31.贅沢の極み、レッドバイソンのティーボーンステーキ+②
ティーボーンステーキを焼くために、一番大きなフライパンを取り出す。最初にティーボーンステーキを切り出したときはフライパンに収まるか心配だったが、意外と手持ちのフライパンに収まってくれた。
焼く直前に塩で下味をつけた後、強火で熱しながらせっせと巨大な肉をひっくり返し、まんべんなく焼き目をつけていると、ウルリケが「なんかまだるっこしいね?」と首を傾げた。
「分厚いから火が通らないの? それ包むくらいの火なら出してあげるよ?」
「いやいや、分かっていないなウルリケくん。まずこうして表面を焼くことで香ばしさが出るのだよ。焼き目がついてない肉って、なんかぼんやりした味にならないか?」
「ああ、そういえば……」
アンネさんが頷いた。覚えがあるらしい。
「しかし、とにかく業火で焼くと焦げるしパサつくしでいいことがないじゃないか。あれは私は好きじゃないんだ」
「ずっと強火で焼くと中はパサついちゃいますよ。強火で焼くのは最初、表面だけです」
「じゃあ生で食べるのか? 獣じゃないか」
「ラバックスでも焼くんです! 最後まで話を聞いてください!」
まったく、せっかちなんだから!
表面にしっかり焼き色をつけた後、余熱しておいたラバックスの中に入れる。これでしっかり中まで火がとおり、かつジューシーな肉ができあがる。
なんてことは、ウルリケにとってはかなり面倒くさいらしい。カウンターに両肘をつきながら「本当、リューガさんってこまめだよねー」と感心した声を出す。
「私だったらボンッて焼いて終わっちゃうもん。大体、レッドバイソンのお肉なんて、適当に焼いてもおいしいだろうし」
「いやいやウルリケ、いくら肉が上質でも丁寧に焼かないとその真価を発揮させることはできないんだ。そのためにはおいしい肉とはなにかを考える必要がある。はい、アンネくん、なんでしょう」
「おいしい肉……私がおいしかったと感じた肉か……」
ふむ、とアンネさんは顎に手を当てた。
「最初に食べさせてもらったガーゴイル肉、あれが一番おいしかったな。外はパリッと中身はジューシー」
「はい、アンネくん正解」
肉といえば脂のジューシーさあってこそだからロースがいいとか、逆にそこまでいくとしつこいからヒレのほうが好きだとか、肉の部位の好みはあるかもしれないが、パサパサで口の中の水分が奪われるような肉を好きな人はいないはずだ。外は香ばしく、中はジューシー、おいしいと感じる肉の条件はこれだろう。
「でも、さっきアンネさんも言いましたよね、強火で焼き続けると中身がパサつくって。フライパンは接している面を加熱し続けるものなんで、均一に火が通らない。それなのに分厚い肉の中まで火を通そうとすると水分とかが全部出ていっちゃうんです、それがパサつく原因です」
「ラバックスならそれが解決するのか?」
「はい。ラバックスは表面をまんべんなく加熱してくれるんで」
「じゃあ最初からラバックス使えばいいじゃん?」
「ラバックスはフライパンほど高温が出ないんだ。だから外側をしっかり焼くためにはフライパンが必要なんだよ」
「本当に、リューがやってることを見たり聞いたりするたびに、おいしい食事をとろうとすると手間がかかるもんだと思うよ」
大雑把なアンネさんは、溜息混じりに腕を伸ばす。
「私は基本的に栄養補給ができれば構わないからな。おいしいものを食べることは好きだし、作ってもらえるのならぜひともいてほしいが、自分ではやる気にならない」
「冒険者はお姉ちゃんみたいな人が多いよねー。でも、リューガさんもパーティにいたもんね、いいなー、毎日リューガさんの手料理食べれて」
ウルリケは心底うらやましそうだが、俺にはピンとこなかった。
まあ、パーティごとに方針も違うもんだしな、と相槌を打たないままソース作りを始めていると「えっあれっ違う? まさかリューガさんのご飯のおいしさが分からない人だったの!?」とカウンターを叩く音が聞こえた。
「味音痴だったのかな!?」
「いやそういう話じゃないと思うんだけど……ほら前にも話したけど、最初はおいしいって食べてくれてたし……」
最近は食材にも調理場にも困らず好き勝手に料理をしていたので、そんなことはすっかり記憶の彼方だったのだが、ちょっと考えてみると懐かしい記憶が掘り起こされた。最初の最初、異世界に転生した直後のことだ。
「……俺と同じ故郷のヤツがいたんだけど、旅に出た直後に食事がおいしくなくてお互いびっくりしたんだ。いや、おいしいものもあるんだけど、おいしいものを食べようとするとすごく高くて。旅に出たばっかりで金もなかったし、作るしかないって思ったんだけど、そしたら今度は故郷にあったものが全然なくて……」
白米がなかったことは、意外と最初は気にならなかった。ただ、肉を食おうとすると極端に分厚かったり、硬かったり、生臭かったり……。ろくな香辛料もないし、味付けをしようにもケチャップもマヨネーズもないし、味噌はないし、鶏がらスープのもともコンソメもない。幸いにも転移先が海に近かったお陰で塩はあったが、それだけだった。挙句、野菜ひとつとっても微妙にものが違う。一人暮らしを始めたばかりの大学生よりも困ってしまった。
「だから色々試して、結局異世界にある食材と調味料に合わせた食事を作ることにしたんだよ。そのときは結構感謝されてたよ、うまい飯を食えるのは久しぶりだって。生活に慣れてからは調味料も手作りしてたから、和食――普通の飯を出したときも喜ばれてたし……」
