5.作り置き、オークばら肉の野菜汁B
改築された酒場の厨房で巨大な寸胴鍋を取り出すと、ウルリケがカウンターに座りながら「こんな大きなお鍋でなにするのー?」と身を乗り出した。
「汁もの――スープみたいなものを作るんだよ。パスタは簡単だけど、都度作るのは大変だし、大量に作っても味がぶれなくて作り置きもできるものがあるといいなと思って」
「スープかあ、いいなあ、今日ちょっと寒いからね」
言いながら、ウルリケはそのブルーのマントをカーテンのように体に巻き付けた。アンネさんがしかめっ面で「今日は寒いって言ったのに、装備変えてこなかったの?」と隣から同じ色のマントを脱いでかけてやって姉貴感を出している。
「それに、ここのことを知ってもらうなら麓の人達に食べてもらうのが一番だから。ちょっととっておきのスープなんだけど、試食会にちょうどいいかと思ってさ」
「ああ、いいね、聞くだけで暖まってきた。で、スープって、何のスープ?」
「オーク肉と野菜のスープです」
「あ、それ嫌い」
食う前に嫌われた。アンネさんはげんなりした顔で頬杖をつく。
「脂が多くてこってりしたものは好きなんだが、あれは無理だな。あんなもの、脂を飲むようなものだ」
「あー、多分想像とはちょっと違います。いまから作るんで、まあ見ててくださいよ」
使うのはオークのばら肉とその他野菜。ニンジンとダイコンはまんまあって、ゴボウの代わりにブロキクという植物の根を使う。なんでか分からないけど、豚汁ってゴボウがないと豚汁の味にならないんだよな。そんでこのブロキクはゴボウと味が近いのだ。
豚汁を作っている間、姉妹は適当にお喋りをしながら待っていたのだが、「さて最後に……」と俺が調味料を取り出すと、ぴたりと喋るのをやめた。
「……リュー、アンタ、何をするつもりだ?」
「え? 何って、これを入れるんですよ」
「……それ、泥だよね?」
「え? ……ああ、これ、泥じゃないですよ、スイートビーンです」
「馬鹿言うな、ビーンがそんなドロドロなわけないだろ」
いやいや、それがそうなんだな。これは俺が苦労の末手に入れたものなので、ふふん、と得意になった。
「これはですね、ミソといいます。煮て柔らかくしたスイートビーンにマーメイドの涙を混ぜて作ったもので、正真正銘、ビーンです」
「は? マーメイドの涙?」
「はい。だからレアなのがたまにきずってヤツですね」
そう、悲しきかな、日本人のソウルフード・ミソは希少食材だ。スイートビーン自体はどこにでも生えているので調達に困らないのだが、マーメイドの涙はマーメイドの島まで行ってマーメイドにお願いするしかない。
ちなみに、味噌を手に入れたのはまったくの偶然だった。昼飯に魚を食いたいなと釣りをしていたとき、うっかりマーメイドに遭遇し、しかしちょっと応戦しながら「魚を釣ってただけ! 危害は加えないから」と説明したら襲うのはやめてくれた。そんでもってフィッシュバーガーを「それ、魚なのよねえ?」と暗にねだられ、分けてあげると涙を流すほど喜んだのだ。突然のできごとだったので、闇雲に掴んだ適当な瓶に入れてもらった。
そして、その瓶の中には潰れたスイートビーンが混ざっていた。マーメイドさんから涙をもらって半日経つ頃「なんだか瓶から妙に懐かしい匂いがするぞ……これは、間違いない、味噌だ!」となった。当時、久しく日本食にお目にかかれていなかった俺の脳内には「おめでとう! リューガは味噌を手に入れた!」とファンファーレが響いた。なお、その後はレオンシュリンプのフライを献上して、さらに一瓶ほど涙をいただいた。
「もう一回作るくらいの量はあるんですけどねー。試食会で出してもう食べれませんってのも詐欺っぽいし、どこかのタイミングでまた涙をいただきに行かなきゃいけないかも」
「そうじゃなくて!」
ウルリケが悲鳴を上げるから何事かと思ったら、アンネさんなんて間抜けに口を開けていた。
「マーメイドに会って涙までもらったって、一体なにをどうして!?」
「いや俺の作った飯が美味かったって感動してくれて。マーメイドさんは生魚ばっか食べてんですよね」
そりゃ札幌で寿司は食いたいけど、マックのフィッシュバーガーだって食いたいじゃんってね。
