32.贅沢の極み、レッドバイソンのティーボーンステーキ+③
「お久しぶりです、デニスさん」
「ブッセカーターに呼ばれたが」
じろりと聞こえてきそうな鋭い目がシンバを見たが、シンバは無視だ。俺だったら縮み上がっているだろう。
「今日もまた随分デカい獲物を使っているようだな」
「レッドバイソンですね。シンバ――そこのブッセカーターが仕留めてきてくれたんですよ」
「今日はすっごい大きいステーキなんだよ。よかったね、デニスのおじちゃん、レッドバイソンみたいな、お肉!って感じのお肉、好きだもんね」
そうだったのか。デニスさんに声をかけに行ったとき、もちろんティーボーンステーキを焼く予定だとは伝えたが、反応は相変わらずで、嫌いではなさそうなことくらいしか分からなかった。しかし納得だ、年齢を感じさせないこの力強い体は肉を食っていないと維持できないだろう。
なにより、好きならよかった、なにせ包丁をくれる条件なんてあってないようなものだったし、ホリゾンソードだって格安で売ってもらったのだ。
ソースを作り終わる頃、ちょうどタイマーの音がした。
ラバックスを開き、ゴオッと熱風に顔を撫でられながら肉を取り出す。真っ赤だったステーキには、今は香ばしい焼き色がつき、じりじりとはじけるような音をさせている。その内側で肉汁が激しく暴れ回っているのが見えるようだ。
「くっ……うまそうだな……!」
「お、できたのか」
きっと、背後のアンネさんはカウンターに手をついて身を乗り出しているだろう。らしくなくわくわくと目を輝かせているのが目に浮かぶ。
「いい焼け具合、おいしそうだな――って、なにしてるんだ、リュー」
が、その声が、困惑したものに変わる。
「せっかくだから焼きたてを食べるんじゃないのか。それはなんだ、まさか肉がおいしくなる魔法の包みじゃあるまい」
「あ、そうですね、魔法の包みかもしれません。保温するのにこれ以上の素材はありませんからね」
「なんで保温するの? 持ち運ぶんじゃないんだから、いますぐ食べちゃえばいいじゃん」
「いい指摘です、ウルリケくん」
デニスさんが来ているにも関わらず、つい最初の調子で相槌を打ってしまった。
「焼きたての肉をかじるとどうなりますか?」
「アッチッチってなる」
「そうです。それはなぜですか?」
「肉汁が出るからだな」
「はい、アンネくん正解」
「それのなにがだめなの?」
むう、とウルリケは拗ねたように頬を膨らませた。
「さっき、ジューシーなのがおいしいお肉だって言ってたじゃん」
「そうなんだけど、その肉汁がどこで出るかが問題なんだよ。一口で食える肉ならいいんだけど、大きな肉だと皿の上で切るから、大事な肉汁が零れちゃうんだ」
「で、その魔法の包みがあれば肉汁の流出を防ぐことができると?」
「ちょっと違いますね。切ると肉汁が零れてしまうのを防ぐためには、焼いたばかりの肉をいきなり食べるんじゃなくて休ませてあげる必要があります。だから置いておけばそれでいいんですけど、さっきウルリケが言ってたみたいに、ただ置いてたらせっかくの肉が冷めちゃうんです。それを防ぐのがこの魔法の包み――」
フフン、と銀色に輝く薄い布を広げた。じっと見ていたアンネさんは……ゲッと顔をひきつらせる。
「お前……その色と光沢は……まさかアルミンサーペントか!」
「アンネくん大正解です!」
「なんてもので肉を巻いてるんだ!」
なんてものって、なんで? きょとんと目を丸くしていると、アンネさんはシンバを強く抱きしめながら椅子ごと距離を取った。シンバは怪訝な顔をしている。
「あんな気持ち悪いモンスターを素材に使うなんて!」
「あ、アンネさんはヘビも苦手なんですね」
「お姉ちゃん、ヘビもクモもムシもぜーんぶだめだもんね」
なるほど、ウルリケは平気だと。やはりこの二人、アンネさんが見た目に反して昆虫・爬虫類が苦手で、ウルリケは大丈夫らしい。
「アルミンサーペントはむかーし出くわしたことあるんだよ。まだ成体じゃなかったからそんなに大きくなかったんだけどね、多分このカウンターくらい」
といっても、優に7メートルはあるが。
「でもお姉ちゃん、出てきた瞬間にすっごい叫び声上げて」
「逃げ出したんですか?」
「ううん、頭から叩き潰したの」
……恐ろしや、『力業』を持つ剣士。なにせ、アルミンサーペントの鱗甲は金属製、剣で斬れる相手ではない。それを力で潰すとは……。
「気味わるいものは即死させるに限る。筋は通ってるじゃないか」
ぎゅ、と一層強く抱きしめられたシンバが迷惑そうな顔に変わった。誰にでも苦手なものはあるので許してやってほしい。
「で……アルミンサーペントの鱗甲でなにをしているんだ」