「じゃ、味は分かってるんじゃないか」
はて、とアンネさんは首を傾げた。
「しかも、故郷以外の食事は合わなかったんだろう? なぜそれでわざわざリューガを追い出すことになる」
「確かミスバルの町に着いたときだったと思うんですけど、その剣士がすごいスキルを持ってるって鑑定されたらしくて……」
確か、ちょうど俺が調味料を買い付けているとき、ユスケールが鑑定スキル持ちの旅人に出会ったとかで、希少なスキルを持ってることが分かったと誇らしげに教えてくれたのだ。
もともと、ユスケールはその経験からこの世界の攻略方法に当たりをつけ、お陰で効率よく冒険ができていた。その上で冒険者向きスキルを持っていると発覚すれば鬼に金棒というもの、パーティの勢いは増した。
「そういえばその時からですね、メシに興味を示されなくなったの……。さっきアンネさんが言ったみたいに、栄養補給さえできればいいってことになったんじゃないですかね」
「ええー。でも、もともとその人って自分で作ってたわけじゃないんでしょ? おいしいご飯を作ってくれる人がいるならそのほうがいいじゃん?」
「そもそも、リューは『剣豪』じゃないか。リュー自身が積極的に戦いに繰り出す気がなくとも、やれと言われればやっただろうし、できたわけだ」
「それはもちろん。剣士は二人も要らなくて、後衛と食事係は誰かが引き受けなきゃいけないって前提はありましたからね」
まあ、それは間違いで、現実には後衛も食事係も不要だったわけなのだが……。
しかし、アンネさんはやはり首を傾げ続ける。
「だったらリューをパーティから外す理由がない。本当に剣士が二人も要らないものかというのは別として、まともなヤツが見ればお前の腕は分かる。で、おいしいご飯だろう?」
「私達だったら逆だよね。どうしたらうちのパーティに来てくれるのかなーって考えちゃうもんねー」
「うーん……。まあ、もう一人の剣士は『剣豪』のことなんて知らなかったでしょうし……。パーティごとに考え方は色々ですからね」
採ってきた食材をあれこれ調理したり、和食御用達の調味料を生成してみたり……という雑談じみた豆知識的な話を、最初のユスケール達は感動して聞いていたのだが、スキル鑑定の後に「そういうの、もういいからさ」と言ってのけた。
「『ろくなスキルもなくて飯すら苦労してるのは分かったけど』って言われて、そこからはまあ、本日のメニューはオークばら肉の野菜汁です、くらいしか説明しなくなったというか……」
「うわー、ヤな人だ」
「ま、いま思えば、『剣豪』スキルのお陰で食材調達とか肉の解体でめちゃくちゃ楽してたんだけどな、ハハハ」
「そういうことじゃないよ、リューガさん」
相変わらずお人好しなんだから。そう言いたげな溜息を吐かれてしまった。
「……リュー、お前がいたそのパーティ、なんて名前だった?」
「ニーグルムですけど」
「何?」
アンネさんは形のいい眉を吊り上げた。何って、何?
「話したことありませんでしたっけ?」
「いや、なかった。そうか、リューがいたのはあのニーグルムだったのか」
「私聞いたことないけど、有名なの?」
「ウルリケは知らないかもしれないな。剣士界隈では有名だったよ」
だった、ということは過去形になったのだろうか?
「新参者なのに妙に腕が立つ剣士がいるとね。ただ――他人をあしざまに言うのは好きじゃないんだが、まとまりもないし、実力の伴わないヤツもいるから、いずれパーティ自体は瓦解するだろうと言うヤツもいたよ。それこそメイジは“花”だと聞いていたし」
「うわー、“花”かー。一番言われたくないことだあ」
大方、飾りと同義の皮肉なのだろう。「見た目が可愛らしいばかりで実力が伴わないメイジはそう揶揄されるんだ。まあ、妬みのこともあるけどね」と、アンネさんがウルリケを見遣った。確かに、ウルリケは見た目に反してとんでもない実力者だ。そんなウルリケを妬んだヤツがいたのだろう。ぜひともその鼻に削りたてのマネフラを突っ込んであげたい。
「でも、さっきアンネさん、有名“だった”って言いましたよね? いまはもう話を聞かなくなったんですか?」
「そうだな、少なくとも私は。腕の立つ剣士が二人いたのかリューガだけだったのかは知らないが、少なくとも今はパーティの名自体さっぱり聞かなくなった」
難しい顔をするアンネさんの後ろから、こっそりとシンバがやってきた。きっと、空気中に残っていたワサビ――マネフラの匂いが消えたのだろう。
アンネさんは顔を輝かせ、すかさずシンバを抱き上げて膝に乗せ、背を撫でる。
「うん、やはりその一人というのはリューガだったんだろう、腕のあるヤツが見れば分かることだしな。お前のいう同郷の剣士は“腕の立つ剣士”の噂を聞き、自分と勘違いしたのかもな。で、リューガが抜けた後は、苦労して名を馳せるどころではなくなっていると。いずれにせよ、私達にとってはありがたい話だ」
「ね。そろそろ本格的にお店として始める準備もしなきゃねえ」
「そうだな、定番メニューも決めて、時間がかかる調味料の下準備も終えたし、あとの細かいことは順番に進めながら整えながらだな……」
そんなことをあれやこれや話しているうちに、デニスのおっさんもやってきた。一仕事終えてから来たのだろう、額には汗が滲んでいた。




