6.酒のつまみ、オークベーコンと四種のキノコのアヒージョ
オークばら肉の野菜汁は非常に評判がよかった。予想通りといえばそうなのだが、特に小さい子に人気があった。俺の膝くらいの男の子に「兄ちゃん、あれもう一回食いたい」なんて言われながら服の裾を引っ張られては、よしよし、またマーメイドさんに会ってくるからな!と意気込んでしまわざるを得なかった。あと、おじさんと言われなくて安心した。
しばらくは色々試食を出すつもりだが、それはそれとして店を開くために色々必要なものがある。ううむ、と厨房の前で俺は呻った。
「金物をそろえたいな……」
最初にそろえた調理器具が「現実世界に似てるそれっぽいやつ」程度の基準で選んだ適当なものだったせいで、ろくなものではない。しかも、丸一年間酷使されてだいぶガタがきてしまっている。特に困るのがフライパンだ、もともと安物だったせいで、ちょっと野菜炒めでも作ろうものなら肉がくっついて仕方がない。テフロン加工のフライパンが恋しい。
この元・酒場にも調理器具はなくはないが、多分食文化が違うせいだろう、かゆいところに手が届かないとはこのことだ。
うーん、と考え込んでいると、後ろから「今日もさむーい!」「こういう日は酒を飲んで温まらないとな」と聞こえてきた。姉妹のご来店だ。
「アンネさん、このあたりで調理器具ってどこで手に入りますか?」
「さあ、私は料理をしないからさっぱり」
カウンター前の定位置に座りながら、アンネさんはワイン瓶みたいなものを取り出した。いや、多分ワインなんだろう、その栓をとった瞬間にむわっと渋みの混ざったアルコールの香りがした。
「アンネさん、やっぱり酒飲みなんですね」
「やっぱりってなんで」
「好きな食い物の傾向がそうなんで」
「まあね。リューはイケる口か、レッドクレイヴァン一緒に飲むかい?」
こっちでいう赤ワインだ。読んで字のごとく、赤色のクレイパーという木の実から作られているそうだ。ちなみに、ガーゴイル肉の調理に使ったときのマンドラゴラの茎からとれる液体は量が少ない代わりに風味が良いので、調味料にしか使っていない。
それにしても、昼からワインを飲む生活とは、なんとも優雅だ。チーズとサラミがぜひとも欲しいところである。ないのだが。
「……でもないなら作ればいいんだよな」
「なになに、今日はなに作ってくれるの?」
こらウルリケ、俺はお母さんじゃありません。
「あ、もしよかったらこれ使う? 今日、たくさんキノコ見つけたんだ」
ウルリケは巾着袋みたいなものをカウンターで引っ繰り返した。コロンコロンと転がったのは四種類くらいのキノコだ。どれもこれもコロコロ丸っこくてかわいい。……足が生えているアルクダケを除いて。
「アルクダケと、ネコダケと、これはオウチダケかなー。これは多分ヒノキノコ」
しかし、でかしたウルリケ。キノコは世界を越えていい出汁をだしてくれる。
「酒のつまみになって、キノコを使うものだろ。ついでに鍋だけは生きてるって考えるとアヒージョだな」
「アヒージョ?」
「また口が臭くなるけどな」
なんたって、アヒージョを作るのにニンニクは欠かせないのだから。
グリーンハーブのオイルをドボドボと鍋に注ぎ、刻んだユリネギを入れて火にかけた。日本ではオリーブオイルをこんな風に使うなんてできないから、グリーンハーブのオイルがそんなに高くないのはありがたい。いや手に入れるのは手間だし、買うと比較的高いんだけど、それでも日本の相場に比べれば全然マシだ。
その間に、ウルリケが採ってきたキノコをそれぞれ半分に切っていく。アルクダケの見た目はいかにもマッシュルームなのだが、ちょっと不気味な繊維っぽい足がついている。そして人が見ていないところでこの足でトコトコ歩いて移動して、森に入った人々を惑わせる……というのは今はどうでもよくて、足は切り落とす。正直、見た目がグロくて食いたくなかったのだが、どうしてもキノコがないと味が足りないと思ってしまって使ったのが始まりだった。懐かしい。
他のキノコの見た目はそうおかしくない。ネコダケは石づきが根っこのように広がっているだけだし、オウチダケは傘がちょっと広めのシイタケっぽい。しいて言うならヒノキノコはマリオが食ってそうなシルエットのオレンジ色で見た目は毒キノコっぽいが、実は他のキノコにはない出汁をだす。
……と四種のキノコを切って、ベーコンと共に鍋に入れた。オーク肉のベーコンは今日で使い切ってしまった。また作っておかなければ。
「燻製もやってみたいよなあ……おうちで燻製キットで作った燻製卵、あれマジで美味かったもんな……」
ベーコンだってそのほうが美味いに決まってる。いま店を開いたところで儲けられるとは思わないが、もし儲けが出るほど軌道に乗ったら、現代の便利グッズも再現したいものだ。
「いい匂いがしてきたな」
