34.良薬口に苦し、ワイルドパンプキンスープA②
「で、ミスバルの町で、たまたま鑑定スキル持ちの旅人に会ったんだ。そこで俺に大きな転機が訪れたんだよ、なにせ俺のスキルは、あらゆるステータス値の2倍の成果を出せるものだってことが判明したんだ」
「2倍の成果?」
ほお、とばあさんは目を見開き、身を乗り出した。ただでさえ希少なスキルだ、ここまで年を食ったところで見たことがあるとも限らない。
「ああ、だからどこに行くにも物足りなくてさ。早いところ魔王の城までたどり着きたかったんだけど、さすがにシェーミの霧道まで来ると苦戦することも多くて」
「何を言っとる? それはお前さんのスキルの発動条件が整っとらんからやろう」
「え?」
ばあさんは座り直し、するめでもかじるようにハーブを齧り始めた。
「わしも耄碌したかと焦ってしもうた。しかし間違っとらん、お前さんのスキルは『若輩』じゃろう」
「……ジャクハイ?」
「そうじゃ。いいスキルじゃの、同じ町にずーっとおるのは退屈じゃけえの。そのスキルがあったらいくらでも新しい場所に行くことができる。冒険者にうってつけじゃ」
「……いやジャクハイって」
俺が知ってるジャクハイは『若輩』だけだ。でも『若輩』がステータス値の2倍の成果を出すってのはどうにもよく意味が分からない。このばあさん、ボケてんのか?
「お前さん、そのスキルを見てもらったとき、ちゃんと話を聞いとらんかったんか? 特定のスキルを持っとる人間がパーティにおらんと効果は発揮されんと」
「特定のスキル?」
「そうじゃ、達人系のスキルがないといけん。例えば――」
ばあさんが年に見合わぬ悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「『剣豪』とかじゃのう」
「はあ……?」
「『若輩』とはどういう意味か知っとるか? 未熟という意味じゃ、技術や知識、それに精神もな。人間には教えを乞う側と教える側の立場があろう。『若輩』は教えを乞う側じゃ、教える側の人間がおらんと何の役にも立たん」
「いや、言葉の意味は分かったけど、そうじゃなくて」
だって、このばあさんが言ってるのは、俺のスキルの効果が発揮されるためには達人系スキルを持ってるヤツが必要だってことだ。しかも、俺がシェーミの霧道から苦労し始めたのはそのスキルを持ってるヤツがいなくなったから……?
「……言っとくけど、うちのパーティメンバーは一人しか変わってない。で、ソイツは達人系スキルなんて持ってなかったんだよ」
「なんで分かるんじゃ? お前さんが持ってるのは『若輩』だけ、鑑定スキルは持ってなかろう」
それはそうだが……、なんだ、どういうことだ? なんでこのばあさん、そんなことが分かるんだ? ……まさかこのばあさんが鑑定スキルを持ってるとか……。
ばあさんは「わしも『若輩』というスキルは非常に気に入っとるんじゃよ」と気味の悪い笑みを浮かべている。
「『若輩』スキルなんて一人で持っとってもなーんの意味もないし、ステータス天井も低くて使いものにならん。それが達人系スキルを持つ人間にパーティを組んでもらえば、達人の技を教授してもらっている状態が擬制される、よって実力以上の力を発揮できるんじゃ。しかも共に研鑽を積んでいけば、『若輩』はいずれ『円熟』になる。どうじゃ、人間というか弱き、しかし油断ならぬ種族にお誂えのスキルじゃろ?」
マジで何の話をしてるんだ、このばあさん……。
目を白黒させる俺の前で、ばあさんは「いやあ、本当に、非常に興味深いスキルじゃと思わんか? のう?」とその干し柿みたいな顎を撫でる。
「お前さん、冒険の話をするのに、自分の話ばっかりじゃったのう。ちゃんと周りを見とるか? 思い込みで相手をランク付けして見下しとらんか? いまの自分があるのが誰のお陰か考えたことがあるか? 人間にお誂えと言ったが、お前さんになんともぴったりなスキルじゃの」
「だからマジで一体何の話……」
「ところでどうじゃ、そろそろワイルドパンプキンのスープを飲んでみては。味は気にならんようになっとろう」
年寄りってのはみんなそうだ、話を聞きやしねえ……。つかもうこのスープは飲まずに済ませようと思ってたのに、目敏いばあさんだ。
しかし、最初にかいだときに感じたツンとした臭いが消えている。おや、と口に含むと、香辛料ブレンドのような味もしなくなっていた。……いや、香辛料の味がしないというか……。
「……味がしない……」
「そうじゃろう。ナイルハーブを浸した水を飲むと、味覚と嗅覚を麻痺させることができるんじゃ」
「は?」
は? ナイルハーブって……まさか、さっき飲ませた水に浮いてたハーブのことか……? それを飲むと味覚と嗅覚が麻痺するって……。
「便利じゃろ、これでどんな味のものもなんも気にせんと食べることができる。そのワイルドパンプキンのスープも、今ならごくごく飲めるじゃろう。人間は味にうるさいからの」
「なんてことしてくれてんだこのババア!?」
栄養あるものが不味いなら味覚をなくせばいい? 頭おかしいんじゃないのか!?
思わず器を放り投げながら怒鳴ったが、ばあさんは「おうおう、若者というのはすぐ怒る」と飄々と笑うだけで、瞬きひとつしなかった。
「何笑ってんだ! 味覚がなくなるって……なくなったら、うまいもん食っても何の味もしないんだぞ!?」
「だから、便利でいいじゃろ」
「そういう問題じゃねーんだよ! 普通のメシが食えなくなったらそれだけでめちゃくちゃしんどいのに、味がしなくなったらどーすんだよ!」
ばあさんはニヤニヤしているだけだ。マジでボケてんじゃないのかこのババア!