「アルミンサーペントの鱗甲には輻射熱を反射する性質があるんですよ。これは鱗甲を棒状にしてうすーく伸ばしたものなんで、これで包めば、熱々に焼けた肉から放出される熱を跳ね返して保温してくれるというわけです」
「……そういえばアルミンサーペントは寒冷地用の防具を作るのにいい素材らしいな。薄くて軽いから便利だと」
「あ、そっか、体の熱を跳ね返して保温してくれるってことだね」
ウルリケはアルミホイルになったアルミンサーペントの鱗甲を手に取り「すごい、つるつるのぴかぴかなのに軽い!」と感嘆の声を漏らす。
「でもさー、だからアルミンサーペントの素材って高いし、しかもこのあたりじゃ手に入らないでしょ」
「そういえば、ジャイアント・セファロータスから怪しい白い粉末を手に入れていたな。そのときにアルミンサーペントも狩ったのか?」
「ええ、ジャイアント・セファロータスを見たらアルミンサーペントがいると思えって言いますからね」
ただし、生息地はかぶっているものの、ジャイアント・セファロータスはアルミンサーペントの天敵だ。なにせ、ジャイアント・セファロータスの唾液はアルミンサーペントの鱗も溶かす。
「大変でしたね、ジャイアント・セファロータスを仕留めて、唾液が乾かないうちに採って、食事中で無防備なアルミンサーペントの頭からかけて溶かして斬って……俺はただアルミホイルが欲しかっただけなのに……」
「戦士が頭をたたき割ればよかったんじゃないのか?」
「炎魔法で溶かすほうが簡単じゃない?」
「ほらみろ、ろくに戦えんもせん」
それまでだんまりだったデニスのおっさんが口を挟んだ。ろくに戦えないとはなにかと思ったが、そういえば、デニスのおっさんはユスケール達にも会ったことがあるんだった。デニスのおっさんのお眼鏡に適わなかったのだろう。
「デニスのおじいちゃん、リューガさんの元パーティ知ってるの?」
「剣士が刀を打ち直しにきた。声ばかりデカいろくでもないヤツだ」
「まあ、声が大きいのは大事なことだな。嘘だろうが法螺だろうがもっともらしく聞こえる、パーティを鼓舞するリーダーに必要な資質だ」
「でも実力は大事じゃん。困るよう、大きいことばっかり言って自分がなにもできない人だと」
本当にこの二人は見た目と中身が逆だな……。ウルリケのほうが声音に反して厳しいことを口にしている。
「おじいちゃん、その剣士のこと見たんでしょ? なんのスキル持ってたの?」
「なんか冒険者向きのスキルですよね?」
「……冒険者向き?」
確か、ミスバルの町で出会った鑑定スキル持ちにそういう話をされたはずだ。が、デニスさんは不可解そうに、無愛想な顔をしかめた。
「……まあ、考えようによっちゃあそうかもしれんな。特にお前さんがおればな」
「僕が? それはどういう――ことか、訊きたいんですけど」
けど、肉を休ませるのに十分な時間が過ぎた! 肉のほうが大事だ。
「レッドバイソンのステーキを食べましょう! ……と、その前にマネフラの根を削ります」
「忘れてたの?」
「いやいや、もしこれが俺の故郷にある薬味と同じなら、すりおろした後はすぐに食べるのが大事だからさ。直前まで待ってたんだよ」
わさびと違い、マネフラの根の表面にはコブはない。茎を切り落として表面を洗い流し、アンネさんがくれたアイアンシャークの籠手に「の」の字を書くように、優しくこすりつけて削っていく。
「なんか……不思議な香りだね」
「鼻にスッと抜ける感じがしていいな……あっ」
シンバにはやはり合わなかったらしい。するっとアンネさんの腕の中をすり抜け、また店の隅まで逃げてしまった。俺はどうしてもわさびで肉を食いたいので許してくれ。
「ごめんなシンバ、お前にも肉はやるからな」
「マネフラをお肉につけるなんて聞いたことないけど、おいしいの?」
「おいしい。まあ部位にもよるから、サーロインとヒレどっちかかもしれないけどな」
クリーミーなわさび――いやマネフラをすりおろしたところで、いよいよ準備は万端だ。
「さて本丸の登場です、お待たせしました!」
「待ってました!」
大きな皿にアルミホイルごとティーボーンステーキを載せ、客席側に回る。取り分け形式になるので、デニスさんがついているテーブルに全員で集合した。シンバはアンネさんの腕から飛び降りてテーブルの上に座り込む。
アルミホイルを開いて、ティーボーンステーキとご対面だ。
「T」の字の上下についた巨大で厚みのある肉、表面はこんがりと焼かれ、ほんのりと脂と肉汁が出ている。早く食えと主張しているかのようだ。
「これは……おいしそうだな……」
「はやく! はやく食べよ!」
「剣豪、頼んだぞ」
「そういう使い方をするものでは……いや食材の解体をしてるんだから同じか……」
ナイフとフォークを持ち、レッドバイソンのティーボーンステーキに刃を入れた。