くん、とアンネさんが顔を上げた。アヒージョを楽しみにしているのか、レッドクレイヴァンには口をつけないままでいる。
「そろそろか?」
「もう少しですね。バゲットも切りましょうか」
少し固くなってしまったパンを切りながら、不意にリアルな思考が頭をよぎる。この酒場だとキャパが大きすぎるので、席数は十席以下に絞る予定だ。しかし、そうだとしても俺一人で手が回るか……? 俺は料理人でもなんでもない、ただの元サラリーマンだぞ。
店が繁盛するまではいいとして、繁盛し始めたら誰かを雇うべきなのか、そうなると金の計算が余計にややこしいことに……! 静かに頭を抱え始めていると、アンネさんが「あ、そうだ」とその眉を上げた。
「さっき、調理器具がほしいって言ってたろ。デニスのおじさんに頼んでみたら」
「デニスのおじさん?」
誰だそれは。
「この間もオーク汁を食いにきてたろ、白髪なのにやたらガタイのいいおじさんだよ」
「……もしかして、鍛冶屋をやってるおじさんですか?」
「そうそう。気難しそうな顔してるけど、頼めばなんでも作ってくれるよ」
「鍋もですか?」
「あー……ごめん鍋は知らない。私が言いたかったのはそっちの短剣のことだよ」
なんだ、フライパンは手に入らないのか。しかしいいことを聞いた、俺は包丁がほしかったのだ! 今まで使っていたのは小さなナイフで、一応包丁には分類できる見た目をしているが、持ち手が小さくて使いにくかったのだ。
鍛冶屋にはサーベルとか剣とか、そういうものしか頼んじゃいけないんだと勝手に思い込んでいたが、言われてみればそんなはずはない。
「ナイフも新調したかったんですよね、ありがとうございます。なんて言ってるうちにできましたよ」
適当な板きれを引っ張り出し、その上に鍋ごとアヒージョを置いた。……見栄えが悪いな。いかんせん、深くて大きいただの鍋だ。アヒージョ用のカスエラがほしい。早急に金物屋を見つけ出して発注しよう。
二人は、アツアツに熱されたオリーブオイルを、キノコとベーコンと一緒にまるでスープのように掬い、おそるおそる口に運ぶ。それに対する反応は、アンネさんが早かった。
「塩分に油の味だな。これはおいしい」
俺はバゲットに具をのせ、たっぷりオイルをかけて口に入れた。バゲットは少し柔らかくなって、ベーコンの塩味とキノコの出汁のきいたオイルの味がじんわりと舌の上に広がる。うまい。最高の酒のアテだ。
しかしこれは……うん、ザ・塩分って味だな。俺の血圧大丈夫かな。
「これはお酒が進むな。リュー、結局飲むのか?」
「あ、いただきます」
でも、ワインと一緒に食うとうまいんだよなあ……! 幸か不幸か、俺はワインを分かる前に転移したので、アンネさんのくれたレッドクレイヴァンが上等なのかどうなのかは分からなかった。分かるのは美味いことだけだ。
しかし、やはりヒノキノコの出汁は一味違う。これは魚介類のアヒージョにも挑戦すべきだな、とバクバク食べながら、ウルリケの反応がいつもより薄いことに気付いた。
「……ウルリケ、悪い、おいしくなかったか?」
「え、ううん! おいしいよ!」
その手がどんどんバゲットを口に運ぶということは、嘘ではないのだろうし、「ヒノキノコがオイルに浸っておいしい」と言ってはいる。しかし、アヒージョ単体の味のよさはあまり分からないのかもしれない。うーん、ちょっと大人向けの味だったか。悪いことをした。
「ごめんごめん、今度はもう少し子ども向けの料理にするよ」
「私もう子どもじゃないんですけど!」
「ウルリケは子どもだろう、今朝だって木の実を拾い食いして」
「見てたの!? 見てたなら止めてよ!」
木の実の拾い食い……。そういえば、この世界は甘いものもないな。こうして大きな調理場をもらえたなら、いつかスイーツに挑戦するのもいいかもしれない。それこそ、ウルリケは喜ぶだろうし。
いやそれより先に包丁をだな、と自分に言い聞かせていて、ふとそのデニスのおっさんに言われたことを思い出した。
「そういえばアンネさん、ケンゴウってどういう意味か知ってます?」
「何の話だ?」
「この間、デニスのおっさんに『ケンゴウ』って言われたんですよ。どういう意味だろうと思って」
「……ケンゴウといえば、私は剣豪しか知らないが」
それって、剣が強い人とかそういう意味の言葉の?
「リューが剣豪だと言われたのか?」
「言われたというか、なんだかそれっぽい言葉をかけられたというか……」
「もし剣豪なら私とやり合えばすぐ分かる。ちょっと待て、あひーじょを食べ終えたら外に出るから」
「あ、いえ、大丈夫です結構です。俺は厨房以外で刃物持ちたくないんで、はい」
デニスのおっさん、ねえ……。頭には職人気質な顔が浮かんだ。頼めばなんでもやってくれるとアンネさんはいうが、本当にそう上手くいくだろうか。