「アンタはこの世界しか知らないのかもしれないけどなあ、メシがうまい国に生まれて育って、いきなりこんなとこ来させられてクソマズメシ食わされる俺の身にもなってみろ! どんだけしんどい思いしてきたと思ってんだ!」
「そうかのう、なかなかいつも豪勢で、わしでさえ気になっとったがのう」
ばあさんはしわくちゃの額にさらにしわを寄せた。
「まあ百聞は一見にしかずというからの。確かに、見た目でうまいと判断するのは、我ながら冷静さを失っとったようじゃな」
「ボケたこと言ってないで早く味覚を――」
「忍耐のないヤツじゃの、そう焦らんとも、2、3週間もすれば元に戻ろう。まあ個人差はあるがの」
「3週間もメシの味がしなかったら鬱になんだろ! オイ!」
立ち上がったばあさんは、トントントンとまた床を叩くように歩き出す。追いかけようとして零れた泥団子汁に滑っているうちに、ばあさんはすだれみたいな扉を持ち上げて出て行く。
「おいコラばあさん、待て! 待てって――」
転がるようにすだれの外に出たが……、ばあさんはいなかった。小屋が立っているのは荒地で、周囲には隠れられるようなところはなにもない。遠くに森は見えるが、年寄りの足で――いやそうでなくとも2秒で行けるような距離じゃ……。
「……ユスケールさん? 這いつくばって何してるんですか?」
顔を上げると、腕に籠を抱えたメータが立っていた。後ろにはズザンネもいて、隣には……知らないばあさんもいた。しかし、さっきのばあさんではない。ありふれた白髪としょぼけた目の、普通の年寄りだ。なんなら薄茶色の小汚い服を着ていて、さっきのばあさんとは服の感じも全然違った。
「……何って……」
「どうせここがどこだか分からなくて慌てて飛び出してスッ転んだんでしょう? ユスケールさん、態度の大きさと肝の小ささが反比例してますもんね」
「は?」
メータが生意気なのは元々だが、それにしても攻撃的で悪態をついてるような口ぶりだった。
「こちらのおばあさんが私達を助けてくださったんです。感謝してくださいよ、私達が倒れてたのを、馬まで引いてきて助けてくださったんですからね」
「ええんよ、困ったときはお互い様やけえのう。お兄さんも、目が覚めたんならなんか食べねえ」
俺達を助けたのがこのばあさん? じゃあこの小屋はばあさんの家か? じゃあさっきまでのばあさんは一体……。
「……あの、姉妹で暮らしてる……とか……」
「旦那も娘も、むかーし冒険に出て行ってそれきりじゃ。一人暮らしは暇なもんよ、気遣わんでゆっくり休んどったらいい」
……マジで、タヌキかキツネに騙されたのか……? のろのろと手をついて起き上がる俺の後ろを、メータが無遠慮に通り過ぎた。
「ヨーナスさんはまだ戻ってませんか? お水を汲みに行ってくれたんですが……」
「川まで遠いからねえ、もうちょっとかかるかもしれんね」
ズザンネも相変わらずおどおどしながら俺を素通りし、ばあさんが「お兄さん、立てんのかいね」と棒切れみたいに細くて土で汚れた手を差し出してきた。
「……いや、大丈夫です」
「食事はできとるけえね、食べたらちょっと元気になろう」
「ちょっとユスケールさん! この床なんなんですか、まさか他人様の家のものを勝手に食べようとして零したんですか!?」
小屋に戻ると、カッカと怒ったメータが、泥団子汁と割れた器を片付けている。ばあさんは厨房に立ちながら「ああ、できとるできとる」と鍋からなにかを掬った。
「ちょっと聞いてます、ユスケールさん? 食べ物も粗末にして二重に失礼ですよ!」
「え、あ、ああ……」
「まだ起きたばっかりで疲れがとれんのじゃろう。これを飲みい」
ばあさんが器を差し出した。また泥団子の泥水割りかと思ったら、今度はまともな色をしている。妙に濁っているが、シチューか牛乳みたいな白いスープだった。
オーク汁でもないし、これなら食えなくはなさそうだ。ほっと安心して口をつける。その視界の隅で、メータがじとりと俺を睨み、ばあさんに向き直ったのが見えた。
「本当にありがとうございます、助けてもらっただけじゃなくて、こんなに栄養たっぷりのスープまで作ってもらって。ただでさえまともな食事にありつけていなかったんで、とっても助かりました」
「そりゃあよかった。シェーミの霧道は食べ物も少ないからねえ、しっかり体力をつけていったらええよ」
啜った汁は、味がしなかった。
それは妙な感覚だった。スープの温かさもドロッとした舌触りもあるのに、味だけがしない。水を飲むのとも全く違う、本当にまったく何の味もしない。味わおうと口内で舌を動かしても、文字通り鼻孔を膨らませても、本当になにも分からなかった。
「あ、で、ユスケールさん、私、パーティは抜けさせてもらいますね。自信と態度だけはご立派なリーダーなんてごめんですから」
紫の服のばあさんの正体は分からないままだったが、俺の味覚が麻痺している以上、夢でなかったことだけは確かだった。
そういえば、ミスバルやエクスなど、地名はすべてどこかの言語の数字で、ダンジョンを踏破するごとに進む町・村の数字が大きくなってました。魔王の城はギリシャ語の100でヘカトンです。確かに、ヘカトンケイルは百腕巨人だったなあと今になって分かりました。




