30.贅沢の極み、レッドバイソンのティーボーンステーキ+①
ふふ……と笑みがこぼれてしまうのを感じた。昨日シンバが狩ってきてくれたレッドバイソンの背骨近くから取り出した肉を前に、うきうきとトリア海峡の岩塩を取り出す。
岩塩をガリガリ削っていると、店の扉が開くと同時に「リュー、来たぞ」「こんにちはー」お客さんがやってきた。それぞれの一仕事を終えた後なのか、ウルリケはいつもの木の実の袋をたくさんぶらさげていたし、アンネさんも大きな革の袋を背負っていた。
「あれ、もう来ちゃいました? 呼んでもらうのが早かったみたいで、すみません」
「いや、構わないよ。デニスさんは仕事が一区切りついてからくるそうだ」
二人を呼んできてくれたシンバが、ぴょいとカウンターの椅子に座る。アンネさんとウルリケの席をきれいに避けて座ったが、まさか二人の匂いから定位置を認識しているとか……。有り得る、コイツ賢いし……。
「わ、すっごい大きいお肉だね。何のお肉?」
ウルリケがカウンターに手をついて厨房を覗き込んだ。ふふ……と俺はドヤ顔をする。
「これはだな……レッドバイソンのティーボーンステーキだ!」
「てぃーぼーんすてーきってなに?」
「ティーボーンステーキをご存知でない!」
テンションが上がり過ぎておかしな返事をしてしまった。アンネさんにも怪訝な顔をされてしまっている。
しかし、ティーボーンステーキを前にした俺はそんなことは気にしない。ふふ、とまた笑みを零してしまった。
「ご覧ください、骨の形がアルファベットのティーの字に近いでしょう。ゆえにティーボーンステーキと呼ばれています。これはレッドバイソンの背骨と腰あたりでとれるものなんですが、つまりどういうことでしょう」
「どういうこと?」
「肉の種類が骨の上下で違うんじゃないか?」
「アンネくん正解!」
「アンネくん?」
「これは骨の上部分がサーロイン、下部分がヒレになっています」
フライパンみたいにでかいティーボーンステーキを見ながら、ふふ……とまたまた笑みを零してしまう。レッドバイソンのサーロインはサシは少なめだが、その赤身はルビーのように輝いている立派なものだ。食べてもいないのに口の中に肉の味が広がる気がする。見た目でいえばヒレもあまり変わらないのだが、とろけるようなやわらかさに違いない。
「このふたつの肉が一緒になってるなんて……なんて贅沢なんだ……」
「……でも、骨を挟んでちょっとお肉の種類が違うだけだよね? そこだけ特別なお肉とか、そういうことじゃないんでしょ?」
アンネさんの察しの良さとは裏腹に、ウルリケは冷めた顔をしている。
「一緒にしなくても、半分ずつ食べればいいじゃん?」
「分かっていないなウルリケくん!」
「ウルリケくん?」
「違う部位が骨を挟んで一緒になっているところがいいんじゃないか! ロマンがあるだろ!」
「えー?」
「いやウルリケ、これはリューのいうとおりだ」
うんうん、とアンネさんは深く頷いた。
「半分ずつとはわけが違う。味の違うお肉が骨の両面についているがために一つの新たな部位を形成している。それは確かに聞くだけで胸が躍る」
「さすがアンネさんは話の分かる方ですね!」
シンバは相変わらず無表情でじっと座っている。お前は肉が食えればいいんだろうな。
ウルリケは「ふーん、そういうもんなのかなー」と両肘をつきながら怪訝そうに首を傾げていた。
「よく分かんないけど、今日はお肉なんだよね? じゃあこれ要らないかなあ」
その手が袋から白いニンジンみたいなものを取り出した。
途端、シンバは無表情をしかめ、ぴょいと椅子から飛び降りる。まるで避難するかのように、最大距離を取れる地点まで最短距離で突っ走って隅っこに鎮座した。
「なんだ、どうした?」
「もしかして匂いがイヤなのかな?」
ウルリケは白いニンジンを鼻に近づけ、ちょっと顔をしかめる。俺も鼻を近づけてみたが、確かに分からなくはない。ふわっと漂ってくるなんともいえない香りは独特で、豆板醤の辛味ともまた違う。鼻の奥から脳天を貫くような香りは、シンバにとっては不愉快なのかもしれない。
が、それよりも俺には引っ掛かることがあった。
「……なんか懐かしい香りな気がするんだけど……なんだっけな、これ……」
「マネフラの根っこだよ。いつもは葉っぱだけ採るんだけど、今朝たまたま土の上に出てるの見つけたから採ってみたの」
「妙な匂いだな。鼻にくるが、不思議と悪くない」
白いニンジンもといマネフラを鼻に近づけ、アンネさんは少し眉を寄せた。
「だがシンバにはよくないようだな。袋に戻しておこう」
「あ、ちょっと僕にも貸してください」
袋に戻されたのを受け取り、なるべくカウンターから離れて匂いを嗅ぐ。
「これ……なんだっけ、なんなんだっけ……」
絶対知ってる。絶対知ってる香りなんだが思い出せない。一体……。
「というか、今朝いないと思ったらまた山に行ってたのか。夜明けはまだ暗いんだから気を付けないと」
「お姉ちゃんはいっつもそう言うけどさー、もう子どもじゃないもん。朝は空気おいしいし、小川の水から始まる一日はいいよお」
「まさか飲まず食わずで山に登ってるんじゃないだろうな」
「登りながら食べてるだけだもん。それにあの山はもう庭だから大丈夫、どこに何の木の実があるか分かってるし、きれいな川も知ってるし……」
姉妹のよもやま話を聞きながら匂いを嗅ぎ続け――“きれいな川”でピンときた。思い出した!
