとき別の道を選んでいたら、俺はもっと早くサイダーを――いやイエロービスを手に入れることができていたのかもしれない。なんたる失態。
「あの……この辺りだと、イエロービスは普通に売ってるんですよね……?」
「ああ、広場を挟んで反対側の、ハムサ川のほとりに出る街道に売っている。このサイズで一ダース銅10枚ってところだな」
「夜のうちに仕入れます」
これでいつ夏がきても大丈夫! ……いや待て、いまの俺は無職なのだ。貯蓄はあるけど、店はアンネさん達に金借りてるようなもんだし。そろそろ金のこと考えなきゃ……。
そうしてレモンサイダーにほっこりしているうちにジャムができて、スコーンも焼けた。ラバックスから取り出すと、コロンコロンとしたスコーンを見た姉妹が目を丸くする。
「焼く前と全然違うじゃないか! パンの仲間みたいだな!」
「でもパンより膨らんでる! ね、これ冷めるの待つの? もう食べていい?」
「食べていいけど、ジャムを塗って食べるんだよ。ほら、ウルリケが採ってきてくれたハナイチゴのジャムをつけて」
スコーンとジャムを載せた皿を二人の前に置く。前回はアンネさんだったが、今回は明らかにウルリケの反応がいい。幼さの残る瞳を輝かせ、食べる前から顔を綻ばせている。
焼きたてでまだ少し熱いスコーンを手に、たっぷりジャムを載せて――齧った瞬間に「サクふわー!」と頬に手を添えながらCMみたいなリアクションをとった。
「あまーい、ふわふわ、おいしーい! ハナイチゴまだ旬じゃないかと思ったけど甘酸っぱくていい感じになってる!」
「確かに、おいしいな。朝食に食べたくなる」
アンネさんも甘いものは好きなようだ。頬が緩み、クールな顔つきがちょっと柔らかくなっていた。だがウルリケの表情の崩れ方はその比じゃない。ごめんな、俺の飯って大体酒飲みのレシピだったもんな。
「これ……これ一体どうやって作るの? これ私でも作れる? 何があればいい? バターと卵と小麦粉と牛乳と……あの白い粉なに? 魔法の粉!?」
「魔法じゃないけど、ちょっと手に入れるのが面倒なんだ。ジャイアント・セファロータスの花――いや頭の部分を斬りおとして茎の内側を乾燥させて刻むと手に入る」
「お前、リューガ……またさらっととんでもない話を……」
ジャイアント・セファロータスといえば、人食い植物の代表だ。ぱっくりと開いた大きな口から垂れる唾液は、人間の肌はもちろん、あらゆるものを腐食させるし、植物だからとうっかり燃やそうものなら毒の煙をまき散らす。そのため、下手に火を用いず、物理で花部分を斬りおとすのがセオリーだ。
というのはさておき、その特殊な唾液はジャイアント・セファロータスの茎の中でさらに特殊なものを生成している。それがお菓子作りに必須の材料、すなわちベーキングパウダーである。
「や、でもこれは俺が発見したわけじゃないんですよ。トリー森林近くの村で仲良くなった宿のおばちゃんが洗濯ものがきれいになる方法って言って教えてくれたんです」
おばちゃんの手によって白くなっていくシャツを最初に見たとき、どっかで重曹が手に入るのかな?なんて思ったら、そう教えてくれたのだ。もちろん、おばちゃんは死骸の茎を刻んだらしいのだが。
「まあ死骸なんてそうそう落ちてないし、ジャイアント・セファロータスって基本隠れてるから、いちいち探し出して討伐するのは大変だったんですけどね」
ユスケール達は洗濯洗剤なんて興味がないと言って手伝ってくれなかったし。うんうん、と腕を組んで一人で考える俺の前で、ウルリケはハムスターのようにスコーンを頬張り、アンネさんは珍獣でも見るような目をした。
「……リュー。アンタ、やっぱりなにかおかしいんじゃないか?」
「急に何ですか、失敬な」
「ケンゴウの件といい、もう一度デニスさんに会いに行ったほうがいい。それでそのスキルをよく見てもらうといい。多分、アンタはここでおいしいご飯だけ作ってる場合じゃない」
妙に神妙な面持ちで口にしつつ、しかしアンネさんは次のスコーンに手を伸ばしていた。
ジャイアント・セファロータスの唾液はあらゆるもの腐食させ、燃やすと毒の煙を出す……つまり、ジャイアント・セファロータスの唾液は水酸化ナトリウムです。怖いですね。