「大体……マーメイドなんて、そもそも出会う前に眠らされて海に引きずり込まれるのがオチなのに……」
「いやいや、そんな恐ろしいもんじゃないですよ。話せば分かるってヤツです、これは本当に分かるヤツ」
そりゃ見た目はおそろしい、上半身は迫力の美女で、下半身はマジで魚なんだから。でも半分人間だからなのか、話は通じるのだ。グルメだし。てか人間は食わないし。
「……話せば分かる、ねえ……そりゃ連中は賢いから、それこそ腕のいい剣士とかは襲わないかもしれないけど……」
「あ、じゃあそのせいかもしれません。この間まで俺がいたパーティには凄腕の剣士がいたんで。というわけで、これどうぞ」
そうこう言っているうちに豚汁ができた。俺はいつか白米も白だしもしこたま手に入れてみせるぞ……。
「……これがオークの野菜汁? 言っちゃ悪いが、なんか泥水みたいだな」
「と思うでしょ?」
外人も初めてミソスープを見たときはそう思ったのかもしれないな。促すと、姉妹はズズ……と両手でお椀を持って啜って。
ほんわりと、ウルリケだけでなくアンネさんまで脱力した笑みを浮かべた。
「あったまるー!」
「これがオーク肉の野菜汁か……いや相変わらずリューの手にかかると奇天烈な味で、しかし不思議とおいしいな」
「でも脂浮いてないよね? オークの肉ってもっとドロドロのイメージだけど……あ、でもこの間のロツリーフのパスタもドロドロじゃなかったから個体差なのかな?」
「いや、オーク肉って、まあ脂は多いほうだけどいい塩梅だと思いますよ」
そろそろサーロインじゃなくてヒレがうまいぜ……なんて言ってた俺でも、くどいとは思わない。なぜだろう。
それはさておき、二人の反応を見れば、異世界人にも豚汁がウケることが分かった。まあパーティのズザンネとヨーナスも好きだったから、予想通りなんだけどな。
「ちなみに、この粉をかけるとちょっとピリッとして甘みが引き立ちますよ」
七味の代わりに、乾燥したハーブや果物の皮を刻んで混ぜた三味くらいのオレンジ色の粉を振りかけた。ウルリケは、鼻水をすすりながら一層勢いよく汁をかっこむ。
「はあ……オークがこんなに甘くておいしくなるなんて……幸せ……」
「この季節にはもってこいだな」
満足げな二人を前に、俺もよしよしと満足する。豚汁はしっかり好評だ。
「じゃ、残りは店の前で試食会を……」
「待って! おかわり!」
「私も!」
「あ、はい。分かりました」
店の前に鍋を出し、「オークの野菜汁 試食会」と書いた看板を立てて、道行く人々を呼び止めては豚汁を配った。最初はみんな「泥水じゃないか」と顔をしかめるが、この寒さで豚汁の匂いには勝てない。一人また一人と立ち止まってお椀に口をつけるようになり、しかも「こんな甘いスープ飲んだことない!」と仰天して勝手に客を呼んでくれる。
そんな中、いつもしかめっ面の鍛冶屋のおっさんも試食にやってきた。おっさんとは、「ニーグルム」を抜ける前に一度会ったっきりだが、いかにも職人気質の見た目なんで一目で覚えてしまった。
おっさんは、汁を啜るとすぐに白い眉を吊り上げて、俺をじっと見た。
「……これ作ったの、アンタかい」
「はい、そうです。どうでした、うまかったでしょう」
「……アンタ、『剣豪』持ちのヤツか」
ケンゴウ? 何の話か分からずに首を傾げたのだが、おっさんはフンと鼻を鳴らして豚汁を啜るだけだった。
「……あのう、ケンゴウって?」
「そりゃあ、オークの野菜汁もうまくなるだろうよ」
「はあ?」
「可哀想にな、アンタに見捨てられたパーティは苦労しとるだろうよ」
「え、いや、俺が見捨てたって……」
「ごっそさん」
クソッ、あの年の老人は現実でも異世界でも人の話を聞きやしねえ。豚汁がうまくなるってのも分からないし、てかパーティに見捨てられたのは俺のほうなのに、一体どういうことだ。目を白黒させているうちに、おっさんはお椀を突っ返していなくなってしまった。
短編がずっと1位に居座っているようです。ありがとうございます。こちらは8位、表紙外なので頑張っておいしいものを作ってもらおうと思います。
ところで、私は一生サーロインを食べられる側の人間だと思っていたのですが、最近ヒレでないと食べきれません。