「わさびだ!」
「わさび?」
しかも山わさびでもなければ西洋わさびでもない。これは間違いなく、あの緑色の和のわさびの匂いだ!
「どういう意味?」
「意味――意味はなんだろう、知らないんですけど、いやそうじゃなくて、僕の故郷にあった山菜とすっごくよく似た匂いで!」
「相変わらず妙なものを食べてるなと何度言わせれば気が済むんだ」
「いやいやいや。これは薬味なんですよ、アンネさん」
わさびなんて、長い間食べてなかったからすっかり忘れていた。そもそも和食をほとんど作らないから必要性を感じず、探そうという気にならなかったというのもある。
それにしても、いつも絶好のタイミングで絶妙なものを持ってきてくれるな、ウルリケは。アンネさんに言わせれば木の実の拾い食いを主とする放浪癖だそうだが、俺も知らない食材を次々発見してくれるので非常にありがたい。
「特にティーボーンステーキ――肉にはわさび――マネフラの根は欠かせない薬味です! ありがとうウルリケ、ウルリケがいてくれて本当によかった……」
「え、そう? そうかなあ」
えへえへと嬉しそうな顔で体を揺らすウルリケの向こう側では、シンバが恨めしそうな顔をしてこちらをじっと見ていた。ごめんな、でもわさびは大事なんだ。
「で、それはどうやって食べるんだ? 刻むのか?」
「すりおろすんです。でもグラインダーがないな……なにか代わりになるようなものがあればいいんだけど……」
厨房の棚を探している俺の頭上からは「シンバ、袋に片付けたからおいで」「来ないねー」「手に匂いがついたのかもしれん」とわさびを恨む会話が聞こえてくる。現状でこの有様ということは、すりおろすとシンバが帰ってこなくなってくるかもしれない。確かにそれは可哀想だ……が、肉を前にわさびをおろさないわけにはいかない。ティーボーンステーキは食わせてやるから許してくれ。
「で、リューガ、お前はなにを探しているんだ」
「マネフラの根を削るものです。アンネさん、持ってませんか? 表面に凹凸があってざらついてる危ないナイフとか……」
「持ってたとしてどうする。私の刀を山菜で汚すつもりか?」
イヤそーうな顔をされた。ごもっともだ。
「そんなことをしてシンバが寄ってこなくなったらどう責任を取るんだ」
「そこじゃなくないですか?」
「ざらついてるならなんでもいいの? 木の実とか使う?」
コロンコロンと手のひらサイズのドリアンのようなものを差し出された。削れなくはなさそう……いや削れないか……?
「そうだな……なんていうか、こう……削ぐというよりは、手を円状に動かして削るイメージだから、板みたいなものがあるほうが嬉しいな。この木の実の皮が平たく広がってると完璧なんだけど」
「凹凸のある板ということか? それならアイアンシャークの皮とか……」
「あるんですか?」
つまりサメ肌……天然のおろし板だ! カウンター越しに身を乗り出すと、アンネさんは持ってきた荷物の中から黒い籠手を取り出した。
アイアンシャークの特徴は、まるで鉄のように黒く光る皮だ。上質なエナメル質でありながら強度も高く、また水をはじくため防具としては理想的だと聞いたことがある。
「作るだけ作ったんだけど、もともと気に入っていた籠手を手放す気にならないままでね。持て余していたんだ」
「それはぜひともこの手で触らせていただいて……おお……」
サメの皮なんて触ったことがないが、撫でるとなぜか妙な説得力を感じた。籠手の手首側から撫でると滑らかだが、肘側から撫でるとざらついてひっかかる。水の抵抗をものともせずに海を自由に泳ぎ回っていたのが想像できるようだ。
「これ……これをいただいていいんですか……?」
「構わないよ、リューには日頃世話になっているし、そのティーボーンステーキ代ということで」
「ありがとうございます! こんな高価なものをポンとくださって……」
改めて手に取り、明かりの下に掲げる。鱗一枚一枚が光を反射していて美しい。
「鋭いながらも繊細で緻密で艶もある……これが天然のおろし板……!」
「お前、結構変態だよな」
「お姉ちゃんだって武器と防具には変態じゃん」
「武器と防具に変態でない剣士など剣士ではない」
さて、最高の薬味も手に入ったところで、ティーボーンステーキを焼くとしよう。ふふ、とまた笑みを零す俺とは裏腹に、隅からは低い声で「ミィ」と抗議が聞こえていた。
この世界の言語について、少なくともアルファベットは使われています。異世界は言語が通じて当たり前なので、これに悪戦苦闘する話も面白そうですよね。
なおこの異世界には狂牛病は存在しません。
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24/09/04
最終更新以来ページを開くことすらできていなかったのですが、今日から無事再開です。改めて本作にESN奨励賞をいただきありがとうございました。詳細はまた近況報告にて。