レッドバイソンは毛が赤いだけではなく、肉もいくら焼いてもなぜか内側は赤いままだ。切り口を見ると焼けていないように思えて不安なのだが、筋繊維は引き締まっているので問題はない。
ティーボーンから肉を剥がすのは少し大変なので、確かにアンネさんのいうとおり、『剣豪』の腕の見せ所だ。白い骨が見えるまで肉を綺麗にそぎ落とし、全員の皿にサーロインとヒレを均等に載せた。
「さて。最初に二人には説明しましたが、これはティーボーン――骨の上部分がサーロイン、下部分がヒレとなっています。味はこちら3種類、マンドラゴラのオスから取ったソースと、トリア海峡の岩塩と、マネフラの根をすりおろしたものです。今回は肉の味を楽しむためにどれもわりとシンプルです、お好きに組み合わせてどうぞ」
「いただきます!」
各自、サーロインから口に運ぶ。俺は懐かしのマネフラをつけていただこう。
「んー! お肉、って味!」
「外は香ばしく、中はジューシーだな!」
うむ、サーロインは、濃厚! レッドバイソンはいかにもな赤身肉、サシもあまり入っていなかったはずなのに、なぜか脂の深みを感じる。ステーキらしいしっかりとした噛み応えもあって、ガツンとした説得力があった。
これは肉好きのデニスのおっさんもにっこりだろう、そう視線を向けたがやはりいつもの仏頂面だった。いやしかし、一切れをぺろっと平らげている。うまいに違いない。シンバはいわずもがな、小さい口で無我夢中になってかじっていた。
そして、この肉に懐かしのわさびならぬマネフラの味。アイアンシャークの皮ですりおろしたマネフラの根は、まろやかでクリーミーで辛くない――と思ったら、あとから辛みがついてきた。うん、上質なわさびの味だ。
しかし、マネフラでは少し物足りない。ここはやはり定番のマンドラゴラのオスからとれる赤ワインソースを、と味を変えれば、大正解だ。サーロインには赤ワインソース、王道は裏切らない。
「さて次にヒレは……と」
口に入れると、さっきとは打って変わって甘みが広がる。
「ん、これ本当に全然違うお肉みたい!」
「サーロインよりも柔らかいな。いやしかし、ぜいたくな噛み応えだ。肉なのに甘く、分厚いのに柔らかい……」
うん、サーロインよりも優しい味だ。これは赤ワインソースだと強すぎるから、マネフラの根と岩塩でさっぱり食べるのが合う。
「うまいなあ……こんながっつりステーキ久しぶりに食べた……」
「こんなおいしい肉は初めて食べたよ。外で食べようとしたら金貨が何枚いることか……」
「ほんと、リューガさん様様だね。……様様ついでにリューガさん、私、見ちゃったんだあ、リューガさんがもうひとつアルミンサーペントの包みを置いてたの……」
「む、目敏いな」
いたずらっこのようにニンマリと笑んだウルリケは、カウンターの向こう側を見た。ティーボーンステーキよりかなり小さいのだが、そこには確かにもうひとつ、肉がある。
「ティーボーンステーキを食べたら出すつもりだったんだけど、やっぱり食べ比べは大事だもんな。出しちゃうか」
「なんだ、そんなもったいつけるほどの肉がまだあるのか」
デニスのおっさんもさすが食いつきがいい。フフン、ともうひとつの肉を持ってきて、アルミホイルを開く。
「これは、フィレミニヨンといいます。大変な希少部位です。ヒレの一種だけど部位的には頭に近くて霜降りで――いや、御託はいいので食べましょう」
気を取り直してナイフを入れた――瞬間に驚いた。同じレッドバイソンなのに、肉の柔らかさが全然違う。これは切っただけで分かる、間違いなく、めちゃくちゃうまい!
「これは……これは、マンドラゴラのオスのソースだと繊細さが失われるだろうな……マネフラと岩塩が絶対合うぞ……」
「マネフラ……? マネフラ、つけるよ? いいの?」
「間違いない、俺を信じろ」
等分した後のフィレミニヨンを前に、ごくりと喉を鳴らす。ティーボーンステーキを食い、次はこのフィレミニヨンを食う……そんな贅沢が許されるのか……。おそるおそる、その高級部位を口に運ぶ。
「……甘い……!」
「え、すごい、あっまい!」
「なんだこの肉!」
ナイフで切ったときに予感したとおりの柔らかさ、そして何より甘い……! 思わず口をついて出てしまうほどの甘さだった。
口を動かすたび、じんわりと口の中に肉汁が広がる。甘くてとろけそうな味に、マネフラのほのかな辛みは、やはり相性ばっちりだった。
「……うまい……」
デニスのおっさんが、小さくそう呟いた。シンバはすでにたいらげ、ひたすら皿の脂を舐めている。
「……うまいですね」
もっと気の利いたことを言いたかったのだが、俺もそれしか出てこなかった。
異世界の赤身ステーキは、うますぎた。




